超級龍熱

香港功夫映画と共に

What was Artport and GOD?⑦(大結局)アートポートと「GOD」とは何だったのか?

2020-01-09 12:45:02 | 闘神伝説~李小龍

私が「BRUCE LEE in GOD/死亡的遊戯」を内覧試写で観た直後にした事。それは映画のクライマックスに登場した五重塔内のリーさんこと李小龍の動きや表情の一つ一つを忘れずに覚えておこう!何とか忘れないでおきたい!と懸命に記憶を辿る事でした。それはあの1974年に私がリアルタイムで体験した“ドラゴンブーム”、いや“空手映画ブーム”で、まだビデオデッキが無い時代に映画館で観たリーさんや倉田さんのアクションを家に帰ってから一生懸命何度も何度も思い出しながら「怪鳥音肉声入り!」のサントラを聴きまくった龍熱少年と全く同じ行動でした。

この「GOD」が公開された当時の私はどちらかと言えば次々と公開される甄子丹や李連杰の新作主演映画に傾倒していた時期でした。
今から考えれば、それはリーさん信者にあるまじき行為でした。
ただそんな私をリーさんはこの「GOD」で「さあ、二郎、ミーのところにまた戻っておいで!」と襟首を掴んで力強く引き戻してくれた。そんな気がするのです。
そう、今から30年近く前に香港のスタジオの五重塔を模したセット内で、このような前衛的で革新的な格闘アクションを秘密裏に撮影していた李小龍はまさに稀代の革命家だった!!

いま龍熱はここに問う!「GOD」を製作したアートポート社とは何だったのか?
「GOD」2003年バージョン公開直後、私が所用で青山にあったアートポート本社を訪ね、ビルの1階でミーティングをしていると、私の来社を知った松下順一社長が上階の社長室から1階に降りて来て私に挨拶をしてくれました。

松下社長「あなたが龍熱さんですか?いや〜インパクトありますねー!」

私は穏やかな笑顔でそう声をかけて下さった松下社長に対して敬意を込めて椅子から立ち上がると、その場でガッチリと握手を交わしたのを覚えています。私と松下社長のたった1度だけの対面でした。
その松下社長率いるアートポート社とは何だったのか?それは世界中の誰よりも李小龍を愛する日本人が製作し“世紀の闘神”李小龍本人のクンフーアクションが映画のクライマックスに用意された最後の劇場公開作品を世に送り出すため、そのために存在した映画製作会社だったのである。
だからこそ日本人よ、改めてこの「GOD」が日本人の手で世に生み出された事を誇り胸を張れ!!

いま龍熱はここに問う!「BRUCE LEE in GOD/死亡的遊戯」とは何だったのか?
それは甄子丹や李連杰主演作に傾倒していた龍熱の心に“知識を探求する人間物語”と言う名の壮絶にして革新的なクンフーアクションで、再び熱き“猛龍魂”を取り戻してくれた宿命の映画。それはまさに“本物”だけが見せる事が出来る“本物”による絶対の真実、その証明!
それが「BRUCE LEE in GOD/死亡的遊戯」だったのである。

1973年の暮れに「燃えよドラゴン」(73)で初めて出会ってからこの「GOD」で28年、李小龍は私を、いや私たちを決して裏切らなかった。それは47年間という長い年月を経たいま現在も変わる事はない。
そう、“本物”は決して裏切らない!李小龍は決して私たちを裏切らない!今までも、そしてこれからも。
No Game of Death No Life.Yes No Game of Death No Life!!

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 英雄か?爆破テロ犯人か?真... | トップ | 龍熱者たちよ、衝撃の「龍熱... »
最新の画像もっと見る