眼を開けば僕がいる。 **BNCTに夢を託して**

悪性脳腫瘍の妻との闘病生活を最新の治験療法(BNCT)や免疫療法の体験を交えて・・・。

ひっそりと・・・

2010-03-26 13:39:04 | 日常
昨夜、妻の大のお気に入りである我が家の飼い猫が逝きました。
私の腕の中で本当にあっけなく・・・眠るようなその姿は今にも歩き出しそうで
未だに死んでしまった事を受け入れる事が出来ません。
娘がソックリだからと買ってきたぬいぐるみが今も病室の枕元で妻を見守っています。
明日に葬儀の予約までしているのですが、妻にはまだ話す事が出来ずにいます。

もう5年も前に死んでしまったワンコの散歩途中に懐いて付いてきた野良の子猫でした。
何度か見捨てて帰っていたのですが、ある日帰るとすでに我が家の飼い猫になっていました。
その日から色々な事をその小さな眼で見つめてきた事でしょう。
親と思い慕っていたワンコもすでに亡く・・・
妻の発症から何度も死線を乗り越えてきた様を、その小さな眼で見つめてきたのでしょう。

一人で逝かさなかったことだけが唯一私の救いです。
今更ながら「ごめんね」という思いが眼から溢れます。
さあどうして妻に伝えたらいいか、聞かされた時の妻を思うと言葉が思い浮かびません。
「よく家に来てくれたね」と、明日は感謝の想いで見送ってやりたいと思います。

春がもうそこまで・・・

2010-03-12 15:27:20 | 希望
気がつけば梅も終わり桜の開花ももうそこまでと言う季節になっておりました。
B病院にリハビリ入院してもう少しで2ヶ月が過ぎようとしています。

リハビリと同時にステロイドの服用を中断した事で体重も徐々に減少し、ベッドや
車椅子からの立ち上がり動作も軽快になってきました。
今週に入って杖なしで数メートル歩行する事が出来たり、20メートル程度の杖歩行が
リハビリプログラムに取り入れられるようになりました。

BNCT後の気になっていた障害・・高次脳機能障害ということになるのでしょうか・・
短期の記憶障害や幼児性退行(性格変容)が益々目につくようになりました。
自分の足で歩きたいという欲求とリハビリによるその実現とは相反するかのような帰宅希望・・・。
毎週末の外泊を指折り数えて待ちわびる妻がいます。

先日30年ぶりに学生時代の友人から電話がありました。
脳梗塞を二度発症し一度目に左視野欠損を、二度目には左半身麻痺が後遺症として残され
入院中であるとのことでした。
見舞いに行った病室で、笑顔のまぶしい好青年であった彼の顔には深い皺が刻み込まれ苦悩するその顔を見て、
本来なら30年程度の時を超え学生時代に戻って笑い会える筈であった彼と、互いに居心地の悪さを
感じながらの時間を過ごしてきました。
家に帰って彼からのお礼の電話に出た妻との明るい笑い声に、無情な時の経過を感じずにはおれませんでした。

これからも辛い厳しい時間が過ぎていくのでしょう・・
でも今度は「リハビリ頑張ったからこんなに歩けるようになったよ」と笑顔で顔を合わせたい。
寒く冷たい冬も終わり桜咲く春が彼にも妻にもくる事を信じたい。
真剣にリハビリに取り組む彼らの前で、私の暗い顔は見せられない。
明るく微笑んで見つめ続ける私でなければと・・そう思っています。

そうそう先日、主治医からのメールで今月24日から原子力機構で、
さらに6月からは京大熊取でのBNCTが再開される事を教えて頂きました。
治療を待ち望む方達にとっても、きっと希望に満ちあふれた春がもうそこまで来ていますよと・・・
大きな声で叫びたい気分です。




リハビリ始まりました

2010-01-22 19:32:48 | 希望
18日に入院しました。
B病院がリハビリ入院を受け入れてくれました。
リハビリ病棟の空きが無く一般病棟での受け入れでしたが、
何はともあれリハビリを開始することが出来ました・・・感謝です。

リハビリ病棟への受け入れは発症から60日以内という制限があったのですが、
(今回は12/3の手術から60日になりますので2/3がリミットになります)
幸運にもリハビリ病棟のベッドが空き今日病室を移ることが出来ました。
リハビリ期間は主治医の裁量に任されるようで、ありがたいことに今の妻の状況に理解をしていただき
長期のリハビリ期間を期待できそうです。

何とか妻の思いに応えてやりたい・・・願わくば安定した体調が続きますようにと祈る思いです。
元気に自分の足で歩いて家に帰る日を夢見て頑張ります。

M病院の主治医にリハビリ効果を否定された妻に
B病院の担当医は「大いにリハビリ効果を期待できます。」と受け入れて下さいました。
私達に前を向く力を与えて下さった担当医の気持ちに報いるためにも精一杯前を向きます。




今更ながら・・・

2010-01-09 20:04:55 | 日常
あけましておめでとうございます。
気がつけばもう年も明けて9日になってしまいました。
おかげさまで穏やかな・・本当に穏やかなお正月を過ごすことが出来ました。
長男夫婦も戻ってきてくれ、久方ぶりに家族全員の顔がそろった新年となりました。

年明け早々にリハビリ入院するはずでいた病院の審査委員会に受け入れを断られ新たな受け入れ先を探しています。
それについて言いたいこと書きたいことは山ほど有りますが今は置きます。
今は妻の一歩でも前に進みたいという思いを・・何とか後押ししたいという、そんな気持ちが溢れるばかりです。

先日ある方に(別に隠すことはないのですが)深い言葉を頂きました。
「一日一生」・・・変えることも戻すことも出来ない過去にとらわれるのではなく、
分かるはずもない不確かな未来を不安に思うのでもなく、今日を生きる。
そんなふうに理解していた矢先に、妻に免許証の更新通知が届きました。
タイムカプセルを開いたかのように今日を生きようという思いが一気に5年前の過去に逃げ込みたい思いにとらわれてしまいました。

妻のこの葉書を見たときの気持ちを思うと、泣くでもわめくでもなく私に気持ちをぶつけるでもない妻の姿を見ていると、
神という存在があるのなら何という理不尽な存在であるのかという不遜な思いがフツフツと沸き上がってきます。
それを試練いや罰というのなら受けるべきは妻ではなく私であるはずだと・・・。

今、手元に内村鑑三著の「一日一生」の本があります。
宗教に全く関心の無かった私にとって難解な内容ではあります。
でも今年一年かけて読んでみようと思います。
私の目にその存在を見ることが出来るのかどうか・・・。

確固とした信念を持ったつもりが、ただ一枚の葉書にふらつかされるほどの弱い自分を再認識させられました。
ふらつく足取りで、後ろを振り返りながら先の見えない不安におびえながらいる自分を感じています。
強くなったつもりでいて、強くなれない自分がいます。
それでも妻の前面に風よけとなり、背面に回って支えなければならぬ私でなければなりません。
妻がいるからこそ立っていられる、足を踏み出せる私がいます。
悩み多き一年になるのでしょう。
悩んでも解決できるはずもないのですが、悩めることに僅かに幸せを感じているのもまた事実です。
こうして一日一日が過ぎ、明日に繋がっていくことを・・・。

新年早々分かったような分からぬような支離滅裂な文章を書き連ねてしまい申し訳ありません。
今年もどうぞ宜しくお付き合い下さい。




退院しました

2009-12-25 23:32:37 | 希望
今日無事に退院することが出来ました。
魔法の薬?のおかげか、心配した皮膚移植の必要もなく順調に抜糸も終わり
クリスマスソングの溢れる今日、久々の我が家へと帰ることが出来ました。
本人のたっての意向で来年早々にはリハビリ入院することになっています。
再発の度に苦労したリハビリの成果を帳消しにされ、それでも自分の足で歩こうという強い思いが彼女を支えています。
彼女こそが「うじうじ」と思い悩む私の足下を照らし、往く路を指し示すポラリスそのものです。
うっかりしていると置いて行かれそうです。
一人で生きることの出来ぬ弱虫の私は彼女の後をソッと付いていこうと思います。
どのような新しい年が開けるのか見当も付きませんが一歩一歩、今日のあることに感謝しつつ二人で歩いていこうと思っています。
皆様のエールに感謝しつつ、皆様にも素晴らしい新たな年が訪れますように!
心より・・・メリークリスマス!!

6度目の手術

2009-12-04 08:04:05 | 希望
昨日6度目の手術が行われました。
経過は順調、今頃はまだICUで苦悶している事と思います。
こんな辛い思いを6度もさせてしまった。
でも明日を見るためには避けて通れない・・・そんな思いが錯綜しています。

11月30日の外来診察で思いもよらず「今週木曜日の手術予定がキャンセルになったんですが手術を受けられますか?」
という主治医の言葉に一も二もなく即断。
翌12月1日の入院そして12月3日の手術と慌ただしく時間が過ぎていきます。
さすがに6度目の切開、縫合とあって皮膚の状況は思わしくなく、皮膚移植も視野に入れての手術となりました。

手術前日の諸々の説明と承諾書の署名・・・去年も、いや今までもこんな事やっていたんだっけ。
きっと顔色もなく上の空で手術までの時間を過ごしていたんだと・・・今にしてそう思います。
そんな中で妻は毎回、死への覚悟を決めて生への執着を持って・・・辛い痛みを苦しい時間を過ごしてきたんだと思うと、
眠る彼女を見つめる眼がぼやけてしまいます。

のぞき込む私の顔に目を見開いて答える妻に「おかえり」というのが精一杯でした。
さあまた明日がある・・・また二人で歩ける・・・。

自宅待機

2009-11-23 09:26:03 | 日常
あっという間に11月も半ばが過ぎてしまい、師走がもうそこまで迫っています。
パソコンの前からもすっかりご無沙汰になってしまいました。

今は一時退院しています・・・というか退院させられてしまったというか・・・?
手術の日程が12月にずれ込みそうという事で・・自宅待機という事になりました。
入院中も血糖コントロールに苦しみ一日7回の血糖値測定と4回のインスリンの注射で
指先もお腹も可哀想な状態になってしまいました。
それでも血糖値は200台から下がらず・・まあステロイドの服用を続けながらですから仕方がないのかも・・。

病院食のおかげで?従来入院中にダイエットできていたはずが、今回は糖尿食になっているのにもかかわらず
逆に体重が増えてしまいました。
12日に退院後も一日4回のインスリン注射を欠かす事は出来ず
(今となってはこの日のための予行演習が父親へのインスリン注射だったのかと・・複雑な心境)
職場に連れて行き、一日中一緒に過ごしています。
それでもやっとこの二三日で血糖値も100台に落ち着いてきたようです。

リハビリどころではなくベッドで過ごす時間が大半になってしまいましたが、焦らず手術の日を待ちたいと思います。
なんとかお正月には家で過ごさせてやりたいと思ってはいるのですが、12月が近づくにつれ気持ちがざわついてくるのは否めません。
が、これもまた平穏な一年を過ごすためと考え、しっかり前を向いて行きたいと思っています。

落ち着きましたら、再び希望に溢れたブログの更新が出来るようになればと願うばかりです。


笑って来年の話が出来ます

2009-11-04 13:25:57 | 希望
MRIの結果癌性髄膜炎の兆候は見られませんでした。
また髄液検査の結果も病理検査の結果こそまだ出ていませんが、
主治医の判断では髄液播種の所見は見られないと言う事でした。
もちろん病理検査の結果待ちですし、週に一度の検査があと二回残っていますので
楽観は出来ませんが光明が見えたように思います。

先日再発を知らされ凍り付いた状況に戻っただけなのですが、
精神的には大違いでホッと胸をなで下ろしている自分が馬鹿みたいです。
もうこの世の終わりかと思った気持ちが同じ状況下の今喜びに溢れている、
この節操のなさに我ながら呆れ果てます。

体調も血糖値が落ち着くとともに安定しだしたようです。
このまま来月初旬までには手術をし、お正月は自宅で過ごせるよう頑張りたいと思います。
(来年のこととて気の早い話ですが・・・もう鬼も一緒に笑ってくれ!

たった一月前のこと

2009-10-30 22:19:17 | 迷い
再発がわかった時は、まだ体調はごくごく普通の状態でした。
それからは本当に坂道を転げるように体調は悪化する一方でした。
もともと麻痺側の左足は動かないのですが、健側の右体側がそれをカバーして動いていたのでしょう。
健側の状態が悪くなると見る間に体全体の動きが悪く・・・いえ動かなくなりました。

そのうち手の動きが変に彷徨い始めました。
使い慣れたはずの洗面所の蛇口、車いすのブレーキ、妻のために使いやすいように設置した諸々のスイッチ類さえ探し回る
右手の動きに異変を感じました。
ひどい頭痛を訴えました。
夜中に泣きじゃくるほどの痛みを・・・痛み止めなど効くはずもありません。

主治医と何度かのメールのやりとりの末診察・・そして検査の結果空腹時血糖値は592という恐ろしい数値を刻んでいました。
「この数字をみたら帰ってもらうわけにはいきません。」とその場で入院が決められました。

入院した一週目が終わろうとしている今・・・たった一月前のことを思い出します。
あの眩い光に満ちあふれたドームは夢の世界だったのでしょうか。
主治医は今、髄液播種を疑って・・いや半ば確信しているのかもしれません。
今の私は違うほかの原因であるはずだと・・いやいやする子供のように逃げ道を探しています。

入院前の自宅で録画していた救命病棟24時を見ていたときのこと。
心停止した患者の心臓マッサージをしている場面を見て「私はきっと・・きっと帰ってくるから」と私に泣きながら訴えるのです。
揺れ動く私の心にはきつい叫びでした。

今「冬ソナ」を性懲りもなくまた一人で見ながらブログを綴っています。
チュンサンもユジンもたまらなく愛おしいですね・・・。
もう何を書いているのか・・・支離滅裂ですね。
私の心も壊れかけているのでしょうか。

いや・・・それでも。
必ず帰っておいで・・・いつも・・いつまでも見つめているよ。
眼を開けば僕が見える。

眼を開けば僕がいる。

再発・・・・ですか。

2009-10-11 16:02:48 | 不安と絶望
その瞬間、私の中で時間が止まりました。

10/8にPETを受診し10/9にMRIその後全てのデータを持って定期的な経過観察の外来受診をしました。
PETの結果では全身に新たな転移は見受けられず、鎖骨の骨転移部は前回と変わりなくコントロールされている。
BNCTでたたいた腫瘍は残存しているものの縮小傾向にある。
全く問題ないですねとMRIの画像をスクロールしていた主治医の手が止まりました。

慌ただしく前回のMRIの画像を引っ張り出し慎重に見比べている。
主治医の背中越しに見る画像に嫌な予感が・・・。
これは腫瘍ですね。
妻も同席している事から慎重に言葉を選び「再発」とは言わず、そんな言葉が主治医の口から飛び出してきました。
体は凍り付き・・・頭の中は真っ白になってしまいました。
私の耳元でささやくように「もう放射線は使えませんよ」と・・・ラストチャンスのBNCTであったことは百も承知のはず・・・。
一ヶ月後のMRIを見て手術しましょうと・・・泣き出す妻に「何とかするから」と頭の縫合痕を確認しながら言う主治医の言葉。

選択肢は手術しかない・・・。
去年6月の4度目の手術の後・・・1ヶ月で複数の腫瘍が確認された悪夢がよみがえります。
そうなってしまっては、何かあっても為す術はないと腹をくくった覚悟だったはずなのに・・・
何とかしなければ、何とかしなければという言葉だけが頭の中を駆け巡っている。
表面はこうなった時の覚悟はとっくに出来ていますよと言う顔つきで頭の中は真っ白な状態で診察室を出てきました。
偉そうに身構えていたはずの覚悟は何ともあっけなく崩れ去りました。

院外処方された薬の受け取りと会計を済ませ院内の食堂で昼食を取りました。
冴えない表情に弾まない会話、出てくるのはため息ばかり・・・。
そんなときBGMに流れ出した曲がありました。

もう40年近く前に結婚前の妻と見た「ラ・マンチャの男」のテーマ「The impossible dream」でした。
ピーター・オトゥール扮するドン・キホーテの歌うこの曲に心酔し、私の人生の応援歌と感じ入ったその曲でした。

諦めてたまるか・・・もう一度一から闘おうと誓いました。
この曲を、苦しい闘いのなかにおられる皆様に捧げます。

「The impossible dream」

To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go

To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from afar
To try when you arms too weary
To reach the unreachable star

This is my quest to follow that star
No matter how hopeless ,no matter how far
To fight for the right without question or pause
To be willing
To march into hell for a heavenly cause

And I know
If I'll only be true to this glorious quest
That my heart will lie peacefull and calm
When I'm laid to my rest

And the world will be better for this
That one man scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable stars!