「困った時はお互い様」    

NPO法人「ドネーションシップわかちあい」事務局ブログです

被災地NGO活動センター:東日本大震災・現地からのレポート

2011-04-06 08:48:33 | 東北・関東大震災
※私たちは神戸の「被災地NGO協働センター」の活動を応援しています。
http://www.pure.ne.jp/~ngo/

(以下、HPより抜粋させてもらいます)
1995年1月17日、阪神・淡路大震災は
多くの犠牲者をもたらすと共に、たくさんの人々の生活を一変させました。
特に、社会的に弱い立場に立った人達が
大きな被害を受けたことが特徴的だったと言えます。
・・・・
震災時のKOBE国内だけでなく海外からも多くの支援を頂きました。
その時の「ありがとう」
「困ったときはお互いさま」の想いから始まった災害救援。
被災地内外の市民とネットワークを築きながら、
KOBEからの経験を共有し、各地の復興課程を見守りつつ、
そこで学んだことをKOBEにも反映していくことを目指しています。
国外では1995年のロシア・サハリン地震以来、
今まで25回以上の救援活動を実施(2001年6月末現在)。
国内におきましては、1997年に「震災がつなぐ全国ネットワーク」が形成され、
国内における自然災害に即座に反応し、
コーディネーターを派遣しての支援活動を行います。
****************(転載ここまで)************

今回の東日本大震災においても翌日から現地にはいって初動の緊急支援、
現地のボランティアと連携した炊き出しや避難所の立ち上げや運営、
当事者の立場に寄り添って被災者、被災地の必要を汲み上げていく
当事者と市民ボランティア中心の支援活動を展開しています。

以下、現地からのレポートを紹介します。
被災地NGO協働センターの活動、プロジェクトの応援を!!


◆東日本大震災レポートNO39
被災地NGO恊働センターです。
地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポート
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米沢市営体育館。未だ500人近くの被災者の人々が暮らす。
同じ被災者と言っても状況は全く違う。
南相馬市で津波で家も車も流され、
津波の水を被って命ギリギリのところで生きのびた家族、
地震で家はそれほど被害はなかったが、
この数日で原発の放射能濃度が上がり、急に逃げてきた福島市の親子、
20km圏外の相馬市で自宅は無事で、
原発が落ち着けばすぐにも戻りたいと思っている高齢の人々。
南相馬に家族を残してきた人、
皆、被災状況も出身もそれぞれである。

足湯の場に集まってくる子どもたちの会話の中にも
「家がなくなった。ランドセルもなくなった。」という言葉も聞こえてくる。
「Aくんは家があるからいいよね。私、家ないもん。」というEちゃん(8歳)は、
隣で同世代の子どもがゲーム機で遊んでいる姿をうつろな目で見つめていたそうだ。
それを見ていた足湯隊の若者はつらかったとつぶやいた。

被害状況も出身も違う人々が同居する避難所。
時間が経てば経つほどその「違い」がとくっきりと見えてくる。


◆東日本大震災レポートNO40
被災地NGO恊働センターです。
「まけないぞう」作りと足湯を行っている増島智子さんのレポートです。
足湯のあたたかさが広がり、
このたび遠野の方々が中心となり足湯隊が結成されました。
また被災地NGO恊働センターからの派遣第5陣が本日出発し、
米沢を経由し遠野に向かっています。
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増島智子さんのレポート
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いまだ余震が続いている被災地で、
今日も夕方頃に外にいてもわかるくらい地響きとともに大きな揺れを感じました。
被災地の多くの人は、あ~また揺れていると、
なんだかみなさん揺れに対して慣れてしまっている様子です。

今日は昨日布団がなかった小槌エリアの施設避難者の方に布団を運び入れました。
こちらも支援の手がこぼれていたところです。
ここは足湯のつぶやきを通して、ニーズを拾えたところです。
ただ物資をもっていって「要りませんか?」と聞いただけでは、
このようなニーズを拾うことはできなかったと思います。
やはり面でとらえるのではなく、
点を浮かび上がらせ面にしていかなくてはならないのでしょう。
また、昨日は具合が悪いと訴えていた男性も今日は体調がよくなり、
落ちつていられるということでした。

今日の足湯隊は以前にもお邪魔した小槌エリア
「臼澤鹿子踊保存会館伝承館」を訪問しました。
2回目ということもあり、行くとみなさん靴下を脱いで順番待ちをしています。
最初は子どもたちが並んで足湯をしていました。
その中でも一人の女の子は津波で家を流されていました。
他の子たちは、家はなんとか流されずにすんだようです。
お互いに気を遣いながら過ごしているようですが、
すべてを流されたこの女の子の心境を考えると・・・

また今日はこれまでの最年少の
4月6年生になる男の子が足湯に参加してくれました。
彼は、お湯・お水をきちんとチェックし、
なくならないように部屋と外を行ったり来たりしっかり働いてくれました。
彼は、「私はねぇ、桃太郎トマトの種を育てていて、
原発のことで種が出荷できなくて、残念だ~。何年生?
(4月に6年です(自分))えらいね~。
こうゆうのはすきじゃないとできないよ。
お風呂に入ってるみたいで気持ちいいね~。」
というつぶやきを拾ってくれました。
このつぶやきによって、この人にトマトの種を届けることができ、
また笑顔が戻る日がくることを願ってやみません。

もう一つは、以前にも布団を届けた「小槌地区多目的集会場」です。
そこでは、「大槌市内から来ました。父親が見つからないそうです。
お茶やコーヒーも全く飲めてないそうです。
鏡やくしなどが欲しいとのことです」というつぶやきを聞きました。
どこの避難所の人たちも状況は徐々にではありますが、
生活必需品を必要とする声が聞こえてきます。
なかには、家がすべて流され、もうあきらめて、
埼玉に住んでいる娘のところに行くという女性がいらっしゃいました。
「この年になって見知らぬ土地に住むなんて思いも寄らなかった」と
不安そうな思いを打ち明けてくれました。
県外避難者も多くいますが、
長年住み慣れた土地を離れるということはとても辛いことです。
県外に避難されている方が孤独に陥らないように
安心して暮らせる環境を考えていければと思います。


◆東日本大震災レポートNO41
被災地NGO恊働センターです。
地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートです。
膨大な電力を安定して供給してくれる原発ですが、
制御できない原発がもたらすものは脅威でしかありません。
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吉椿のレポート
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米沢市民体育館。
ここに避難してきた方々の多くは、原発被害によるものだ。
人災と言っても過言ではない。

南相馬市から家族で避難してきたKさん(30代男性)は、
「親父を家に置いて来たんだ。」とつぶやく。
避難する際に何度も説得したが、
「俺はここに残る」と言って頑として動かなかったそうだ。
奥さんと子ども二人を連れて、この米沢に避難してきた。
足湯ボランティアの若者とも仲がよく、
二人のお子さんをいつも遊ばせている優しいKさんだが、
時に「この原発さえなければ、
津波で亡くなった方々のご遺体が放置されたままにならないのに。。。」
と怒りをあらわにする。
避難所の人々は、原発に関する報道があると
真剣なまなざしで避難所のテレビを見つめている。
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◆東日本大震災レポート42
被災地NGO恊働センターです。
増島智子さんのレポートです。
大規模な避難所のものとは違った問題が発生しているようで、
十分な食糧さえ行き渡っていないところもあるようです。
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増島智子さんのレポート
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今日は初めて訪問する小槌エリアの
「山岸地域生活改善センター」という避難所を訪ねました。
ここも小さな避難所で14名くらいの方が避難されていました。
やはり小さな避難所には物資が届きにくかったようで、
被災者の方が「お米がいつくるかわからないので、うすめて食べている」
というつぶやきを拾いました。
次回、訪問するときにお米を届けたいと思います。

足湯隊がひろったつぶやきを紹介します。
女性:「きたなくてはずかしいけど・・・。
決まっている風呂の日に都合が悪いと入れなくてね、
変な話しね、パンツ式オムツをかわりにはいたのよ・・・。
退職した夫がね、またねタンカーに乗るのよ。
幸い家族はみな無事やったけど、
家や人が流されるのをみて泣いた・・・もう海べりには住みたくない。
息子の会社も壊されてしまった。
仕事をしないと食べてゆけない、命は助かったから良かったけど、
これから生きていくのにまた、大変やどうしよう。」と。。。

お話しを伺ったり、つぶやきをみていると、
こんかいの津波の恐ろしさをつくづく感じます。
中には明治にあった三陸大津波を経験した人もいたそうです。
過去の教訓を生かして、世界最大の防波堤が建設され、
住民のみなさんも安心していたという声を聞きました。
でも自然の驚異を前に人間の力は無力です。
けれどこれ以上、今後尊い命を失わないために
私たち人間は自然と共生し、
自然に感謝しながら生きて行かなくてはならないと思います。
人間の欲求のまま、利便性だけを追い求め、自然を破壊して生きていく、
これまでの生活をみなさんもう一度考え直してみませんか?
 
この日は、真言宗高野山派の五味さんらが被災地を訪ねてくれました。
全国からの応援を被災地にいながら心強く感じています。
ありがとうございます。
 「大きなことはできません。
 ただ小さな愛をもってやることはやることはできます。」
                         
マザーテレサの言葉より
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●東北地方でのボランティア活動(避難所運営・
ボランティア拠点立上げ)の資金を募集しています。
●宮崎から東北へ、支援の輪を~「野菜サポーター」を募集しています。
●「粉ミルクを届けようプロジェクト」、
アレルギー用粉ミルクとカンパを募集しています。
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●事務局カンパを募集しています。

   振込口座:郵便振替01180-6-68556
   口座名義:被災地NGO恊働センター
   通信欄に、支援事業名をお書き下さい。

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 被災地NGO恊働センター 
   E-mail ngo@pure.ne.jp
   URL   http://www.pure.ne.jp/~ngo/
   TEL 078-574-0701 FAX 078-574-0702  
   〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10
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