Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 花籠犬文 中皿

2021年07月14日 13時46分26秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 花籠犬文 中皿」の紹介です。

 

表面

中央の花籠文の左右には2匹のワンちゃんが描かれています。

向かって左側は口を開け、右側は口を閉じ、2匹合わせると、「阿吽」となります。

狛犬さんを倣っているのでしょうか、、、。

 

 

向かって左側のワンちゃんの拡大

口を開けていて、「阿」になっています。

 

 

向かって右側のワンちゃんの拡大

口を閉じていて、「吽」になっています。

 

 

底面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;22.6cm 高さ;3.3cm 底径;12.5cm

 

 

 なお、この「色絵 花籠犬文 中皿」につきましては、既に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介しているところです。

 そこで、その時の紹介文を、次に、再度掲載し、この「色絵 花籠犬文 中皿」の紹介といたします。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー86  古伊万里様式色絵花籠犬文中皿     (平成17年5月1日登載)

 

 

 最近、相互リンクしている「アンティークギャラリー猫の蔵」さんチに洋犬図の蓋付碗がアップされた。確か、我が家にも洋犬図のものがあったはずだと思い、押入れの中を捜して見つけ出してきたのがこのお皿である。

 今回は5月のアップだから、「こいのぼり」でも描いてあるお皿でもアップできれば最適であるが、そんなものを我が家のような貧庫に期待できるわけもなく、安易に、「アンティークギャラリー猫の蔵」さんチを真似て、洋犬図のお皿をアップすることにしたものである(^^;)

 ところで、この洋犬図のお皿、今、改めてよく見てみると、2匹の犬は「阿」、「吽」になっている。向かって左の犬が口を開けているから「阿」であり、右の犬は口を閉じているので「吽」である。そう思うと、案外、これは洋犬を描いたものではなく、狛犬を描いたものなのかな~などと思ってしまう。

 でも、やはり、このお皿は、恐らくヨーロッパに輸出されたものであろうから、ヨーロッパの人々の好みに合わせて、狛犬のポーズにヒントを得ながら、洋犬を描いたものにちがいはないのだろうと思っている。

 ともかくも、遙か遙かの昔、ヨーロッパに旅立ち、今、300年の時を経て生まれ祖国に戻ってきた!

 それにしてもこのお皿、満身創痍だ。口縁には3箇所の補修箇所があり、ニューまである。 
 その間に何があったのだろうか? 王侯貴族達の食卓に上ったこともあるかもしれない、、、。飾られて、王侯貴族達の目を楽しませたかもしれない、、、。その間に、粗相されて傷付いてしまったのだろうか、、、。或いは戦乱に巻き込まれて傷付いたのだろうか、、、。
 思いは幾重にも巡り巡る。でも、このお皿は黙して語らない。

 無傷で里帰りしたものにも拍手喝さいを送りたいが、こうして満身創痍で里帰りしたものにこそ拍手喝さいを送りたい。「お帰り! ご苦労様!!」と、、、、、。

江戸時代中期   口径 : 22.6cm

 

 

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*古伊万里随想35  瞼の古伊万里(平成17年5月1日登載)(陶説629号;H17.8月号)(平成16年11月筆)

 

  

 昭和50年の頃だろうか? 私が、まだ、今のようにコレクションの重点を古伊万里にシフトしていない頃の話である。

 とある古美術店の一番奥まった床の間ともいうべき場所に、ポツリと一つ、土物の徳利が置かれていた。総体に飴釉が掛けられたにすぎない、何の変哲もないものではあったが、妙に存在感があった。高さが25センチメートルほどある、やや大振りの徳利だったからかもしれない。しかし、花が生けられているわけでもないのに妙に目立ったのである。たぶん、胴に大きく「享保」という文字が描かれていたからであろう!  

 もっとも、特に何の意味もない文字が二文字描かれていただけだったとしたら、そうは感じなかったであろうと思う。「享保」という年号を示す文字がそうさせたのである。年号を示す文字には、そんな魔力を宿しているのではないだろうか! 特に、誰でも知っているような有名な年号の文字には!!

 「享保」の文字を見た瞬間、「享保」の世界へタイムスリップしたかのような錯覚を覚えたのだ。一瞬にして周り一面が「享保」の世界となってしまったのである。その時、文字は単なる文字ではなく、その時代へとタイムスリップするためのパスポートと化したのであった。

 年号入りの器には、そんな不思議な力を有しているのではないだろうか! 私にはそう思えてならない。もっとも、その時の徳利については、高嶺の花で、とてもとても手を出せるような状況ではなかったので入手は見送ったが、それ以来、年号入りの器が頭から離れなくなり、あこがれるようになったのである。

 それから数年後の昭和53年のこと、高台内に「安政年製」と描かれた伊万里の火入を見つける。ただ、「享保」の時のように、胴に大きく文様のように描かれていたものではなかったので、安政時代へとタイムスリップさせるパスポートの役割を果たすほどの力は持ち合わせてはいなかったが、私を満足させるには十分であった。

 更に2年後の昭和55年、今度は、やはり高台内に「文化年製」と描かれた伊万里の蕎麦猪口に遭遇した。ただ、五客揃いではなく、四客しかなかったが、「そのうち一つぐらいは出てくるだろう! いずれ五客揃いになるよ!!」と思って購入に及んだ。しかし、そのうちに熱が冷めたせいもあり、いまだに四客のままである。

 次に、6年ほどが経過した昭和61年には、やはり高台内に「天啓年製」と描かれた、今度は、伊万里とはちがう、古染付の小皿を発見した。この頃には既に、コレクションの重点を古伊万里にシフトしてはいたが、古染付は古伊万里の先輩格でもあるし、古伊万里コレクションの参考資料になるだろうという思いで買い求めた。

 ところで、コレクションの重点を古伊万里にシフトするに従い、いつしか、古伊万里関係の本にしばしば登場してくる「承応弐歳」銘の小皿にあこがれるようになった。また、年号についてのあこがれの意味も、当初の土物の徳利に、「享保」と、文様のように描かれていたことに対する思いとは別なものとなっていた。年号を時代考証の根拠として見ることに魅力を感じるように変質していたのである。

 そうはいっても、「承応弐歳」は古い。1653年のことであるから、今からおよそ350年も前の話だ。その頃の物だって残っているのが不思議なくらいなのに、ましてや「承応弐歳」とまで描かれた物など残っているのが奇跡に近いことだろう。そう考え、あこがれはあこがれとして、夢は夢として、そっと胸に収めてきた。

 ところがどうしたことだろう! それが、最近、忽然と、眼前に現われたのである!! しかも、伝世品が、手の届くような値段で!!!

 だが、ふと我にかえって冷静に考えたとき、もう既に自分にはそれを買い求めるだけの力を失っていたことに気付く! 「手の届くような値段」ではなくなっていたのである!!

 所詮、私にとって、「承応弐歳」銘の小皿は、あくまでも「あこがれ」として、「夢」としての存在でしかなかった。「瞼の古伊万里」であった・・・・・。

 

:画像は本文とは関連がありません。本来、「瞼の古伊万里」には画像の必要はないのでしょうけれど、ホームページとしては寂しいものがありますので、載せてみました。カットのつもりで見ていただければ幸いです。

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Dr.kさんへ (遅生)
2021-07-14 14:16:11
これ、ものすごい珍品ではないですか。
これこそ、洋と和の融合ですね。和が9,洋が1位の比率なのも良いです(^.^)

「承応弐歳」の皿、すっかり有名になってしまい、よくできたコピー品が出回っていて、私のような助平根性丸出しの素人は、何度も引っ掛かりそうになりました(^^;
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遅生さんへ (Dr.K)
2021-07-14 16:41:16
確かに、これ、和の要素が強いですよね。
犬だって、洋犬と言えば洋犬に見えますが、和犬と言えば和犬ですよね。
和犬でも、白黒ブチのこんな犬がいますものね。
花籠を神社に見立て、そこに狛犬に見立てた和犬を置いたようにもみえますものね。
当時の陶工の遊び心でしょうか、、(^-^*)

「承応弐歳」の皿には何度も引っ掛かりそうになりましたか(^-^*)
それだけに、「承応弐歳」の更には魅力がありますものね(^_^)
でも、これ1枚を買う資金があれば、他に何点かの古伊万里が買えるなと思うと、ついつい、買いそびれてしまいました。
いつの日にか買いたいなと、いまだに思っていますが、実現するでしょうか、、、?
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