世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

脱出

2018年12月05日 | 100の力
子どものころ

家から逃げたかった。


熊本の街の中心部に生まれ、

一時期、両親のいない祖父母の家庭に育った。


家父長制がはびこる

祖父母を中心に

叔父、叔母、従弟たち、

遠縁の親戚縁者がひっきりなしに出入りする

大家族だった。


それに加え、

衣料の卸問屋だったそこに

従業員や家政婦(当時、女中さん)さんまでいた。


誰が誰かわからないまま、

ボクの頭の上で

いろんな言葉、話が飛び交う。


そのほとんどは、

得体のしれない噂話や誹謗中傷。

毎日がワイドショーだった。


ボクの親に対する悪口も随分と聞かされた。

じっと唇をかみしめて、

それに耐えた。

(この時の悔しさこそが、

ボクの原動力になっている)


子どもながらに嫌気がさしていた。

大人が嫌いだった。

息苦しかった。


この家から出たい。

それがいつしか、

熊本から脱出したいと思うようになり、

日本からの脱出に繋がっていった。



それが皮肉にも、

いま日本にいて、熊本にいる。




熊本といっても、

ここは、阿蘇だけど。


阿蘇は子どものころから大好きだった。

なぜか好きだった。


人生の大半は、

ずっと阿蘇を見て生きてきた。


大草原、馬、といったイメージがボクの中にはある。

そして、イメージ通りの暮らしをしてきた。


そして

あのころと同じ息苦しさが漂う昨今、

そのイメージはここだけに留まらない。


胎動を感じ、

少年の心を纏(まと)って、

世界の果てまで飛んでいく。


ボクには夢がある。

希望があり、勇気がある。

(絶望の先にも、常に光があった)


今また、

遠い空を見上げながら

脱出計画を練っている。




【余談】


ボクは19歳で熊本を離れた。

大阪、東京と暮らし、

そして、

30歳の時に、熊本というより、阿蘇に帰ってきた。


それからは、

長陽村(今の南阿蘇村)、大分県久住町(今の竹田市)、

そして、西原村(阿蘇郡)を拠点に阿蘇を見ながら田舎暮らしをしてきた。



阿蘇は九州を作ったといわれる。

それ以前に、

阿蘇が日本を大陸から切り離したともいわれている。


阿蘇がなければ、

日本は今でも大陸の一部、

いや、中国の一部だったかもしれない。


そもそも日本民族(大和民族)は、混血である。

そして、

天皇家はユダヤ系である。

(日本語の語源がヘブライ語にあるというのも頷ける)


だからこそ

日本人は優秀なのだ。











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