さよなら原発佐賀集会

27日炎天下のもと JR佐賀駅近くのどんどんどんの森で集会が開かれました
2000人が集まったと主催者の報告がありました
被災者3名の方からの報告ががあり 「ママは原発いりません代表」の あやもさんの話に
参加したトモダチは 涙したそうです

この集会には様々な団体個人が自由に参加できますが
1960年代に学生運動や労働運動に暴力を持ち込み 運動にしょうがいをもたらした
「革マル派」が入ってきていることに違和感を感じています
かれらのチラシを見ると 野田政権打倒!とともに共産党指導部弾劾を主張しています
かれらの主張は「すべての原発をただちに廃棄せよ!」に同調しないものを排除します
自然エネルギーの開発や普及を重視しないし 
原発からの撤退請願運動をのりこえようと呼びかけ 
核施設の即時停止 廃棄をかちとる闘いを爆発させよう!と叫びます
勇ましい掛け声は 60年代の全共闘 革マル派を彷彿とさせるものです
当時の政府とマスコミは これらの組織の反共産党と暴力体質をうまく利用し
泳がせて 学生運動を暴力一色に塗ることで 
70年安保の破棄を切り抜け 革新運動の分断を図りました
全共闘思想は 浅間山荘事件 よど号乗っ取り事件とすすみ 
最後はテロリストとしての末路をたどりました

5月25日 虚空蔵山周辺をめぐって であった花々 
この日はヒナランを観察に行ったのですがまだつぼみでした
歌にある 卯の花 ウツギ

コガクウツギ


ヤマタツナミ

ノイバラとアゲハ

ヒナランの蕾



 

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後日談

5月も半ばを過ぎ 花から若葉の映える季節となりました
無理な山行がたたって連休 孫との楽しみも疲労の日々となり
帯状疱疹を患って 臥せっておりました
そのつらさは罹ってみなければ判りません 
ウイルスの攻撃を肌身で感じ 
少ししびれは残っていますが やっと開放されつつあります
太陽の金環食も雲で覆われ千歳一隅のチャンスを失いました

ユキノシタが 石垣一面に花を咲かせています
太良町にある実家は山のそばにあり 地域の名前が日影 だからこそ観られる自然です
江北町では 自宅の側を流れる小さな祇園川にホタルが舞っています

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多良山系縦走

連休初日の29日 知人とともに本格的な山歩きを決行
佐賀県鹿島市から444号線をトンネル越えで長崎県黒木集落へ
多良山系の五家原岳1058mを目指した
この山にはアンテナ林立し 頂上まで車で登れる 同行者は昨日も訪れたという
歩いて登るのは 私ははじめて 黒木の登山駐車所は満杯
集落の道路に 農作業中のご婦人に断って 車を停める
右端にかすかにアンテナ 真ん中は最高峰経ヶ岳1075m

黒木を10時に出発 小川内滝をとおり 横峰越経由 雑木林を延々と歩く
炭焼きかまの石組みがほうぼうにみられる
2時間ほどで大きな作業道路にでたので 小さな滝のそばで昼食
小川内滝

横峰越

ミヤマシキミの花

無名の滝のそばで昼食

そろそろ頂上ではと 下山してきた婦人の登山者に尋ねると
「まだ序の口!」と返ってきた
バテテいたので励ましの言葉と想った
いけどもいけどアンテナは見えない 若い男性二人組みに再度聞くと
「1時間ほどかかります 厳しい登りが最後にまっています」と告げられ
「序の口」は本当だったと観念した
石楠花の木々がでてきたが 花芽ほとんどない
僅か咲き始めた枝を見つけたが 裏年かもしれない

頂上に着いたのは 1時近く ほぼ3時間はかかっている
残りの食料を急いで食べ 中岳1000mを超えて 黒木に戻ることにした
こちらのルートは急下降で ロープを伝うところが多い
シャクナゲを多く目にした
満開の三つ葉ツツジの木が圧倒
エイザンスミレを見つけたのが大きな収穫
左手前が中岳 さらに多良岳 笹岳 左奥が経ヶ岳



エイザンスミレ

中岳で記念の写真を撮り
途中で出会った若夫婦の登山者に黒木への下山口を確かめ
五家原岳から1時間ほど歩いたところで 多良岳金泉寺と黒木への標識にたどり着き
6時までには降りようと オオキツネノカミソリの青葉の群生の中を
お互いにフラフラしながら 帰った次第
翌日は腰が痛いとか足が痛いとか 良くがんばった
2万歩ほど歩き 所要8時間 
7月の上高地への予行練習でもあった

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