【現代思想とジャーナリスト精神】

民主党の位相と全国の地方選挙


櫻井智志


  孫崎享氏は、自らのブロマガで「民主党は、国民期待の受け皿になれるのか」と題して以下のように述べている。

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 今、国民は幾つかの重要政策で安倍首相の政策とは逆を望んでいる。
1:原発の再稼働は望まない
2:集団的自衛権には反対である、
3:消費税アップには反対である(どこまで反対か不明であるがその他)
4:TPP参加問題
5:沖縄での普天間基地の辺野古移転問題がある。
 野党として、こんなに戦いやすい時期はない。争点は明確だ。安倍政権と対峙すれば国民の大多数の支持を得られる。
 では民主党はそれが出来るか。出来ない。
1の脱原発をみてみよう。
 東京都知事選挙で細川候補と宇都宮候補は脱原発を掲げた。桝添氏は原発推進派とみられていた。この中。真っ先に桝添氏を支持したのが連合東京である。私は地方で講演することがある。労働組合関係の人々にも会う。何故労組が脱原発を鮮明に出来ないのかと問うと出来ないという。労働組合の最近の動きで特徴的なのは、電力会社の労働組合が、労組団体の主要ポストを次々に獲得しているという。電気企業関係労組もどちらかというと原発支持が多い。労働組合が全体として脱原発になれないから民主党も脱原発の路線を出せないという。
 集団的自衛権を見よう。民主党内には前原氏や長島氏のように米国との協力を強く主張するグループがいる。彼らの力が強いのは、普天間基地の辺野古移転の時の動きを見ればよい。彼らがいる限り、安全保障で対米自立はない。TPPも同じ構図だ。
 私はある時、労働組合系のリベラル派に聞いた。「何故リベラルな人が民主党を脱して、独自の路線を行えないのですか」。
彼の答えはこうだ。
 小選挙区制がある。戦いは厳しい。いわゆるリベラルと言われる候補者で、連合の支援なくして、自民党議員に勝てる人はほとんどいない。脱連合ができない。脱連合が出来なければ脱民主党も出来ない。

残念ながら、民主党が受け皿になるのはほど遠い。

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 私はこう考える。

 民主党はいざという全国各地の地方選挙で、自公と一緒に各地の首長選で圧勝している。いざ進歩派風なことは言うが、実際に自公に一貫して対峙し続ける政党ではない。
 一説に、小沢一郎氏を民主党が招き、反安倍で一致できる勢力を糾合することで安倍政権を打倒できるという見解がある。以前の私なら、それは統一戦線に近いと思い賛成したかも知れない。しかし、今の民主党はだめだ。国民は「何を言うか」ではなく「何をするか」で政治家を見ている。今から思えば結果的には自分の売名行為で反拉致問題キャンペーンに力を注ぎ、やがて政党を渡り歩き国政選挙に何度目かに当選した政治家がいる。今は一体何をしているか。その場その場で思いつきで人気を獲得しても、誠意ある地道な一貫した行為の持続が政治家ならば、市民運動のアドバルーンと政治家の倫理とは複雑な関わりをもちそれを十分に体得した政治家を望む。菅直人や辻元清美など市民運動から政治家になった政治家に展望を期待したい。
 本来なら、心を広くもち多くの良心ある政治家を認める取り組みを支持したい。だが、安倍自公政権は、選挙の結果さえ、民意を無視して、官房長官が「とっくに終わったことだ」とは・・・・安倍政権とは自公両党よりも、「安倍晋三」熱狂支持独裁政権でしかない。
 民主党についていくのでなく、民主党のまとも派が民主党を割っても、無所属で反安倍派の全国的な共闘に入ってくるかたちしかない。私は、沖縄県の統一地方選挙を見ていて、厳しい中で闘い続ける沖縄県民と連帯できない本土の政治家と政党は、やはり統一戦線を形成できないと思った。むしろ自民党沖縄県連の中から自民党本部の弾圧をはねのけて、沖縄民主主義戦線に結集する自民党員の動きに本当に驚かされ、感銘を受けた。
 政治には汚れた駆け引きや側面があるという。政局は流動的でも、多数の戦死と侵略戦争が終わり、戦後民主化の焼け跡闇市の空に飢餓と貧乏のなかで国民がこれからに垣間見たものは、今の安倍自公政権の政治施策が日々破壊している「積極的平和破壊主義」政治の窮状ではない。

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