パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

…と思うのであります。

2007-02-02 23:29:04 | Weblog
 NHK、『その時歴史は動いた』、「島原の乱」を見る。
 正直いって、掘り下げ不足で面白くなかったが、「その時、歴史はどう動いたか」という視点で考えると、島原の乱以降、幕府が厳格な鎖国政策へと大きく舵を切ったという意味で、「島原の乱」は、重大かつ、史上希有な事件であったと、私は思う。「掘り下げ不足」という印象を私が持ったのも、このような本質問題が見逃されていたからにちがいない。
 ゲスト解説に登場した大学の先生も、松平アナに「島原の乱とは一言で言ってどのようにまとめられるでありましょうか」と聞かれて、「この後、日本では大規模な内乱はなく、300年間の大平の世が続き、今に伝えられる日本文化もこの時に作られたのですが、それは、37000人の犠牲者の上に成り立っていることを忘れるべきではないでしょう」と、わけのわからない感想で締めくくっていたが、要するに、島原の乱は、「鎖国政策」は是か否かという問題に不可避的に繋がるわけで、大学の先生が口籠ってしまうのもやむを得ないようなことなのだが、この問題に携わっている人間が見逃している一つの事実がある。それは、ガリレオ、デカルト、ニュートンの、3人の「科学革命」の立て役者が、ちょうど、この時期の人だったことだ。
 たとえば、島原の乱が起きたのが、1638年、ガリレオが死んだのが1642年、この年にニュートンが生まれ、デカルトが死んだのは1650年だ。つまり、江戸幕府が鎖国政策を国家の基本政策として定めた時に前後して、ヨーロッパで科学革命が産声をあげたのだが、その消息を知る機会は、鎖国によって奪われてしまったのだ。
 これは、中央公論社の「世界の名著」シリーズ、「デカルト」の付録のしおりに載っていたエッセイに書かれていたことで、読んで、虚をつかれた。そういやそうだと。それで、ウィキペディアで「島原の乱」「鎖国」などを調べたが、同時代が、「科学革命」の時代であったことには何も触れていなかった。

 もちろん、その300年後、日本人は、とてつもなく強大化した欧米各国の力に直面し、その源が「科学革命」にあることを知って、その学習・吸収に心血を注いで、ある程度の成功は収めたものの、同時代において、その「革命」の息吹に触れることがなかったというハンディは、いまだに我々に重くのしかかっているのではないかと思うのであります。

 「思うのであります」、と言えば、テレビアニメ、『ケロロ軍曹』の劇場版がこの春、ディズニーのアニメシリーズ、『シュリック』の最新版が続いて公開されるのであります。そして、そのいずれもが角川配給なのであります。角川は、滝田洋二郎監督の、『プレイボール』とかも、製作配給するようで、角川社長、健在!であります…か?