マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「中秋の名月」の夜に

2013年09月20日 | 東京散歩

 昨夜は中秋の名月。今年も、一昨年、昨年に続き満月。

 その夜、私は、富士前福寿会の3人組と、「和がまんま」で一献傾けた。私たちの町内会の直ぐそばに、アットホームなお店がありますよと、紹介をしたかったのだ。
 食事は、2000円のお任せを頼んでおいた。ビールは注文し、KUさん持参の19度の日本酒と、前日に私が持ち込み、冷やしておいて貰った、ロゼをも飲んで、会計はおひとり3300円。料理はすべて店主関口さんの手作り。この夜は諸般の事情で、私たち3人の貸切。周りに気兼ねすることなく、大きな声でのお喋りが可能。関口さんの住まいはここではなく道坂方面。町内会視点で見れば隣組。その気安さもあり、関口さんも交え、共通の話題に花が咲いた。午後6時に乾杯し、8時少し過ぎ帰路に就いた。帰り道、東南の方向に満月が輝いていた。
 帰宅してベランダから、東京スカイツリーと名月の”ツーショット”撮影が可能かと夜空を見上げたが、その時は去っていた。満月とスカイツリーを別々に撮影したものが右と下の写真。


 見事な写真と記事が、東京新聞朝刊に載っていた。その両方を拝借する。
 『旧暦の「中秋」(8月15日)に当たる19日夜、好天となるところが多く、満月の「中秋の名月」が各地で見られた。中秋が満月となるのは今年で3年連続で、次回は、東京五輪開催後の2021年となる。
 旧暦は月の満ち欠けに基づいて決まり、毎月十五日が満月になるのが原則。しかし、月の満ち欠けの周期は29・5日のため、旧暦の1か月の日数は29日になったり30日になったりする。このため、実際には十五日が満月になる月とならない月があり、数年間にわたり中秋が満月が現れないことも生じうる。東京都内では、東京スカイツリー塔頂部がまん丸の月に重なる様子がくっきり夜空に浮かび、多くの人の目を楽しませた』(写真:東京新聞より)

 

 


『不知火検校』を観る

2013年09月19日 | 映画・美術・芝居・落語

 思いもかけない幸運に恵まれて、9月17日(火)に、新橋演舞場で「九月大歌舞伎」夜の部の「不知火検校」を鑑賞することが出来た。昼の部に続いて、再び、Mさんからチケットを頂いたのだ。前から4番目の、中央の席での鑑賞は、見やすく、セリフも聴きやすかった。舞台も実に面白く、2時間40分に及ぶドラマは、あっという間に幕となった。主人公の極悪検校を演じるのは、言うまでもなく松本幸四郎。今回が初役であったが、今後、彼の当たり役として、何度も演じられる予感がする。
 宇野信夫による新作歌舞伎の初演は1960年。十七代目中村勘三郎が上演を重ねた。映画では勝新太郎によって演じられ、爆発的人気を博した。その延長線上に「座頭市」があり、映画はどちらをも私は観た。





 魚売の父親富五郎が按摩を殺めたその日に生まれた富乃助は、その因果な報いか、生まれながらにして盲目。幼いころから手癖が悪く、成人して名を富の市と改めても、悪事を重ね、人をも殺め、悪事の限りを尽くす。遂には初代検校までも殺害し、二代目検校の座に昇り詰める。
 どの悪事にもしたたかな計算が働き、冷静沈着に事を成し遂げる。勝新のように油ギトギトといった感じでなく、幸四郎の検校は、紳士という厚い仮面を被った、極悪非道人である。朝日新聞の評では、”乾いた知的”な描出とあった。兎も角新たな不知火検校の誕生である。
 悪事がバレ、お縄を頂戴して花道を進む検校が突然高笑いをする。この瞬間、何故か私は映画「天国と地獄」で、犯人役の山崎努が金網を握りしめて、激しく笑い狂うシーンを思い出していた。
 
 誤解を恐れずに書けば、悪事を貫き通すにも、強い精神力を必要とするのだろう。その強さのみに焦点を当てて見れば、悪は華とも称えられる。松本幸四郎「悪の華相勤め申し候」であった。(私には、歌舞伎役者の中で彼の発声が特に聴きやすい)



『男女道成寺』を観る

2013年09月17日 | 映画・美術・芝居・落語

 新橋演舞場九月大歌舞伎昼の部は、昼食休憩後が「男女道成寺」で、その筋立ては観客全員が知っていることだろう。私が演舞場で「道成寺」を観るのは3度目。紀伊の国の古刹に伝わる清姫と安珍の説話は、歌舞伎では「京鹿子娘道成寺」が人気を博した。イヤホンガイドによれば、これを基にして、その後多くの書き換え作品が生まれ、今回上演の「男女(めおと)道成寺」もその一つとの事。

 新たに鐘が造られた道成寺で鐘供養が行われ、寺の所化たちは浮かれ気分。その、桜咲く華やかな舞台に、白拍子二人が登場する。桜子(中村橋之助)と花子(片岡孝太郎)の二人。二人は新しく造られた撞鐘を拝ませて下さいと頼むが、清姫の一件以来、道成寺は女人禁制。そこで、奉納の舞いを舞うということを条件に、二人は寺内へと導かれ、金の烏帽子を着けて舞い始める。(写真:パンフレットより、橋之助と考太郎)

 橋之助の舞を初めて観た。桜子は実は男性で、狂言師左近。烏帽子が落ちて、正体を顕した左近は、皆を騙した償いに、改めて花子と共に舞を舞うのだが、花見の浮き浮きしとした雰囲気を全身で表現する踊りを観ていると、私自身、気分が浮き浮きとしてくる。筋を理解しようと努力する必要もなく、舞いの見事さ・華麗さに見惚れるばかりである。
 幾つもの舞が舞われる。吉原や京の島原、長崎の丸山など、各地の遊里を読み込んだ鞠唄に合わせ、羽根つきや鞠つきの様子を表現する左近と花子。振り出し笠を使って華やかな舞を見せる橋之助の左近。
 クライマックスでは、鈴太鼓を手にして華やかな二人の踊りを所化達が見惚れる隙を見計らい、鐘へと飛び込む左近と花子。鐘が釣りあげられると、蛇体となって姿を現す二人。実は清姫の亡霊という何時もの顛末。
 私には、しかとは味わえないが、長唄と常磐津の掛け合いが素晴らしいらしい。これもイヤホンガイドの解説にあった。
 


『驚きの数学 巡回セールスマン問題』を巡るミステリー その後

2013年09月15日 | 身辺雑記

 9月11日のブログの続き。
 9月11日(水)の昼すぎ、図書館副館長から電話が掛かって来た。私が弁償にまで至った本が、実は図書館にあったという、トンデモナイ事態へのお詫びである。私は「何故この様なことが起こってしまったのか。原因を究明して下さい」と強く主張した。しかし、現在図書館の本は、全てコンピュータ処理されているので、過去に遡っての原因を調べられないとの返答。「それでは同じ様な事態がまたまた起こるではないか」と追及すると、繰り返し謝罪を述べ、「以後館員が全力を挙げて、この様な過ちが起こらないように努力します」と、精神論を語るのみ。
 電話だから相手の様子を見られるわけではないが、テレビでよく見る会社の謝罪会見のような雰囲気である。怒りが湧いてきて、「弁償の問題をどう考えるか」と問うと、「来館頂ければ、買い取ります」との事。そこで、13日に図書館に足を運び、件の本を、税込み値段3360円で買い取ってもらった。
 今回、図書館側がミスに気が付いたのは、私が本を弁償するのに、現物と同じ本を図書館に届けた後、コンピュター処理をしたから。私が本の弁償をしなければ、コンピュター上での私の貸し出し状況は「未返却本あり」の状態が解消されず、毎回本を借りに行く度に「貴方へお貸ししてある本は、まだ返されていません、と言われ続けたのですか」と、なおも執拗に追及すると、又また、謝罪を繰り返す。ただ「返却の事実を強調するお客様がいれば、返却されたものとして処理することはあります」とのこと。”悪意の無い良心の顧客”として振る舞うことが大切らしい。
 結局ミステリーは解決を見ないで終わった。私にも、返却最終局面で、一冊一冊の本名を確認しないで返却したということがあり、私に何らかの事態(自転車移動中の本の紛失など)が起こった可能性も否定できない事と、この本の次のリクエスト者に迷惑をかけてはいけないとの思いから、急いで本の弁償をしてしまったようだ。
 バーコードが読み取りミスをおかす可能性は皆無だろうか。また図書館側が、本名を入力することにより、本の現在地(何処の図書館にあるとか、誰々に貸し出中とか)を読み取るシステムを導入出来ないのだろうか。図書館側が考えるべき問題だが、その点を指摘する気力は失せていた。
 


『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』を観る

2013年09月13日 | 映画・美術・芝居・落語

 9月8日(日)、新橋演舞場で九月大歌舞伎昼の部を観て来た。一時、歌舞伎は新橋演舞場からは姿を消すのだろうと、誤った推測をしていたが、そうではなかった。またまたチケットを頂き、家人と、歌舞伎を堪能することが出来た。
 「九月大歌舞伎」昼の部の演目は
 一 元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿
 二 男女(めおと)道成寺
 三 天衣紛上野初花 河内山

 (右写真は歌舞伎座)



 昼の部は11時開演なので、昼食をどう摂るかが問題となるが、今回も日比谷線「東銀座駅」から近い、「いわて 銀河プラザ」で弁当を購入した。ここでは、海産物や乳製品
などが豊富に販売されていて、二人にとってお気に入りのアンテナショップで、帰りにも寄って買い物をした。ここから斜め対面には新装なった歌舞伎座が見えるが、こちらは今のところ、遠くから眺めるだけである。(写真:銀河プラザ正面)








 今月の新橋演舞場の中心は松本幸四郎。昼の部では河内山宗俊、夜の部では不知火検校の両悪役を演じる。
 しかし、元禄忠臣蔵
も面白かった。この場面を私は始めて観た。主人公徳川綱豊卿を坂東三津五郎が演じる予定であったが、病とのことで急遽中村橋之助(成駒屋)が代役。代役とは思えない、堂々たる舞台だった。三津五郎は膵臓腫瘍とかの記事を見かけたが心配である。
 さて元禄忠臣蔵。ときは、浅野内匠頭切腹より1年、甲府宰相綱豊(後の6代将軍家宣。橋之助)の御浜御殿(現浜離宮)で恒例のお浜遊びが催されている。綱豊の愛妾お喜世(壱太郎)が、兄で赤穂浪人の富森助右衛門(橋之助の代役で中村翫雀。橋之助と同じく代役とは思えない出来に歌舞伎役者の奥の深さを観る思い)の吉良の隙見を願い出ると、綱豊はこれを許すのであった。世に浮かれるこの時代、武士道が廃れるのを嘆く綱豊は、仇討を志す赤穂浪人に侍心を見出していたのだ。
 夕方、お喜世を相手に盃を傾ける綱豊のもとにやってきた助右衛門と綱豊との会話・対決がこの劇の見どころ。不意打ちにしてでも吉良を打とうとする助右衛門の思いと、武士の本来の有り様を考える綱豊の思いの対峙。見事な心理劇が展開される。浅野家再興と仇討ちは両立しないと説く綱豊に対し、「貴方様が遊興に耽るのも六代将軍を望む故」と、負けずに立ち向かう凛々しい姿を翫雀が熱演。最終の場面では、能の舞台へと向かう吉良を刺そうと槍で襲いかかる助右衛門。しかし相手は吉良では無く綱豊だった。「自分だけ吉良を打てば良いのか」と助右衛門を諭す綱豊の立派さが強調される。
真山青果の代表作と言われる名作を私は固唾をのんで見つめ続けた。