湯治庵の日々

癌・頑強・爺・自律・自由・自在

有言実行

2009年02月18日 | 湯治庵の日々
テリー様、
テリー様の残した言葉をお伝えします。

※写真 三好徹明(51歳)
※文 三好徹明(53歳)
1995・9・6
「ななかまどの会」便りより  
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「有言実行」について
 私は小学校1年から中学、高校と室蘭市小橋内町に住んでいました。
当時夏休みになると夕方から隣の空き地に、キリスト教会の天幕伝導集会が、
決まって毎年やって来ました。
マンガ〔手塚治虫〕が大好きで、外の遊びから帰ってきて夕方、少年クラブ、冒険王、など仲間と貸し借りの回し読みをしていると、決まって隣から賛美歌が聞こえてきます。子供ながら何となく厳粛な響きと未知の関心に引かれ、なんとなく、テントの中に自然に入っていきました。
一度集会で牧師の話を聞いてからは、集会に行かないで家にいるのが、
悪いことをしているように思え、又次の日にも通うのでした。
私は神の存在を子供の認識の仕方で、信じるようになってしまったのです。信じるというより、人間を越えた絶対的存在として私たちを支配している存在があるのだと、畏怖の念を心深く刻んでしまいました。オ-ム真理教の信徒が地獄におちるぞと、マインドコントロ-ルされたように、子供の私は悪いことをすると、天から神様が心のそこまで全てを見ていて、人を憎んだり、意地悪すると最後の審判の日に裁かれてしまうのだと悩みました。
後にどうして私が子供ながらに神の存在に怯え、自己発現を素直に出来なかったか、遠い昔の出来事が深く係わっていたことを思い出しました。
それは今日まで決定的に私自身を自縛してきた原体験に行き当たるのです。
 私の父は19年前に亡くなりましたが、戦前から昭和石油〔現在の昭和シエル〕に勤務、戦後すぐに、会社の命により、物資窮乏のおり石油精製所建設に必要な耐火煉瓦生産のため、責任者として福島県なこその煉瓦工場を買収し、家族全員で移住しまた。
3年間試行錯誤を繰り返し実験、試作を繰り返しましたが、結局土そのものが適さなかったため、所定の耐火性能の煉瓦の生産は無理であるとわかり、昭和23年夏、父と姉と兄二人は一足先に横浜に出発しました。
母と、3歳下の妹と6歳になった私の3人が、横浜の家がかたずき、
父の迎えにくるまで1週間ばかり、なこその家で待つことになりました。
なこその思い出は、炭鉱の子供たちと小川や、沼でザリガニを捕ったり、竹の子、いちじゅく、バッタ、イナゴを追いかけ、一日中野山を駆け回っておりました。
なこその海岸に家族や会社の職員の人と塩造り〔海水を汲んでは足し、汲んでは足し、ドラム缶を薪で焚きながら煮詰める〕や、上の兄二人〔長男は高校生、次男は中学生〕が遊びに行くのについていきたくて、うるさがられ逃げられた、悔しい思い出など今まだに鮮明に瞼の奥に刻まれております。
座敷に丸太のように太い青大将がのっそりと入ってきて、母が慌ててお乳を呑む妹を置き去りに、縁側から飛び出てしまい、あわてて連れに入った話など、昨日のように蘇ります。
秋になると刈り取った稲わらの天火干しの中に入って、かくれんぼ、
兄たちの出かける後ろを、泣きながら追いかけて、澄みきった川の橋の上から
小石を投げながら一人で待っていた記憶・・・兄弟そろった懐かしい記憶が
強く残っております。
父や上の姉、兄達がいないで、母と3人で過ごしたのは始めてでした。
3人暮らしの3日目の夕方から、激しい雨風が強くなり嵐がが襲ってきました。
私の家は丘の端に有り、南の掃きだし窓からの見晴らしは素晴らしく、
見渡すかぎり田んぼが眼下に広がっていて、秋になると黄金色の海が波打ちます。
見晴らしも良い代わりに、風当たりも良くその夜は雷がなかなか止まず、
叩きつけるような横なぐりの大粒の雨が滝のように降り注いでいました。
電柱に落雷でもあったのでしょうか、停電で真っ暗になった部屋に轟く雷鳴と、畳を稲妻がなめてゆくたびに、運悪く夕方からお腹が渋る母の枕元で、私は怖がりしがみつく幼い妹を、必死で抱え恐怖に震えておりました。
先に旅立った兄たちに、日頃、夜になると狐や狼の怖い作り話を聞かされていました。
私は、真っ暗な台所の奥に、きっと狐やお化けが息をひそめて、こちらを伺って
いるかもしれないと思うと、身動きもできません。
母の容態は次第に悪くなり、大量の汗をかき高熱の為苦しいうめき声を吐いています。
後で判ったことですが、腸ねんてんだったのです。
同じ煉瓦工場の職員として母の実弟家族も来ており、500メ-トルほど離れた
職員宿舎にまだ居りました。
 
 「てつあき・・・五郎叔父さんのところへ行って知らせてきて・・・」

私は玄関を開けて出ようとするのですが、耳をつんざく雷鳴と丘の上をなめ尽くす白い稲妻に、どうしても足が出ません。
母は、痛みの発作が少し収まったのを見計らい、自分で叔父のところまで助けを求めに行きました。
叔父は丘の下の炭鉱の車を手配し、町の病院に母を運んで九死に一生をえたのです。
その後、横浜で小学校え入学し、父の転勤〔室蘭油漕所建設の責任者として〕
の為3学期には、冬の北海道室蘭に移住し絵鞆小に転入したのです。
母や姉は時折、思い出話で福島なこそでの嵐の夜の話をするのでした。
 「徹明はその話のときは何時も耳をふさいでいたね」
私はあの嵐の夜の事を今も忘れません。子供のころから自分の勇気の欠如を、子供ながら、かなりの年月の間、思い出しては勇気のない自分を責めました。
 
「自分は2度とあの時のような、勇気のない情けない行動はしないと何時も
  心の何処かで叫んでいました」

だから母や姉の思い出話に〔小学校5年ごろまで〕耳を両手で覆ったのだと思います。
私の有言実行のスタイルはこの幼児原体験の恐怖と、自己嫌怨が現在までの
行動パタ-ンを形成しているようです。
先に書いたように、室蘭小橋内でキリスト教会に出入りしたことも、おそらく心の何処かに過去の自分の行動を懺悔する、子供ながらの潜在意識が作用したものかもしれません。
私が、これらの自縛の意識から開放されたのは、大学2年の時でした。
それまではスポ-ツ万能運動少年だった私は、普通の青年らしい人生の懐疑などに悩むことはほとんどありませんでした。中学はバスケット、高校は柔道、大学1年間はボクシングと殆ど書物とは縁のない生活でした。1年の終わりにふとこのまま
では、何かが足りないと思いはじめ、本を読みはじめました。
読書の系統だった読み方も、周囲には当然の如くアドバイサ-も、読書家もおりません。〔白鳥湾物語の登場人物をみていただければ理解できると思います〕
そんな訳で、とにかく日本か、外国の古典を読めと何かで読んだのを思い出し
さそく外国の文学作品からてを付けたのです。
ヘッセ、ゲ-テ、フロ-ベル、マ-クト-エン、スタインベック、ジイド、・・・
手当たり次第わかっても判らなくても読みました。
ある時スタンダ-ルの「赤と黒」を読んで文末の解説にドストエフスキ-の
本が紹介されていました。これが私とドストエフスキ-の出会いでした。
カラマゾフ兄弟の3男のアリョ-シャが、ゾシマ長老の遺言で教会を出て
一般社会に出てゆく所で長編物語は終わっていました。
気がついてみると、私も長らく覆いかぶさっていたキリスト教的戒律から
開放されていました。
孫悟空が、お釈迦様の手のひらの宇宙で、何の疑問もなく暮らしていた
ことと、自分の認識していた世界が実はお釈迦様の手のひらの世界であったことを、目の当たりに知ったことと似ているかもしれません。何処かで通じているようです。
私は教会から出た、アリョ-シャと共に最初から出直すことにしました。
頭で理解しようとした観念的世界からは、私の求める真理は導き出されない・・
身体を現実世界に浸し洗礼を受けてみようと考えました。
キリスト教的倫理観が、現実を支配しているものならば、身体を通して悟りに
至に違いないと・・・
その後、ドストエフスキ-の全作品からロシア文学全体に触れ、ニ-チエ、カミユ、キルケゴ-ル、カフカ、ベルジャ-エフ、サルトル、などで学生時代が終わりました。
そんな有り様でしたので、大学は5年かかってしまいました。当時の写真を見ますと、これが自分かと思うほど痩せこけて、柔道で北海道大会へ出場したなど誰も信じてくれませんでした。
53歳の今日まで、散り散りに身も心も変遷をしてまいりましたが、先に書いたキリスト的世界観を否定も肯定もこだわらなくなりました。
禅宗で言う、
  
  「今日一日、悔い少なく生活し
   何ごとにも執着しない、自在な自己であり、
   これからも自分に正直に忠実に生きていきたいと念じています」

とは言うものの、日々に細かい事に心乱されて、悩み多い生活を過ごしております。
せめて、こうして独白などして日々の憂さを晴らしつつ、情けない自分を今日もまた慰めているような有り様です。
                       1995・9・6


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4 コメント

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ご冥福をお祈りします (戸井田 直樹)
2009-02-19 08:43:45
徹明君おはようございます。
今日は君のための日とします。
室蘭の空からお祈りします。
ご冥福をお祈りします (根本豊治)
2009-02-20 05:45:27
ご子息の心さんのブログから知って、時々このブログを拝見させていただいておりました。
わたしも昨年父を送ったばかりで、文章を読みながら、その時のことがさまざまに思い起こされておりました。
こころよりご冥福をお祈りいたします。

振り子
おはようございます (戸井田 直樹)
2009-02-20 08:05:19
今日が本当のお別れの日です。大好きな室蘭はしんしんと雪が降る穏やかな一日になりそうです。小中高校そして大学と一緒に過ごした日々を思い出しています。「有言実行」の彼を見ながら。新聞の切り抜きの700㎞の遠泳では大黒島からスタートして絵鞆港に到着、目標達成の瞬間です、自分も立ち会っていたので感動したことを覚えてます。いつまでもいつまでも室蘭の仲間は君のことは忘れません。心より冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りします (山岸 正雄)
2009-02-21 00:10:27
三好さんの勇気ある闘病生活はブログで追っておりましたが、励ます手立てが見つかりませんでした。私たちOKバジを支援する会も多才な貴方を失って残念な限りです。只々、残念でなりません。

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