超級龍熱

香港功夫映画と共に

李小龍追悼特別企画 “天皇巨星”ジミー・ウォングが“功夫巨星”ブルース・リーを語る時!②

2018-07-20 00:10:49 | 闘神伝説~李小龍

さて、“暗黒”・・・いや“天皇巨星”ジミー・ウォングとのインタビュー第1戦を終えた私ですが、すぐ翌日にキングレコードさんのジミー主演作品DVDの映像特典用インタビューである第2戦が待っていました。このインタビュー第2戦のプレッシャー、それはとても第1戦の比ではありませんでした。

何故ならDVD特典向けのインタビューは当たり前ですが映像としてこれからも永久に残りますし、ジミー主演作品5本全てに関する質問をジミーに訊くため、インタビュー時間も午前中2時間、午後2時間と約4時間弱と長時間の収録になるからです。
このジミーとのタイマンインタビューでは、私がジミーを“毒の花”とか“暗黒武打星”とか好き勝手に書いている拙著「香港功夫映画激闘史」を誰だか知りませんが、その場でジミーに読ませていたり、インタビュー開始直後にインタビュー会場の電気が突如飛んでジミーがキレそうになったりと、様々なハプニングが起きた事は以前にも書きました。

実はこのインタビューで私がジミーにどうしても訊いてみたい作品がありました。それが「五金剛」(75)でした。
「五金剛」は1975年にイギリスとドイツの合作として製作され、そのキャストもオリバー・リード、スーザン・ジョージ、パトリック・ウェイン、三船敏郎(!)、そしてジミー・ウォングと世界から豪華な面子が集結した大作でした。ところがイギリスで撮影が開始されてから10日後にドイツ人の出資者が突如失踪したため製作が中止となる事態が起き、映画はそのままお蔵入りし、最終的に“幻の作品”となったのでした。ところが、この「五金剛」は撮影済みだった約20分ほどのカラー映像が現存しており、私は幸運にもその映像を1990年代中盤に観る事が出来ました。
注目のジミーと三船さんの絡みですが、豪邸の庭園のような場所でジミーと何故か忍者ルックの三船さんがお互いにお辞儀をしたり、邸内で主要キャストたちがテーブルを挟んで会食したりと、まさに香港と日本を代表する巨星2人の顔合わせに息を呑んだのを覚えています。

私がジミーとのインタビューで「五金剛」について訊くと、ジミーは台湾から持参した自分の主演作品のスチール群の中から唯一ラミネート加工された「五金剛」のスチールを大切そうに取り出し「ああ、この映画では日本のミフネサンと共演したな。残念ながら製作費が足りなくなって映画は未完成に終わったよ」と懐かしそうに語ってくれました。
さて、この“天皇巨星”と“世界の三船”の世紀の顔合わせが実現した「五金剛」ですが、もしかしたら・・・今年の秋に何とぉ!本作を日本で観れる可能性があるかも知れません!
諸事情でまだそのプロジェクトの詳細は明かせないのですが、もし無事にこの「五金剛」が日本で日の目を見た際は「ああ、龍熱があの時言っていたのはこの事だったのか!」と思い出して頂ければ幸いです(^_^)。
さて、ジミーとのインタビューも午前中の収録を終え、お昼タイムとなり、私たちは“天皇巨星”と一緒に餃子弁当を食べる栄誉(?)を授かりました。
ここでのジミーはお昼を皆で食べている気安さからか「おう成龍な、アイツは今でも俺から電話がかかって来ると電話を持ったままその場で直立不動だよ。台湾女優の⚫⚫⚫な、あれはセットの真ん中で煙草をプカ~ッなんて吹かしやがってありゃ駄目だね。袁和平か、アイツは俺の映画で絡みやっててよく蹴っ飛ばされててなぁ。やっぱり俺たちの時代は劉家良師父だよ。劉師父は本物だったよ!」と、横で聞いてる私がヒヤヒヤするほど何人もの大物映画人を次々と一刀両断していったのでした。
しかし、この直後、昼の休憩時間の最後の最後にジミーが私に向かって切々と語った言葉こそ、その1つ1つが私の心に今も強く刻まれる事となる金言となったのでした。

ジミー「お前、さっきインタビューで山茅の事も訊いて来たな。まさか山茅の事まで訊かれるとは思わなかったよ。山茅はタクシーの運転手と喧嘩して殺されちゃってなぁ・・・。お前の書いた本も読んだけど、お前は大した奴だな。あと李小龍だけどな、結果的にだけどアイツは32歳で死んだのは良かったかも知れないぞ。だって李小龍はこれからも永遠にあの32歳の若さのままなんだからな。お前は俺の腕がまだこんなに太いとか言ってくれるけど、俺の顔を見てみろ。皺が沢山あるだろう?人間が歳を取るっていうのはこういう事なんだ。でも李小龍はこれからもズッとあの32歳のままなんだぞ?」

私が何故このジミーがリーさんについて静かに淡々と語った言葉が強く心に残ったのか。
それは1973年に私たちが「燃えよドラゴン」でリーさんと初めて出会った時、既にリーさんはこの世を去っていました。
自分が夢中になり、熱烈に憧れ、崇拝する武打星の存在を知った時、その武打星がもうこの世にいない。その武打星には絶対に、決して会えない。
1人のファンとしてこれほどの喪失感と寂しさはありません。これはリーさん、いえブルース・リーのファン以外には決して理解出来ない感情です。
その宿命という名の重荷を背負い、またその重荷をリーさんに対する限りない敬意と愛情に変える事で私たちリーさん信者はその“ドラゴンの道”を今まで歩んで来たのです。

でも、そのジミーの温かく慈愛に満ちた言葉は、私たちに自信と勇気を与えてくれました。そう、私たちリーさん信者は“天皇巨星”の言葉に救われたのです。

そうだ、そうなんだ。リーさんはこれからも永遠に32歳のままなんだ。永遠にあの黄金に光り輝くドラゴンのままなんだ。これでいいんだ。これで良かったんだ!

合計4時間弱のインタビューが無事に終わり、心地好い安堵感を感じながら私は恐る恐るジミーに歩み寄り私とのツーショット写真をお願いしました。私の頼みを聞いたジミーは無言で私と並びカメラに視線を向けたかと思うと、徐に後ろの窓を振り返り「これだと逆光だな?」と呟くと片手でサーッとカーテンを引いてくれました。
その際に撮ったツーショット写真と共に、前日の映画雑誌のインタビュー取材後に撮ったツーショット写真が今回初公開となるご覧の写真です。このジミー・ウォングとのツーショット写真は香港功夫映画評論家である私の宝物の1つです。

今回、何故リーさんの命日に敢えてジミー・ウォングの特集を組んだのか。その理由は幾つかありますが、まず近い時期にジミーが出演した“幻の大作”「五金剛」が日本で観られる可能性が出て来た事。
さらには最近ある映画人の方から「台湾のジミーさんと連絡が取れない。もしかしたらまた体調を崩して入院しているのかも知れないな」と聞き、ならばこうして私がジミーの特集を組む事で皆さんに“天皇巨星”の雄姿を思い出して頂き、それを台湾のジミーに熱きエールとして送りたい!と思ったからでした。

そして最後にして1番の理由。それは長い激動の映画人生において破天荒かつ奇抜なアイデイアに満ち溢れたクンフー映画を次々と世に送り出し、一切の迷いもなく一直線に娯楽映画の王道を突き進む事で李小龍の“猛龍革命”にただ1人敢然と対抗して見せた“天皇巨星”ジミー・ウォングこそが“功夫巨星”李小龍を堂々と語る事が出来る唯一の武打星だからです。

ジミーさん、出来ることなら・・・もう1度貴方に会いたいです。もう1度会ってもっともっとリーさんや邵氏公司時代の思い出話を聞きたいです。もし出来ることなら・・・。

 そう、“天皇巨星”ジミー・ウォングが“功夫巨星” ブルース・リーを語る時!それは香港クンフー映画の“生きる伝説”がもう1人の“伝説の猛龍”に真っ向から、そして最後にして最大の“龍虎の闘い”を挑む時なのである!
“功夫巨星”よ、“天皇巨星”よ、偉大なる2人の巨星たちよ、共に永遠なれ!誠意献給一代巨星、李小龍!!

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2 コメント

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Unknown (黒龍)
2021-09-18 18:08:16
その筋を使って我らがリーを葬った話が濃厚なのに。某プロデューサーの依頼でね。いづれ明らかになるでしょう。
Unknown (dragonfever1127)
2021-09-18 22:53:40
黒龍さん、

こんばんわ!その筋ってどの筋ですか?某プロデューサーって誰ですか?いずれって何時でしょうか?
失礼ながら貴方の話には何1つ具体的な部分がない。何故なら全てが又聞きだからです。
私はジミーウォング本人にインタビューしている人間です。私はジミーから直接聞いた話を信じます。