Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 山水文花生

2021年04月15日 15時42分04秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 山水文花生」の紹介です。

 

立面(正面と仮定)

 

 

正面から左に90度回転させた立面

 

 

正面の反対側の立面

 

 

正面から左に90度回転させた立面

 

 

斜め上方から見た面

 

 

底面

 

生 産 地 : 肥前・波佐見

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;4.5cm 最大胴径;9.0cm 高さ;17.7cm 底径;7.1cm

 

 

 この花生は、平成6年に(今から27年前に)買ったものです。

 昔は、「磁器創始⇒天狗谷窯⇒初期伊万里」という図式は、もう、伝説的なまでに固まっていましたし、このような手は、天狗谷窯で焼かれた初期伊万里と相場が決まっていました。

 しかし、伊万里焼の研究が進み、平成6年頃には、どうも、この手は、天狗谷窯で焼かれたにしても、必ずしも初期伊万里とは言えないらしいということが言われるようになってきていました(~_~;) 天狗谷窯は、江戸中期以降も活躍していたらしいことが分かってきたからです。

 この花生も、それほどの古格が感じられないところですし、胴に大きな縦のニューが走っていることもあり、値段的には初期伊万里よりは安く売られていました。まっ、中途半端な値段で売られていたわけです。

 それでも、私は、この花生を買った平成6年の時点では、江戸中期はあるだろうと思って買ってきたところです。

 しかし、その後、更に研究が進み、この手のものは、鍋島藩領内の有田ではなく、大村藩領内の波佐見で、江戸後期に、しかも、大量に生産されたものであることが分かってきました。

 伊万里の研究は日進月歩です。それについて行くには、常に勉強を続ける必要があるようです。

 ところで、この花生につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも既に紹介しているところではありますが、そこでは、「生産地:肥前・有田」を前提とし、製作年代を江戸時代中期として紹介しています。

 参考までに、次に、その紹介分を再度掲載いたしますが、その点をご理解いただいてお読みいただければ幸いです。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー138 古伊万里様式染付山水文花生  (平成21年8月1日登載)

 

 

 一見初期伊万里風! でも、初期伊万里とはいえないよな~と思って購入。平成6年のことであった。

 その後、この手の物は、江戸中期にも盛んに作られていたことを知る。

 古美術の世界も、だんだんと、感覚的な世界から学問的な世界へと変遷している。日々、学問的な努力をしていないと取り残されそうである。

 今後とも、学問的な研鑚に努め、時代遅れとならないようにしようと思う。

 この花生には、胴に大きな縦のニューがある。そのため、水が漏って花生には使えないのだろうと思い、買ってすぐに押入れにしまい込み、それっきりにしてしまったものであるが、先日、押入れから引っ張り出してみた。

 水を入れてみたが水は漏らないようなので、妻が花生として活用しそうである。

 胴の大きな縦のニューは、たぶん、昔の所有者が、冬、水を入れたままにしておいたため、厳寒の凍結の際に出来たのであろう。

 そのことは、以前、甕に水を張って金魚を飼っていたところ、冬、一面に凍結した際に甕にニューが入ってしまった経験があることから分かるのである。その時、自然の力の偉大さに、改めて敬服したことを覚えている。

 

    江戸時代中期     高さ:17.7cm   高台径:7.1cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌71 古伊万里との対話(山水文の花生) (平成21年7月筆) 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  山 男 (古伊万里様式染付山水文花生)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今度はどれと対話をしようかと思い、例によって「押入れ帳」をパラパラッとめくっていたが、「花生」の項目に目が留ったようである。
 ところが、主人は、その「花生」なるものがどんなものなのか、すっかり忘れてしまったようで、とりあえず押入れから引っ張り出してきた。

 


 

主人: 「押入れ帳」で花生の項目を見つけたんだが、どんな花生だったのかすっかり忘れてしまった。お前だったのか・・・・・。
 「押入れ帳」によると、お前は、平成6年に我が家に来ているから、それから15年も経っているものな。15年も見てないと忘れてしまうよ・・・・・(汗)。

山男: ご主人は、どうして「花生」に興味があるんですか。

主人: それはね、妻から、「いつも同じ花器ばかりを使ってお花を活けていますと活けずらいんです。他に花器はないんですか?」と言われているからなんだ。
 それに対しては、押入れ内を捜すのも面倒なので、「他には特にないな。」と返答していたんだけどね。また、「弘法筆を選ばず」って言うじゃないの、技術があれば、花器なんてどんなものでも活けられるんじゃないのと言ってるんだよ。でも、もっと他に1~2点は押し入れ内にあったような気はしていたんだ。それで、先ほどお前を押入れから引っ張り出してきて妻にも見せたところだ。

山男: そうでしたか。それで、気に入っていただけそうですか・・・・・?

主人: 花生に使えそうだね。妻も気に入ったようだから、これから、「今月の作品紹介」に時々登場するかもしれないな。

山男: ところで、私は「初期伊万里」には属さないんですか?

主人: そうね。昔は、磁器は、金ケ江三兵衛(李参平)が泉山で陶石を発見し、元和2年(1616)に有田の上白川の天狗谷窯で創始した、と信じられていたし、天狗谷窯で焼かれたものは、本などで、お前のようなものだったと紹介されているからね。昔だったら、「初期伊万里」で通ったかもしれないな~。
 ところが、その後の発掘調査などの結果、天狗谷窯は、伊万里焼の最初期の窯ではないことがわかってきた。伊万里焼の発祥窯は、天狗谷よりもずっと西に位置する天神の森窯などであることがわかってきたんだ。
 天狗谷窯は、初期伊万里を焼いた窯としては本流の窯ではなく、むしろ亜流の窯だったということがわかってきたわけだ。しかも、天狗谷窯は、江戸中期以降にも再興されていて、17世紀から18世紀まで長く存続した窯であることも判明した。

山男: そうでしたか。天狗谷窯は、初期伊万里を焼いた窯としては本流の窯ではなかったんですね。しかも、江戸中期以降まで焼き続けられていたわけなんですね。

主人: そうなんだ。昔は、伊万里焼は天狗谷窯で創始されたと信じられていたから、天狗谷窯で焼かれたとされるものは初期伊万里と分類されていた。江戸中期以降に活動していた天狗谷窯で焼かれたものも初期伊万里に分類されてしまっていたわけだね。まぁ、曖昧だったわけだ。

山男: ご主人も、私のことを初期伊万里として買ったわけですか?

主人: いや、そうは思わなかったな。だいたいにおいて、お前には、古格というか、初期伊万里的な風格のようなものが感じられないものね。一見、初期伊万里のように見えるけれども、なんか、初期伊万里とすることには違和感を感じるものね。
 もっとも、先程も言ったように、お前のことは、平成6年に買ったわけだが、その頃になると、既に、どうも天狗谷窯は伊万里焼発祥の窯ではないらしいという噂は一般骨董市場にも伝わってきていたけどね。
 一部の研究者の間においては、先程言ったような磁器発祥の事情は十分に納得されていたんだろうが、まだ一般には馴染みがなかったと思うね。特に、こんな田舎においてはなお更だったね。伝説的な程に固まってしまった見解というものは、なかなか覆らないよ。

         磁器創始⇒天狗谷窯⇒初期伊万里

という図式は伝説的なまでに確固たる地位を確立してしまっていたので、そうそう簡単には覆らず、これと異なった図式が、一般のコレクターに受け入れられるまでには時間がかかったと思う。

山男: 平成6年頃の骨董市場における私の位置といいますか、価値といいますか、値段はどのようなものでしたか。

主人: 初期伊万里は今でも高いが、平成6年頃も高かった。でも、当時、既に、何度も言うようだが、お前のようなものはどうも初期伊万里ではないらしいということが骨董市場では認識されていたのか、初期伊万里としての値段ではなかった。「初期伊万里かな~? いや、ちがうのかな~?」という値段で、中途半端だった。胴に大きな縦のニューがあるが、そのニューによる値引きを考慮に入れても初期伊万里の値段よりは安かったね。


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4 コメント

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Dr.Kさんへ (遅生)
2021-04-15 17:14:59
茶筅型というのでしょうか。特徴的な形の花生けですね。
これなら気に入っていただけるでしょう。

染付の色や高台の造りなど、私なら、おお、初期伊万里をゲットしたぞ、と喜んで連れてかえるでしょうね。

でも、そう言われてみれば絵に力と深みがない、風情と余韻に欠ける、などと分かったような事を述べてしまいそうです。人間の感覚は勝手なものですね(^^;
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遅生さんへ (Dr.K)
2021-04-15 21:24:47
妻は、この花生は気に入ったようで、時々使っているようです(^-^*)
古九谷の大皿では、使われる度にハラハラしますが、これなら、安心していられます(^-^*)

これ、ちょっと見には、初期伊万里と思ってしまいますよね。
でも、暫く見ていますと、やはり、「何かな~」となりますね。

江戸後期の波佐見が正解かどうかは分かりませんが、その辺に位置付けますと、座りがいいようですので、そのようにしてみました(^_^)
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Dr.kさんへ (酒田の人)
2021-04-15 23:38:59
とても個性的な形の花生けですね~、初めて見た形です
確かに一見すると初期~古九谷様式の雰囲気がありますが
くらわんかと同様に波佐見で焼成された品なんですね。
私の場合、今でも「初期ですよ」とか言われたら、そのまま信じてしまいそうです。
こういった個性的で魅力のある品を見逃さないのがドクターさんの真骨頂ですね!
私も見習いたいです。
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酒田の人さんへ (Dr.K)
2021-04-16 08:43:43
ちょっと形が変わっていますよね。
伊万里ではあまり見かけないものですから、波佐見にしてみました(~_~;)
江戸後期の波佐見に位置付けると、なんとなく収まりが良いように思います(^_^) (←自己満足)

本音を言いますと、私も波佐見焼のことはほとんど知らないんです。
これまで、伊万里ばかり追いかけてきていて、波佐見などは偽古伊万里と思って故意に避けてきたからです。
これからは、広く、古伊万里=肥前磁器として捉え直して考えていかなければならないのだな~と思っています。
ですので、波佐見については一年生です(^_^)
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