パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

サンケイの常識は日本の非常識…であってくれればいいが

2011-01-13 17:16:46 | Weblog
 ワタクシ的に言えば、「昨日の今日」という感じになるが、フジテレビの朝十時からやっている、ニュースネタを主婦宛にわかりやすく解説するという趣旨の番組で、「タイガーマスク運動」について、耳を疑う発言を聞いた。

 それは、どこかの大学で教えているらしい女性の言葉なのだが、彼女は大略次のようなことを言っていた。

 日本人は昔から、相互扶助の精神を大切にしていたが、戦後、「国民は文化的生活を送る権利があり、国はそれを保障する」という(字句は不正確だが、まあ、そんな内容だ)憲法25条の影響でそれが薄れてしまった。

 しかし、日本人の精神には国に頼らず、お互いに助け合って生きてゆくというDNAが残っており、それが発揮されたのが今回の「タイガーマスク」なのだという。

 驚いた。

 日本人(はっきり言って、農民)の「相互扶助」の生活習慣から、それから外れた人間を集団で疎外する「村八分」という習慣も生まれたのではないか。

 「相互扶助」、「助け合い」というと一見聞こえはいいけれど、一種の頼母子講だ。

 実際、日本の健康保険制度が「頼母子講」から出発している事は、厚生省が自ら、認めている。

 それも、世界に冠たる制度として。

 しかし、保険制度というものは、元来、自分の将来のために自分が払うものであって、「他人」のために払うものではない。

 「他人」のために払うのだとしたら、それは「税金」として払われるべきものだ。

 たとえば、こう見えたって私だって、かつて、厚生年金を10年分くらい払ったはず。

 総額は、会社負担が半分あるから、少なくとも50万円か、それ以上は払っている。

 もし、これが民間の年金保険だったら、50万円プラスαが戻ってくるはずなのだが、現行の年金制度、あるいは健康保険は「相互扶助」精神に基づく制度なので、私と私がつとめていた会社が払った金は、「助け合い」のために使われちゃって、今は全然パーなわけだ。

 こういったことは、これまで何度も書いてきたことだが、憲法25条が日本社会の伝統的美風を壊したという意見は初めて聞いた。

 これは、おそらくどこの誰も指摘しないだろうが、「フジサンケイグループのバカ」には、常識になっているのかもしれない。

 だとしたらますます、看過するわけにはいかない暴論であり、一言しておかなければならないと思って書いたのだが、日本人を前近代に生きる「土人」と罵った浅田彰は、いったい、どこで何をしているのか。

 ちょっと前、脚を組み、頬ヅエをつきながら、坂本教授と音楽談義をしているところをNHK教育の新春番組で見たような記憶があるが。

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