マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『霊験亀山鉾』を観る

2017年10月16日 | 映画・美術・芝居・落語

 武蔵水路見学の前日の10日(火)、国立劇場にかかる『通し狂言 霊験(れいげん)亀山鉾』を観に行った。片岡仁左衛門を観に行った、とも言える。
 仁左衛門の『霊験亀山鉾』が演じられことを知った妻から“今生の見納め”に是非観に行こうと勧められた。主役の仁左衛門も観客の妻もほぼ同い歳の7△歳。尤もと思い、お値段は高いが“清水の舞台から飛び降りる”ことにし、この数年にして初めて歌舞伎チケットを自前で購入。国立劇場へは『轟亭の小人閑居日記』の著者馬場さんから、落語に招かれて以来6年振りのことだった。
 この演目の謂れもストーリーも知らない私は、開演以前に粗筋を知りたかった。そこで2日前に、敢えてパンフレット購入の為国立劇場まで足を運んだ。三田線「日比谷駅」で「都03」四谷行都バスに乗り換え、2つ目の「三宅坂」下車。目の前が国立劇場だ。 



 パンフレットから知ったことだが、
 「亀山の仇討」と呼ばれる事件が実際に起こった。時は元禄14(1701)年。処は伊勢国亀山城下。石井源蔵・半蔵兄弟が父と長兄の敵・赤堀水之助を討取ったという事件である。この事件を下敷きに鶴屋南北が作品化し、文政5(1822)年、河原崎座で『霊験亀山鉾』として初演された。以来何回となく演じられてきたらしい。国立劇場では15年前に、敵役藤田水右衛門を仁左衛門が演じていた。
 粗筋は意外に複雑だった。人物関係図には20人近くの人物が書かれていた。そこで、物語の細部を理解するよりも、敵を討つ石井家側と討たれる藤田家側をはっきり区別・認識しながら観劇しよう、仁左衛門の悪党振りを、じっくり観せてもらおうと心に決めた。(写真:パンフレット扉。錦絵 五代目松本幸四郎が演じる水右衛門)

 さてここからは観劇の様子も併せて。
 水右衛門という人物は、剣が立つ上に卑怯千万な男。石井家の右内は闇討にあい、仇討に向った兵介(又五郎)は立ち合い前に杯に毒を盛られ、養子源之丞(錦之助)は落とし穴に足を取られて討ち死。それも惨いことに最後には切り苛まれてしまう。武士の風上にも置けない極悪非道な奴。薄ら笑いを浮かべながら最後のとどめを刺すのである。色気のある悪党。華のある悪。拍手喝采はないものの、皆食い入るように観ていた。

 第1幕で、下げ売りが「古今珍しき仇討の次第」と書かれた刷り物を撒く場面があった。ネットで花道に隣接する席を購入していた。運よくその”下げ”が前席の方に手渡され、珍しいのでお借りして撮影したものが右写真。

 見せ場が2つあった。もう一人の小悪党八郎兵衛を演じるのも仁左衛門。仁左衛門は一人二役を演じていた。火葬場に現れた八郎兵衛が、源之丞と恋仲のおつまに討たれ井戸に落ちて消えてしまう。その脇に火を付けられた桶が置かれていた。桶に入れられ、今まさに火葬にされそうな瞬間に水右衛門が樽桶を割って現れる、という早変わり。ここで大きな拍手が沸いた。
 もう一つ見せ場が亀山城下。時は亀山曽我八幡宮の祭礼日。おびき寄せられてやって来た水右衛門の前に現れたのが、源之丞の妻お松と幼き長男源次郎の、女と子ども。剣の達人に叶う訳がないのである。しかし、剣を交わす一瞬に、微かに空が光る場面が用意されていた。その光は雷の電気だったかもしれない。その電光に打たれた隙に水右衛門は討取られてしまう。舞台後方を亀山鉾が練り歩くなか、霊験として電光が舞い降りて来たと思わせる演出。かくして霊験亀山鉾は幕を閉じた。仁左衛門は絵になっていた。

 劇場を出ると6台の都バスが停まっていた。都バスの臨時便で、渋谷行・新宿行・丸の内行と新橋行。新橋行は「劇4」とあった。「劇4」に乗車し、新橋にある、鳥取県と岡山県の共同アンテナショップ「とりおか」で買い物をして帰宅した

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