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NPO法人「ドネーションシップわかちあい」事務局ブログです

ミンダナオ子ども図書館メールだより から

2018-09-18 16:48:17 | ドネーションシップ
※今年のわかちあい祭りに参加して下さった
ミンダナオ子ども図書館(MCL)のメールだよりから
紹介させていただきます
台風21号は日本を直撃しましたが
今度はフィリピンで台風の被害が伝えられています
わかちあい祭りで出会ったMCLの若者たちの顔を思い浮べています。


ミンダナオ子ども図書館メールだより
(ミンダナオ子ども図書館は、読み聞かせを中心に、スカラシップ、医療、保育所建設、植林を行っている現地NGO・特定非営利法人です。)
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2015年の記事を
サイト「ミンダナオ子ども図書館日記」にあげています。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanewsdaiary.html

*********
人の味がするんです
避難民キャンプというものも、初めてだったが、
雨がふれば、そこらじゅうから水がもれてくる、
タタミ二畳ぶんもないような、
椰子の葉やビニールシートの屋根のしたに、
まるでちじこまるようにして二年いじょう、
家族が、生活している姿をみるのはあわれだった。

しかも、その数たるや はんぱではない。
その多くは、町からはなれた平地や丘陵地帯で、
トウモロコシをちゅうしんにほそぼそと畑を
たがしている農民や、湿原地帯の漁民たちだった。

戦争が勃発してまもないころは、
彼らは、農業倉庫や政府機関によって指定された
難民キャンプに収容される。
それはモスクのそばだったり、学校のそばだったりする。
しかし行政も、毎日のようにあふれでてくる

避難民たちに対応しきれず、
その数があまりにもとほうもないので、
たちまち収容場所からはみだして、
道路わきから畑地にも、
乞食小屋よりも、さらにひどいものが
立ちならぶようになっていく。

避難民たちは、ほんとうに骨の髄から
疲れきったという顔をしている。
何しろ数年おきに同じことがくり返されるし、
水も不自由でトイレもなく、食料もない暮らしが、
半年から一年以上も続くのだから。

食料といえば、日に二度のトウモロコシを薄く
とかしたようなお粥を食べられれば良いほうで、
ときには何日も食べるものがなく、
おなかが痛くなってきて、
しまいには栄養失調になって体が弱っていく。

それにくわえて、不衛生な環境で病気になり、
薬もなく、たとえあっても買えるだけの
お金もないので、キャンプで死んでいく、
大人や子どもも多い。

案内をしてくだった女性がいった。
「あなたは、ナマズをスープにした料理、食べますか?」
ぼくは、こたえた。
「ええ、大好きですよ。
ここは、河も湿原もちかいから、
おいしい川魚料理がたべられそうですね。」
「ええ、雷魚も鯉もおいしいですよ。
でもねえ、人の味がするんです。」
「ええ?人の味?」
おどろいて絶句するぼくにむかって、
女性はこたえた。

「あのプランギ河をコタバトから海軍が、
戦闘用のボートでのぼってきて、
いっせい射撃をしながら、
このさきのランディングピースと名づけられている
場所に上陸したとき、
おおぜいの人々がにげるひまなく殺されて、
その死体を埋めるひまなく川にながしたんです。
このあたりの魚は、その死体をたべて
そだっているから、
人の味がするといわれている。」

ぼくは、答えにきゅうしてだまってしまった。
まわりをみると大人たちも疲れきった顔を
しているけれども、
子どもたちの疲労困憊ぶりはさらにひどい。

父さんも母さんも絶望的に機嫌が悪いし、ひもじいし、
泣きはらした顔が、そのままこおって
しまったような表情をして、
ぼくが手をふっても、ほとんど表情がなく
笑おうともしない。

これはのちほど、この地域出身の
ある父親から聞いた話だが、
彼はうまれていらい30年間というもの、
かずしれぬ戦闘を体験してきたという。
そのたびに、つらい
避難民生活をよぎなくされてきた。
幼い子ども時代から、くり返しくり返し・・・。

げんちで活動しはじめてからしったことだが、
ミンダナオ紛争が、イスラム自治区の独立闘争として
はじまったのが1970年。
そのご3年おきぐらいに大きな戦争がおこり、
そのたびに住民たちは、避難民として、
このような生活をよぎなくされてきたのだった。
そのお父さんは、こうぼくにかたってくれた。

「わたしは、生まれてからこのかた、
子ども時代から青年時代、そして結婚して
子どもが生まれてからも、数年おきに、
こうした避難生活をさせられてきたのです。
(中略)サイト「ミンダナオ子ども図書館日記」にあげています。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanewsdaiary.html

とくに、1990年代の戦闘と難民生活はひどかった。」
いま目のまえで、まのあたりにしている
状況でさえひどいのに、
もっとひどいときがあったという事実に、
ぼくは心を痛めた。
その方の小さな娘さんは、
ほおに大きなこぶができていて、
後にぼくたちは、その切開手術をしてあげた関係で、
いまも親しくおつきあいさせていただいている
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanewsdaiary.html
松居友


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