昨日お墓参りに行った。
大切な人のお墓参り。
半年ぶりかな。
前回はパートの仕事が増えるため
行けなくなるかなと思い
行けるうちにと。
今月からスーパーの仕事辞めて
訪問ヘルパーの仕事だけになったので
また行けるようになった。
半年ほど前はパートのダブルワーク始めて
週6日働くことになり
休みは土曜日だけになって
お墓参りも行きにくくなる…その前に行こう、と行った。
夫や子供が仕事や学校に行ってる時に行く。
子供が帰るまでには戻る。
私の家族には無関係な人のお参りなので気は使う。
平日に行くしかないのでやり繰りに悩む。
こっそり、行ってる。
平日の霊園は人も少なくお参りしやすい。
お彼岸でもお盆でもなく。
私はわざとシーズンを外して行く。
今や彼だけで無くお父さんも眠っているお墓。
やや話し辛いけど話しながらお参りする。
そんなだから人のいなさそうな時期に行く。(恥ずかしいからの。)
彼に合う花を買って。
彼の好きな缶ビールを買って。
ちょっと気持ちが落ちたのでネットで自死遺族の方のブログを検索した。
こんな心待ちで生きて行くことに困難を感じることがまま、あるから…
あれから15年近く経っても、だ。
本当にしょっちゅう、苦しくなる。
同じような体験をしてる人達はどうかな、と。
後を追って亡くなる人も少なくは無い。
でも私のようにしぶとく生きてる人もいる。
自分が殺したんだと心痛めながら。
たまたま見つけたブログの主は
2009年に奥様を亡くされていた。
多分30代前半で。
子供はいない。
奥さんにその予兆はあって、不安定なところのある人だった。
振り回されながらも支えてはいて通院も勧めていた。
本人は拒否。
当日はちょっとした喧嘩をして主が外出した間に奥様、家で首吊り。
主はその発見者で遺された奥さんのご両親、ご兄弟に土下座の勢いで謝って。
自分のせいだ、自分が殺した、って。
それらを抱えて生きて行くのは相当つらい。
まだ若い彼が、家族と言っても子はおらず親兄弟しかいなくて。
奥様を亡くされた直後からブログを始めているので冷静さも残しつつも、内容は生々しい。
自死だからって1番近くの人が殺したんじゃない。
自死を選んだのは本人。
どんなに非道い喧嘩をしたとしても、死なない人もいる。
と言うか、普通は死なない。
もう、死んでよ、くらい言われたとしても、ああそうですねと死ぬ人は滅多にいない。
はっきり言う、死を選んだのは本人。
でも遺族は自分が殺したんだと思う。
これも痛いくらいわかる。
自分も死にたいと思いながらも生きてるのは
自死したら今度は自分が周りの人を自死遺族にしてしまう、友人らにも心の傷を残す。
だから生きて来た。
自分が今受けている傷、痛みを大切な人達にも与えると言うこと、それは出来ない、まさに生き地獄。
一人の自死者に最低5人の自死遺族がいると言う。
自殺者の何倍も自死遺族として苦しんでいる人達がいる。
そのブログの主も浮き沈みがありつつも毎日ブログを更新していた。
でも荒らしと言うか、多分自死遺族関係の人なのだろう。
彼が元気になる、想いを寄せられた女性とデートしたなど書くと荒らす。
そう、辛くて痛くて苦しんでいる時は喜んで見ていて少しでも幸せに近づくと叩く。
コメント欄が荒れて、ブログは閉鎖に近くなり。
とても残念。
その後は1年毎位しか更新されなくなった。
彼もリアルで忙しかったり充実もしていたみたいだけど、その立ち直っていく過程も見たかった。
でもそれを許さない人達がいる。
立ち直れてない人達何だろう。
でもさ、同じ自死遺族で。
お互い亡くした相手は違うけど。
親、子供、兄弟、夫妻。
祖父母に叔父叔母従兄弟その他。
友人恋人。
遺された者はさ、この世界で生きて行くしかないじゃんか。
どんなに自責の念に駆られていても、罪を…
罪なんて本当は無いんだけど。
亡くした人の分、生きて行くしか無いんだよ。
重荷を…重荷なんて本当は無いと思うけど、背負って。
死んだ方ははっきり言って楽でしょう。
選んで死んだ。それが出来た人。
された方は、出来なくなる。
そんな残りの人生の中で…
私はもう人生が消化試合だと思っている…
もし自分に重大な病気が見つかって余命いくばくも無いとなっても執着するような生では無い。
人一人殺したんだと思ってる。
…や、殺しちゃいないんだけど…
人はいつか忘れる事が出来る。
でも忘れたくて忘れられる訳じゃない。
自死遺族の人達の闇はわかる。
とてもとても辛いの。
病気でも事故でも殺人でもない突然死。
本人が選んだ死。
そんな死を受け止めないとならない、遺された者の現実。
でもずっと自分を責めて贖罪するような残りの人生を送るような事は無いと思う。
例え子供を亡くしたとしても。