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NPO法人「ドネーションシップわかちあい」事務局ブログです

フィリピン 貧しい母子のクリニックより―貧困に届く支援方法の模索―

2011-07-20 06:26:57 | ドネーションシップ
※7月10日に開催した冨田江里子さんお話会の報告です
 学生スタッフSさんがレポートにまとめてくれました。(ありがとー)

冨田さん江里子さん お話会
「フィリピン 貧しい母子のクリニックより
―貧困に届く支援方法の模索―」


 今年でクリニックをはじめて11年目。冨田さんさんは、診療規模は大きく変わったわけではないと話されたが、2010年4月から2011年3月までの患者は、診療だけでも5949人。いくらスタッフがいるとはいえ、とても多い人数だと感じた。クリニックまで山を越えてやってくる人も少なくない。それ程までに、クリニックも、冨田さんさんも、この地域の人たちの拠り所となっている。
 「目の前の人にできる限りのことをしなければならない状況。その中で何かが足りなくなるタイミングで、支援が届いたりする。」と、冨田さんさんは言う。それとは逆に、暑いフィリピンでは使わないのではないかという毛布が届いた矢先に、小さい赤ちゃんが生まれたりする。日本では、保育器に入れるぐらいの大きさの赤ちゃんでも、フィリピンのお母さんたちは家に連れて帰る。赤ちゃんの体温を下げないようにするために、暖める必要があり、そのためにこの毛布は使われることになったのだった。
 
 冨田さんは、お話の最初で、途上国支援の在り方、途上国の根本的な問題をどうすれば変えていくことができるのか、という問題を投げかけた。途上国自体も、貧困に対する支援を全くしていないわけではない。
 例えば、フィリピンでは、貧困カードというものが配られる。これは、1年間病院が無料になるというものだ。では、それでいいのかというとそうではない。このカードについてはその後10年間配られない。つまり、途上国が、貧困対策をしていることの言い訳に使う程度のものなのである。何が貧困の根底にあるのか、どうすれば根本的な解決ができるのか。それを考えるためには、まず、その実情をきちんと理解しておく必要がある。

 日本人は、途上国の人を見ると「かわいそう」だと言う。食べ物がないから、住む所が悪いから、清潔でないから・・・しかし、「かわいそう」に隠れている真実もたくさんある。
 モルジブで、人々は、ごはんとわずかな魚を食べて暮らしている。ここに日本の栄養学を持ち込むと、栄養失調だということになる。しかし、冨田さんがモルジブに行かれた時、そこで暮らす人々は栄養失調になっていなかった。そして、がんや成人病、アトピー等、現代日本人が悩まされているような問題もなく、健やかだった。つまり、日本人には日本人の栄養のとりかたが、その土地にはその土地の栄養のとりかたがあり、その土地にあるものを食べることが、その人に合った食生活であるということがいえる。それを、日本の栄養学に置き換えて栄養が足りていない、ということは実情と掛け離れてはいないだろうか。
 
 他方、フィリピンでは、食生活が歪み、がん、成人病、アトピー等が蔓延している。インスタントラーメンにビタミンAが添加されていたり、気温40度でも変形しないマーガリン等、腐らない食品が出回っている。また、早期に人工的な味覚に慣れさせる目的で、使われるのがミルクだ。「頭がよくなる」という宣伝によって、貧困の人々でも、お金が入るとミルクを買ってしまう。本来母乳の代替であるはずのミルクは、母乳と同じ成分のものがなくなってきている。
 小さい時期の味覚がその後の味覚になるため、ミルクで育った子は、大きくなってからも、何の躊躇もなく添加物だらけの製品に手を出すことになる。もちろん、添加物が体に良いはずもなく、1歳8ヶ月で腎不全によって死亡した子もいるという。フィリピンでは、人工添加物についての規制がなくいわば、やりたい放題なのだ。
 これは、日本人が途上国の食生活に抱いている印象とはずいぶん異なるものではないだろうか。これは、単にお金がないから食べ物が食べられないという問題だけではない。

 廃材で作られた家に小さめの赤ちゃんを連れて帰ったとしても、ちゃんと生きている。「人は環境に適用できる力を持っている。100パーセント助ける医療でなくても大丈夫。」だと冨田さんは言う。
 また、ごみ山で暮らしている人もいる。昔は2家族だったのが今は50家族にまで増えた。これは、貧困の人が増えたから、というようなことでもない。ごみ山には、支援の手が差し伸べられることが多い。つまり、ごみ山に住んでいれば、食べ物やお金のもととなるものが自然と集まってくるというだけではなく、様々な支援団体による奨学金制度や自立のプロジェクトも、ごみ山には集まってくるのである。私は、この話を聞いたとき、いったいどのくらいの人がこの真実を知っているのだろうかと思った。
 良かれと思ってやっているごみ山の人に対する支援が、結果的にごみ山に人を集めることになっている。もちろん、支援そのものを否定するわけではない。しかし、貧困の人々に支援をしたいと考えるのであれば、その根底にあるものを客観的に見ていかなければ、抜本的な解決などできないと思った。

 日本では、石鹸や消毒アルコール、除菌グッズがたくさん出回っている。途上国にはこれらの物はほとんどない。フィリピンの貧困の人は、石で体を洗う。先進国からみると、この状態は汚い。しかし本当にこれで問題が起こっているのか。石鹸や消毒はごく最近のものであり、その歴史は浅い。汚くなるから感染症が起こると思っているが、そんなことはない。石で体を洗っている人々は、それが原因で感染症になることはないのだ。
 このように、途上国で起こっている真実を、一歩引いた視点から見ることはとても重要なことだ。自分たちの概念を持ち込んで、それを当てはめているだけでは、何の真実も見えてこない。冨田さんのお話は、その客観的な視点の材料を私たちに与えてくれるものだった。
 
 そして、そのような視点を持つことと同時に、本当の意味での途上国支援を考えるのであれば、貧困の人たちが直面している状況、状態について、しっかりと知ることがとても重要である。
 例えば、日本からの医療支援が事態を悪化させていることもある。これは、「実際どのようになっているかを知らないまま、役人だけの意見を聞いて、技術を教えるから、うまくいかないものが多くなる」のだという。「現地の貧困の人はやられたことに対して何もいえない」。だからこそ、相手を知ってから支援をすることが大切なのだ。

 貧困の根底にあるものの1つに、形だけの教育、学歴だけで中身のない人材が作り上げられていること、また、形・技術ばかりの心ない医療がなされていることがある。そして、貧困の人々にはその被害を表現できる手段がない。
支援団体は学校を作る。しかし、その学校の中でなされている「教育」は、とても形式的なものになってしまっている。先生は、「教育は理解をさせることだ」という認識がなく、教科書を読むだけ、黒板に書くだけで、あとは試験を受けさせればそれでいいと思っている。
 そのようにして大人になった者は、思考やコミュニケーションがうまくいかなくなる。これらは、集団指導は食事や物をもらうための場であるとの認識、新しい知識がなくても困らないという思い込み、知らないことへの知識欲の低さ、話を聞く能力の低さなどに繋がってしまう。また、こどもを売るような未熟な思考の親や闇中絶の横行等も生じる。
 医療は、まず、その患者がお金を払えるかどうかというのが前提になってしまっている。簡単に治るような病気やけがでさえ、お金がないというだけで診療を受けることすらできない。このような中身のない教育や医療は、根本的な問題を解決しない限り、改善することは不可能だ。

 冨田さんは、クリニックの役割として、お産や診療といった患者への対応のみならず、予防知識の普及・教育、こどもたちへの心ある関わりを通じた人間形成への支援、貧困の現状を日本へ伝えることを挙げた。
 こどもと人として向き合うことはとても大切なことだ。貧困のコミュニティーにいると、そこの中でしか話ができなくなる。こどものほうが受け皿が大きいため、思っていることや感情はダイレクトに伝わるという。
 年間6000人近くもの患者に向き合うだけではなく、貧困の根本的な部分から変えようとしているのだ。

途上国支援・貧困支援を掲げて活動している団体は少なくない。
しかし、どれだけの人が、その実情を理解し、
その根底からの解決を意識した活動をしているのだろうか。

誰かのために自分を役立てたいと考えている人は少なくない。
しかし、それを実際に行動に移すことのできる人は少ない。
そして、その根底からの解決を意識して
活動している者は、もっと少ないように思う。

しかし、上辺だけの「支援」では、何の解決にもならない。
本当の意味で、途上国支援・貧困支援をするのであるならば、
その人々の本当のしあわせを考えていなければならないと思う。
冨田さんは、それを念頭において活動している、数少ない人だ。

だからこそ、冨田さんやクリニックの存在は、
この地域の人々にとって、大きな支えとなっている。
いま、フィリピンで、クリニックの地域で、
そこにいる人々にとって、冨田さんは他に代えのきかない存在だ。
多くの人が、人の役に立つことをしたいという気持ちを持っていると思う。
しかし、それを行動に移せる人は少ない。
冨田さんのお話は、その第一歩を踏み出すための、
「真実を知る」ことを教えてくれたように思う。

「関心が持たれていない人たちに関心を持つこと」、
「生きたくても生きられない人の声を聞くこと」。
これは、誰にでもできることだ。
私たちは、自分が積極的な行動に移すことが難しいとしても、
真実を知り、関心を持つこと、何が起こっているのかを理解することはできる。
そしてそれは、次の一歩にとって大きな意義があることなのだ。
クリニックが、冨田さんにしかできないことであるように、
私たちひとりひとりが、冨田さんのような視点をもって、
自分にしかできないことをやっていくことで、
途上国・貧困の人々も、そして私たちも、
しあわせな社会を作っていくことができると思った。

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冨田江里子さんのブログ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/barnabaseriko/17134957.h
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2007年↓冨田さんの診療所へのわかちあいの報告
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