平成23年4月1日(金)
春まだ浅い時期のこと、阿蘇に文学散歩と洒落込みました。
夏目漱石が熊本の第五高等学校(今の熊本大学)に英語教師として5年間在任したのは周知のことですが、同僚山川伸次郎との阿蘇中岳登山がもとで名作「二百十日」が生まれました。同じ年に「草枕」も発表されています。漱石と伸次郎が泊まった温泉宿が「養神館」(今の「山王閣」)です。
訪問の趣旨を話すと、快く玄関から庭へ入らせていただきました。
当時の建物も保存されているそうで六畳間のちゃぶ台には恵比寿ビールが2本置かれてるとか。外輪山を背景に漱石は何を考え続けているのでしょうか。
与謝野鉄幹・晶子夫妻は昭和7年に阿蘇内牧の永田氏邸(今の旅館「蘇山郷」)に六女・藤子と共に泊まっています。永田氏は夫妻を泊めるためにわざわざ豪勢な杉材を使って部屋を新築したと言われてます。今も「杉の間」として残っているとのことです。
この素敵な庭の一角に歌碑が建っています。
記事は「阿蘇観光協会」のパンフレットを参照させていただきました。「山王閣」と「蘇山郷」には、ただ写真を撮るだけだったのに親切に対応していただき、ありがとうございました。まだまだ阿蘇には探訪したい文学の足跡があります。いつかまた続編をお届けできればと思っています。
きょうから4月。わが家の吉野桜はまだ蕾。ポストカードには有明公園のきのうの写真を使いました。
春まだ浅い時期のこと、阿蘇に文学散歩と洒落込みました。
夏目漱石が熊本の第五高等学校(今の熊本大学)に英語教師として5年間在任したのは周知のことですが、同僚山川伸次郎との阿蘇中岳登山がもとで名作「二百十日」が生まれました。同じ年に「草枕」も発表されています。漱石と伸次郎が泊まった温泉宿が「養神館」(今の「山王閣」)です。
訪問の趣旨を話すと、快く玄関から庭へ入らせていただきました。
当時の建物も保存されているそうで六畳間のちゃぶ台には恵比寿ビールが2本置かれてるとか。外輪山を背景に漱石は何を考え続けているのでしょうか。
与謝野鉄幹・晶子夫妻は昭和7年に阿蘇内牧の永田氏邸(今の旅館「蘇山郷」)に六女・藤子と共に泊まっています。永田氏は夫妻を泊めるためにわざわざ豪勢な杉材を使って部屋を新築したと言われてます。今も「杉の間」として残っているとのことです。
この素敵な庭の一角に歌碑が建っています。
記事は「阿蘇観光協会」のパンフレットを参照させていただきました。「山王閣」と「蘇山郷」には、ただ写真を撮るだけだったのに親切に対応していただき、ありがとうございました。まだまだ阿蘇には探訪したい文学の足跡があります。いつかまた続編をお届けできればと思っています。
きょうから4月。わが家の吉野桜はまだ蕾。ポストカードには有明公園のきのうの写真を使いました。
阿蘇、文豪ゆかりの地でもあるんですね
そちらでは、桜が綺麗にさきましたね
此方は未だもう少しかかりそうです
少しほころびかけたところもあるようですが、・・
4月、桜の開花が待たれます
桜が咲けば何か良いこと有りそうな・・
そんなことは有るわけ無いんですが・・・
とてもいいポーズしていますね。
日本のいく末を考えていたのでしょう。
ある人に聞いたことがありますが、
夏目漱石の脳みそは相当重かったらしい・・・です。
嘘かほんとか?東大のある場所に保存されているとか。
どんこさんきっといい文学散歩が出来たことでしょう。
東北関東大地震で忘れられていますが
新燃岳の噴煙や火山灰の被害はまだありますか。
そろそろ桜の季節になります。
今年はうきうきした気分になれそうもありませんね。
有明公園の桜はよく咲いていますね。
夏目漱石と岡山と熊本との繋がりは、以前書き込みをさせていただきました。
私の住む近くの西大寺に、義姉邸があったり、津山に新しい中学校が出来たとき、友人だった菊池謙二郎が校長だったことで教師の話もあったとか…五高の生徒との関係もありました。
与謝野鉄幹・晶子夫妻も縁があります。
鉄管が少年期、岡山市国富(六高あった場所)で過ごしたので、度々来岡しており、湯原温泉が気に入っていたようです。
「かじか鳴き 夕月映えり いくたりが 磐湯にあるも みな高田川(今の旭川)
の句碑もあります。
いよいよ活動の季節ですよ~~
どんこ亭の桜はまだ奥手なんですね
漱石にゆかりの深い熊本では
生誕百年祭のイベントが大々的に行われました。
市内の早い所はもう満開を迎えていて
運動公園一帯では花見で賑わっているそうです。
花見どころではないご時世ですが
節度を持ってすればいいのではないでしょうか。
何もしないで沈んでいることは良くはないですよね。
漱石のは重かったという話は聞いていましたよ。
さて、今の政治家の脳みその重さは超軽量かも知れませんね、ハハハ。
この非常時にまだ駆け引きに明け暮れているゲスたちの話を聞くと腹立たしくなります。
「この瓦礫をどけるから手伝って」と言えば
現地の人間は間髪を入れずに手助けしますよね。
連立など駆け引きの道具にされるならしない方がまし。
与党だけの力で堂々とやんなさい。力も尽くさないうちから、
「手伝ってくんない」などと頼りないことを言うから「○○よこせば一緒にやってもいいよ」と足元を見られるんだ!
はい、どんこの怒りの弁でした。
まだまだいっぱいありますよ。ぼちぼちまた探訪していきますね。
こちらの新聞やテレビでも新燃岳の報道がほとんどありません。
あまりにも大きな震災ですっかり忘れられているようです。
あの入試カンニング、熊本の幼女殺し事件も同様ですよね。
被災地の子どもの笑顔にはいつも救われています。
寺田寅彦が書生として住み込んでいた小屋がありますよ。
ここも写真撮影OKなのでうれしかった記憶があります。
内牧温泉もややさびれている感じですが
新幹線開通が起爆剤となりますかね。
文学探訪、また楽しみにしていてください。