京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
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松尾芭蕉「更級紀行」口語訳 一 旅立ち

2024-11-21 08:20:41 | 俳句
松尾芭蕉「更級紀行」口語訳
        金澤ひろあき
一 旅立ち
 更級の里、(月の名所の)姨捨山の月を見ようとすることを、しきりにすすめる秋風が心に吹き騒いで、共に山野をさすらう風雲のような旅に出たいと切望する者、もう一人は越人という。木曽路は山深く、道が険しく、旅寝の頼みになる者もなくて心配だと、荷兮様が下僕をつけて送らせる。
 各々厚意ある配慮を尽くしているけれども、宿場や旅路のことを心得ない様子で、共によくわからず、事ごとに手順を間違え、失敗を重ねるのも、かえって興あることが多い。
二 木曽路を行く
 どこそこという所で、六十歳ぐらいの修行僧、楽しげも風情もなく、ただ無愛想な様子である者が、腰が曲がるまで荷物を背負い、息もせわしく、足も刻むように歩いて来たのを、私の同行の人が、気の毒がって、各々が肩に掛けている物と一緒に、この修行僧の背負っている荷物を一つにまとめて馬につけて、私をその上に乗せる。高山奇峰が頭の上に覆い重なって、左は大河(木曽川)が流れ、岸下が千尋の高さのように思われて、ほんの少しの平地もないので、鞍の上は静かでない。ただ危うい心配ばかりでが止む時がない。
 桟(かけはし)、寝覚めの床などを過ぎて、猿が馬場峠、立峠などは、四十八曲がりとかいい、折れ曲がった険しい山道が重なって、雲の中の道をたどる心地がする。
 徒歩で歩いて行く者でさえ、目がくらみ魂がしぼんで、足元が定まらなかったのに、あの連れて来た下僕は少しも恐れる様子も見えず、馬の上でひたすら眠りこけて、落ちてしまいそうなことが何度もあったのを、後ろから見上げて、危ないことが限りない。
 仏の御心に衆生のはかない世をご覧になるのも、このようなことだろうかと、たちまちに流転する世の忙しさも、自分のこととして反省させられて、(兼好の歌のように、たちまちのうちに流転する世に比べると)阿波の鳴門などは波風もないものだよ。


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