・今月のMyWord(4月)
~赤壁の戦で魏の曹操が負けなければ、三国志はなかった!?
赤壁の戦いで、呉の周愉が、魏の曹操軍に勝利しなかったならば、三国志はなかっただろう。なぜならば、三国志といいうのは、赤壁よりもかなり後になって、劉備玄徳が蜀を建国したことによって成立する。つまり、蜀に玄徳、魏に曹操、呉に孫権とそろいぶみして、はじめて三国が成立し、三国志にいたるから。曹操が赤壁の戦いで、呉に勝利してしまえば、呉を併呑するのは目に見えている。そのとき、玄徳や孔明は流浪の集団に過ぎなかった。曹操をとめられるわけがなかったのだから、曹操が天下を統一していただろう。そういった意味で、この赤壁の戦いというのは、本当に大きな意味があった。そして、魏に勝利した周愉は見事な戦い方だった。彼こそが、三国志いちの英雄かもしれない