パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

♪真っ赤なお鼻の……

2007-03-04 19:14:44 | Weblog
 「高齢とはいえ、夫ある身の空蝉」とは、空蝉が「高齢」ということではなくて、「空蝉の夫が高齢」という意味です。

 さて、源氏物語は、「若紫」、「末摘花」、「葵」といった辺り。

 「末摘花」は、源氏が悪友の頭少将と張り合って手に入れた女性が、明るいところで見たら、胴長でガリガリに痩せていて、しかも下膨れの馬面で、象のように長く、垂れ下がった鼻の天辺が寒くて赤いという、とんでもない醜女で、それを見て源氏がつけたあだ名が「末摘花」なんだそうである。(「末摘花」はベニバナの古名で、先端の花を摘んで赤い染料のもとにしたのだそうだ)
 それと知った光源氏は、その後、その姫君の元から足が遠のくが、しかし、並みの女性だったらそのまま知らんぷりで済ませても、「並み以下」であると、それは良心が痛む…というか、世間の口が気になってというか、源氏は彼女に衣類等の贈り物を頻繁に届けてその埋め合わせにする。

 「末摘花」の姫君は、来るのはお召し物ばっかりで、本人が来ないことを怨む和歌を添えて、そのお召し物を光源氏に返品してくる。著者(紫式部)は、ただ、やぼったい分厚い紙に一晩かかってようよう書いた稚拙な和歌は、文字のみきれいに書けているだけで、書き手たる姫君が、容貌だけで無く、知性・感性の方も鈍感極まりないことの証拠であると、酷評する。
 光源氏も、彼女の文を読むなり心外に感じて、翌日、召し使いの女達の控え室に、「それ、昨日の返事だ。届けてケロ」と、手紙を投げ入れる。(本当に、「投げ入れる」と書いてある)
 それには、「私と貴女は逢わぬ夜が多いというのに、わざわざ仲を隔てる衣などを寄越されるとは、更にいっそう逢わぬ夜を重ねようというのですか」(逢はぬ夜をへだつる中の衣手に かさねていとど見もし見もや)という、先日の姫君の行いを皮肉った内容(結構露骨な表現だ)の和歌が書かれている。
 
 それだけでない。著者は、その直前の回で、わずか10歳にして光源氏の心をとらえた美少女、「紫の上」を登場させているが、この「紫の上」が、歳よりも更に幼く、いまだに「お絵書き」などをして遊んでいる。この「お絵書き」に源氏をつきあわせ、「紫の上」が書いた女の鼻先を赤く塗る。もちろん「紫の上」は、源氏の描き添えた、その「赤い鼻」が「末摘花」の姫君の「赤い鼻」をからかったものだということなどわからないが、「赤い点」一つでみるみる滑稽になった絵を見るなり、傍らの鏡に自分の顔を映し、その鼻に紅を塗って、「私、不具(かたわ)になっちゃったわ。どうしましょう」と言って、源氏と二人で笑いあう。

 いやはや、よくぞここまで、といった、同性ならではの遠慮会釈のないからかいぶりで、当時の女性読者たちが、「言えてるー!」と大喜びしている様がありありと浮かんでくるが、一方で著者は、源氏の和歌について、「うちの姫君の和歌は、そりゃー、拙いかも知れないわよ、でも、実意がある。源氏の君の和歌は言葉遊びに過ぎないわよ!」と、「末摘花」の姫君に仕える女に反論を言わせたりしているし、姫君自身も、自分の醜さをわきまえ、源氏もその美徳を認めた結果、幸福な生涯を送ることになるのだそうだ。

 それにしても(誰もが言うことだろうが)、紫の上のロリータアイドルぶりはどうだろう! 「○○ちゃんが、雀の子を逃がしちゃったー!」と半べそをかいている女の子。源氏は、この幼い少女を「妻にしよう」と決意して、「あまりにも若過ぎます」という周囲の反対を押し切って、半ば拉致するようにして連れてきてしまう。
 でも、このロリータちゃんもだんだんと大人になって行き、やがては(逃げていった雀の子供のように)「はかなく」なるわけで…それが、どう描かれていくのかは、「紫の上」があまりに可愛く描かれているせいか、正直言って見当がつかないのだが、今後の『源氏物語』の一つの読み所になるのだろう。

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