世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

自遊と孤独

2018年12月17日 | 100の力
執筆に当たり、

「自遊と孤独」についての考察を行っている。


なかなか奥が深い、

そしてけっこう手ごわい。

これはもう哲学の世界だから。


お陰で、本来の原稿書きが進まない。

(脱線ばかり。それはそれで意味がある!?)



自遊は孤独(独り)でなきゃ勝ち取れないのか?

自由 ≒ 孤独

自由と孤独は表裏一体?

とかいうのが一般的概念である。





♬ 自由と孤独は二つでセット

気ままなほど寂しさもついてくる

ひとり楽しく生きてきたの

なにひとつ悔やんでないけど

曇った鏡のように明日が見えない 🎶

竹内まりあ(幸せのものさし)も歌ってた。



孤独だから自遊とは限らないが、

自遊であるためには孤独であらねばならない、のか。


つまり、

人との係わりは束縛(制約)を意味する。


人は時に孤独を求めるが、

ずっと孤独であることを忌み嫌う。

そこには寂寥と恥といった感情が伴うから。


愛する人とはずっと一緒にいたいという気持ちと、

たまには一人になりたいという気持ちが交錯する。


(寄り添うことで癒されることもあるけど、

一人で考える時間も必要)


恋とは身勝手なもの。


だが、人との係わりなくして、

孤独(寂しさ)を癒すなどできない。



自遊のためには、

孤独であったほうがいい?


「自遊」とはなにか?

それは人によって違うはずだ。


あなたが求める自遊とはなにか?

好き勝手なことをしたい?

あなたがしたい好き勝手とは?


ボクは、

旅がしたいだけ。


自遊に旅をする。


好きなところへ、

好きなだけいる。


そして、

好きな人と。


決して孤独ではない。

だが、自遊である。



自遊は標榜して止まないが、

孤独はごめんだ。

寂しいがりやなもんで。


「旅して暮らす」という課題とともに

この矛盾をどうするかがもう一つの課題。


一人旅をしていても

不思議と孤独は感じない。


なぜか?


旅は、自ずと人との係わりを求められる。

むしろ、人里離れるのは危険だ。


特に途上国では、

人が寄ってくる。

話し相手には事欠かない。

(時に煩わしい)



スナフキン的にいうなら、


「長い旅に必要なのは、

大きなカバンじゃない。

一緒に歩いてくれる人さ」。



「穏やかな人生を求めてどうするんだ。

退屈なだけだよ」



(読み返してみるとかなり支離滅裂、意味不明。

キリがないから今日はこの辺で)




【追記】


ボクが自由を「自遊」と書くのは理由がある。


自らを由(よし)とする(これはわがまま)のではなく、

自ら遊の道(遊道)を行く、ことを意味する。


遊とは、

単なる遊びではなく、


「遊学」「漫遊」「外遊」というように、

勉学などのために他国へ行く、旅をすることなのだ。


そして、

「遊軍」「遊星」「回遊」「周遊」「歴遊」といったように自由に動きまわること。

できれば、「浮遊」していたい。


または、

「遊民」として人に使われず(命令されず)にいること。

いわゆるノマド(遊牧民)がこれに当たる。


さらに「交遊」として人との交わり、

コミュニケーションを意味する。


また、

「ゆとり」「よゆう」といった意味合いも持つ。



できるなら、

しんにゅう(しんにょう)の中に「旅」と入れたいところだ。







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