パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ぐた~

2005-10-24 00:36:40 | Weblog
 23日中に投稿するつもりが……一歩間に合わず、しょうがない。

 たとえば、コップの水にインクを一滴垂らすと、インクはコップ全体に広がってゆく。ごく当たり前に観察される現象だが、何故インクが拡散するのかというと、インクの分子がより密度の小さいところを求めて、水中を移動するからだ……と考えている人が多いと思う(私もそう考えていた)。が、実は全然ちがう。分子がでたらめに動いた、その結果なのだ。
 どういうことかというとたとえば、インクをコップの右から入れたとすると、コップの右側のほうから左に向ってインクは拡散してゆくが、インク分子自身は、「完全にでたらめ」に動いている。「完全にでたらめ」とはどういうことかというと、四方八方どちらにも偏しないということだ。(もちろん、重力の影響をうけてはいるが、それはすべての分子に一様に働くので無視してかまわない)「四方八方どちらにも偏しない」で動いているのに、何故、濃い方から薄い方へ動いてゆくのかというと、理由は物凄く単純で、「濃い方」に、インクの分子の数が多いからである。
 たとえば、コップの中央に仮想上の膜を引く。その膜によって引かれた境界線の近辺の分子の動きを観察するとどうなるか。インク分子の数が多い方(濃い方)から、少ない方へ動く分子もあれば、逆に少ない方から多い方に動く分子もあるが、全体的に見れば、数の多い方から、少ない方へと移動する分子の方が多いということになる。言い換えれば、分子レベルでインクの移動を観察すれば、インクは必ずしも「濃い方から薄い方」ばかりでなく、「薄い方から濃い方」にも移動していることが観察されるはずだ。その結果、ポアンカレの計算によれば、分子二個レベルなら、10の2乗秒、すなわち100秒の間に必ず一回は元の状態に復帰する。三個レベルなら、1000秒、すなわち15分、四個レベルで三時間……となり、17個レベルで早くも宇宙の年齢(130億年)に等しい時間を必要としてしまうことになる。

 前回は、こんな、ほら吹き男爵も腰を抜かす巨大数の話をしたのだが、そんなのは数学者や物理学者のお遊びであって、我々の現実とはなんの関係もない……かというと、そうでもない。というのは、我々が存在しているこの宇宙そのものが、ポアンカレ回帰の結果、生まれたのではないかという説がある。というか、ほとんど確実にそうだと思われるのは、エントロピー増大の法則というのがある。御存じと思うが、あらゆる秩序ある系は、時間の経過と共に無秩序に向っている、というもので、人が死ぬのもエントロピー増大の法則に則っている。言い換えると、人は、このエントロピー増大法則に反してこの世に生まれ、負のエントロピーを取り入れる(具体的に言えば、栄養摂取行動)ことで「エントロピー増大」を防ぎつつ、可能な限り生き続けようとしているのである。
 我々の宇宙も同様で、いずれエントロピーも限界に達して「熱死」する、と考えられていた。「いた」というのは、最近の研究では必ずしもそうではないという結論に達したらしいからだけれど、いずれにせよ、宇宙が現に存在し、エントロピー増大の傾向をたどっているということは、その最初に「エントロピー最小」の状態が実現していたはずである。それが、「ポアンカレ回帰」の結果ではないかというのだ。
 喩えとして……適当かどうかわからないが……無数の、何百兆個ものコインが、勝手に、つまりでたらめに裏になり表になりを繰り返しているとする。それが、ある時(「時」というのも適当ではないけれど)、すべて表(あるいは裏)になった……これが、宇宙の始まりである。すべてのコインが表(あるいは裏)になる理由、あるいは原因、目的はない。あくまでも「確率」の問題で、基本原理はマージャンの「天和」と同じである。ついでに「時間」のことを言うと、コインが裏になり表になっている様を映画に撮影し、それを逆回転させて上映しても、前の状態と区別はつかない。つまり、「時間(=時間の矢)」は発生していない。一方、コインをすべて「表」にしてから、それを机に転がし、撮影したらどうなるか。逆回転と正回転は直ちに区別がつき、「時間(=時間の矢)」が発生したことになる。

 さて、Sさん本の入稿が終わって、なんか、すっかりぐた~ってなってしまった。いつお金くれるかな~、金が入ったらしゃきっとするんだけどね~。

 Mさんに、「深く感謝」って、普通に使っているという人が多いスよ、たとえば「深謝する」なんて言葉があるでしょ、と言うと、「《深謝》は、深く謝っているのであって、決して《ありがとう》ではない」と反論してきた。なるほどね~、言うね~、……でもよく考えたらおかしい、やっぱり。と考えていると、Mさん、本文中にも「深く感謝する」という言い回しをみつけたが、さすがにもう間に合わない(印刷が済んじゃってる)のであきらめたようなことを言い出した。「間に合った」ら、直させるつもりだったのだろうか。冗談じゃないが、たぶんそうだろう。他のところで直しているのだから、「誤り」を放置してよいわけがない。斯く考えると、この問題、事と場合によっては重大な問題に発展しかねなかったかもしれない。ばからしいが。