BOSSの壷

"Southern Valley" の日常とBOSSの《壷》をお伝えします。

ウクレレの話。

2019-04-08 21:31:26 | ご報告
今回の《イタグレの集い》にお呼びした
Naoya さんのプロフィールを簡単にご紹介したい。

Naoya Hiramoto (平本直也)
ウクレレでの弾き語り、ソロ弾きでオリジナル、カバー曲、ハワイアンポップスなどを演奏するアーティスト。ハワイでウクレレ職人として働きながら演奏を習得。2018年 ハワイ開催「クリス・フチガミ ウクレレコンテスト 優勝」「インターナショナル ウクレレコンテスト 2位」など本場ハワイのコンテストで賞を収める注目のアーティスト。

こんなスペシャリストが “SV” に来てくれること自体がラッキーだが、
その理由のひとつにはミズキが大きく関係している。
なんと、 Naoya さんはミズキと同じ高校だったのだ!

ウクレレに興味のある方、
ウクレレにアレルギーがある方、
きっと、Naoya さんの演奏で「目からウロコ・・・」〜間違いなしです!

さてさて、「どうでも良い話」だが、ウクレレについて勝手に触れさせて頂く。

知る人ぞ知る、知らない人は知らないことだが、私はハワイが大好きだ。
あちこち行ったが、やっぱり、私はハワイがいい。
でも、ウクレレで奏でる典型的なハワイアン音楽が特に好きなわけではない。
よって、40年もハワイに通っているが、
私にとっての「初ウクレレ」は12年ほど前からに過ぎない。

ハワイに訪れる度に耳にしてきたイズラエル・カマカ・ヴィボ・オレ(通称イズ)
の曲の中で、彼が弾き語る「オーバー・ザ・レインボー」と
「ホワイト・サンデービーチ」という曲が頭から離れず、やがて心酔してしまった。
そして、アラモアナのウクレレショップでイズの CD を購入したついでに
一本のウクレレを買ってしまったのが運の尽き。
私は、弾けもしないのにウクレレの「コレクター」に陥ってしまうのである。
私がイズを知った時、彼はすでに他界しており、
それから毎年、ハワイを訪れる度に、墓参りのごとく彼の銅像に会いに行くようになった。


まあ、それからは有り得ないスピードで「こと」が進み、
“SV” の会長であるダービー&ジョッキーのパパである栗さんとフロリダへ向かうことになる。


ウクレレの歴史について難しいことは割愛するが、
ウクレレは UKULELE と書いて「ウクレレ」と呼ぶが、
アメリカ本土では同じくUKULELE と書いて「ユークレレ」と発音し、
当時アメリカで流行っていたポップスやスタンダードな曲が演奏されていた。
そして私は、コロコロと可愛く軽やかな音色の「ウクレレ」より、
甘く優しい音色の「ユークレレ」の方が好きになった。

その、「ユークレレ」の作家の最上位は、当時、おそらくナンバーワンだったのが
Leilani Ukulele (レイラニ・ウクレレ)であり、その甘い音色と美しい作りは
他のブランドとは確実に一線を画していた。

私は、あっという間に「弾けないくせに レイラニのコレクター」となる。
御茶ノ水の楽器街に通ったり、ネットで探しまくって数本を所有したが、
さらに3本ものスペシャル・レイラニをフロリダの工房に注文するに至った。
〜で、色々とあり、レイラニ・ウクレレの作家、ハレ・レイラニ氏が、
なんと私に会いに、フロリダから東京にやって来ることになる。
そして、前述の栗さんと何度もフロリダのレイラニ工房へ渡米し、
やがて自由が丘に《 レイラニ東京 》をスタートさせることになる。

フロリダの工房で塗装されたばかりの レイラニ・ウクレレ。


レイラニ工房のスッタフとメキシコ湾の桟橋で。


ところが、自由が丘店の好調とは裏腹に、
レイラニ氏は急激な病魔に襲われ、あっという間に他界してしまう。

もう、私はウクレレを触る気力さえ失った。
もう・・・それ以上は語りたくないほど落ち込んだ。

でも大丈夫!
レイラニは多くのウクレレファンの間で伝説の中に生き続け、
ハレ・レイラニ氏の遺作品は所有者たちに大切に保存され続けて行くだろう。

どうでも良い話だが、そんな私のウクレレ話を読んで頂いた上で、
今週末の Naoya さんの演奏をお聞き頂けたら幸いだ。






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