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みいちゃんとみいちゃんのパパの日記

生田緑地の D51 を じっくり見てみた。

2015年02月23日 | プラレール

 近時プラレールアドバンスにはまってしまったことから、急に電車や汽車に目がいくようになり、先日「星空ゆうゆう散歩」に生田緑地に行ったついでに、いつもは何気なく通り過ぎていた、展示されている「D51」をじっくり見てみました。 

 プラレールアドバンスのD51はJR西日本の梅小路蒸気機関車館にて保存されている200号機をモデル化したものです。

 

 
(200号機 Wikipediaより)

 生田緑地の保存されているものは、北陸線などで活躍した408号機ということです。

 

 D51は、主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数では最大だそうです。この記録は現在も更新されていないとのことです。

 

 D51は1936年(昭和11年)から製造されました。1929年(昭和4年)に始まった世界恐慌により鉄道輸送量が低下。その後、景気が好転して輸送量の回復傾向が顕著になってきたため、新形の貨物用機関車が求められ、あらためて設計されたそうです。

 この401号機は標準型といわれ、初期型の「ナメクジ」型(砂箱と煙突の間に給水暖め器があり、それらを覆う長いキセ(着せ=覆い)持つことが外観上の特徴)と異なり、シャープな雰囲気のものです。

 (初期型(ナメクジ型) Wikipedea より)

 煙突と前照灯との間に給水暖め器があるのが分かりますね。

 青少年科学館がリニューアルされた時に同時にお色直しをされたので、ビカビカに輝いています。正直いって、以前は相当みすぼらしい雰囲気だった気がします。

 Wikipedea によれば、1940年に日本車輌製造が製造した45両の内の1両のようです。( D51 406 - 441・613 - 621(製造番号781 - 816・891 - 899))。

 生田緑地には、ブルートレインの客車も展示されています。

 

銘板によれば

「この客車は、昭和23年に日本車輌製造株式会社でつくられ、国鉄常磐線
経由東北線の上野~青森間を約37年間に555万キロメートル、(地球を約
140周)走りつづけ、昭和60年3月水戸機関区で廃車となりました。その
後、国鉄大宮工場で改装し、国鉄梶ヶ谷貨物ターミナル駅まで回送され、
ここから40トン積トレーラーにより運搬し、据付けました。
                      昭和60年10月」

 客車の形式は、形式がスハ42-2047(一般座席客車)、定員は88人乗り、重さは自重33.4トン、積車40.0トン、長さは19.5メートル、高さは4.02メートル、幅2.90メートル。

 

 新幹線もかっこいいけど、昔の汽車は趣がありますね。


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