SEASONS

幾度巡り 巡り行く 限りある 時の中に 僕らは今 生きていて そして何を 見つけるだろう

考え方AとB

2008年06月08日 23時57分46秒 | Weblog
以下の各問いに関して、皆さんはAとBのどちらがしっくり来ますか?

① もし、今の日本にある法律が半分になったら?

A 秩序は保てなくなる。治安が悪化する。

B 秩序は保たれ、むしろ多くの人が幸せになれる


② 大きな決断を迫られた時

A 客観的なデータと、何らかの判断基準に従って決断したい

B フィーリングで決めたい


③ 人命の重さに関して

A 人の命は地球よりも重い。

B 人間といっても所詮動物の一種である。


④ 子どもについて

A 基本的に分からんちんである。キッチリ教育して、立派な人へ育てなければならない。そうしなければ、本人も社会も幸せになれない。

B 分別がある。キッチリ教育しようとしなくても、放っておけば勝手に育って、本人も社会も幸せになる。


⑤ 学業に関して(学部で大学を去るか、院へ行くかに拘らず、今後も学業を活かしていきたいと考える人の場合)

A 何か一つ専門分野をきっちり勉強して、議論についていける力をつけることが大事。

B 専門分野に囚われず好きなことをやればイイ。


⑥ 「どんなフィールドでも良いから一生懸命努力して、社会の役に立つ人間であれ」という考え方は

A 立派だと思う。努力することは美しい。

B 何だか気持ち悪い。押しつけがましい。


⑦ 言葉とフィーリングなら

A 言葉が大事

B フィーリングが大事


⑧ 人間性について

A 性悪説。人を見たら泥棒と思え。

B 性善説。渡る世間に鬼はなし。


⑨ 善悪の区別について

A 善悪の基準は人によって違う。

B 誰であっても善悪の基準は殆ど同じである。人によって善悪の基準が異なるように見えるのは、邪心のある人がいるからである。


⑩ あなたが安心して暮らしていられるとすれば、それは

A 財産、警察、社会的地位や自分の実力のお陰である

B 愛のお陰である


⑪ 労働者の生産性を上げるには

A 賃金を上げることが最も効果的である  

B コミュニケーションを充実させることが最も大切である


⑫ 社会が豊かになり、貧しい人は減ったが格差が開いた場合

A 格差が開いたって、貧しい人が減ったのなら良いと思う

B 貧しい人が減ったとしても、格差が開くのは問題である。


⑬ 神について 

A 神は唯一○○のみである。もしくは、神なんていないと思う。

B 森羅万象に神が宿っている。


⑭ 「人は何のために生きるのか?」「なぜ人を殺してはいけないのか?」というテーマについて

A 永遠のテーマである。決して答えは出ないが、そのような根源的な問いを考え続けることは大切である。

B 興味がない。そんな問題に興味を持っている人達とはお近づきになれない。


⑮ 大学で、客観的に立証出来ない問題(「健全な性秩序とは何か?」など)を議論することに関して

A インチキ臭い。所詮主観論だから、空しい。大学でやるべきことじゃない。

B それはそれで大事。大学でやるべき。


⑯ 「大地が怒っている」という表現に関して

A 擬人法である

B ストレートな表現である。表現技法なんて用いていないと思う。


⑰ 人間が分かり合えるのは

A 経験や価値観が共有されているから。異なる価値観を持つ人同士が分かりあうのは難しい。

B 心構えの問題。心構えさえあれば、全く異なるフィールドや経験の人と分かり合えることも十分可能である。


⑱ 農業に関して

A 他国と仲良くできるのであれば、食糧自給率はゼロでもいい。どんどん自由化すべきだ。

B たとえ他国と仲良くしているとしても、地産地消に徹するべきだ。 


⑲ 社会問題・国際関係に関して

A 政治や外交、経済の諸問題について考えるときは、普通の人間関係を語るときとは異なる視点で語らなければ本質は分からない。信頼関係や愛情などの概念を持ち出すべきではない。

B 天下・国家の問題であろうと、所詮人間のやっていることである。従って、信頼関係や感情に大きく左右され、その視点を欠いたまま分析をしても的外れな結論しか出て来ず、無意味である。


⑳ どちらの考えがしっくり来ますか?

A 自力本願

B 他力本願  





以上です。何となく作ってみたので不適切な設問もたくさんあったかも知れないです。

もし答えられない質問が多数あったとしたら、ごめんなさい。

以下は、設問に答えられた人のみを対象に書きます。


もし、何か一つでもAだと思った人は、他の設問も殆どAだと答えるんじゃないでしょうか?

逆に、何か一つでもBだと思った人は、他の設問も殆どBだと答えるんじゃないでしょうか?

AとBが半分ずつ・・・って言う人はいますか??そういう人は珍しいんじゃないですか?いても悪くないですけど。


僕は去年の秋まで全てAだと思ってて、Bなんて全く理解できなかったのですが、今年になってからガラガラと世界観が変わることが色々ありまして、殆どBになりました。

なので、Aが多い人たちの価値観も理解出来るのですが、僕はBが多いです。

①~⑰って、テーマは全然違いますが、全部繋がってるんじゃないかと思います。

もう少し言えば、どんなに面倒くさい対立でも、深く掘り下げていけばAの立場とBの立場の対立に帰着される気がします。

Aは一神教にルーツを持ち、Bは多神教にルーツを持つんじゃないでしょうか?

逆に、AとBの違いに帰着されない問題って、あんまり深刻じゃない気がします。

専門家が仲介してゴチャゴチャやればどうにか解決できるんじゃないかと思います。

経験的にそう思います。


Aの立場であれBの立場であれ

「反対の考え方は理解できないけど、何か面白くて新鮮な発想だから知りたいな」という姿勢は好ましいと思うのですが

「反対の考え方は意味不明だ。こいつらはバカだ。少しは深く考えろ」と思ったとしたら、少し寂しいです。寂しいというか、怖いです。何らかの形で危ない方向へ走り出す兆候を感じます。

僕自身が最近まで「Bみたいな発想をする奴ははバカだ」と思っていたので、特にそう思います。


僕が思うに、日本の風土はBのような世界観を生み出しました。

今でも、多くの人はBのような世界観を持っているように感じます。

しかし、西洋から入り、今も教えられている教育はAの世界観に基づくものです。

なので、日本人は勉強すればするほどAのような価値観に近づいていくんじゃないかと思います。

従って、勉強が好きな人は「Bのような考えをするなんて、考えが浅はかだ。もっと勉強しろ」と思うし

そうじゃない人は「Aのような発想をするなんて、勉強のしすぎで頭がおかしくなってるんだ。」と思うはずです。

AとBのどちらが正しいかは知らないけど(僕はBだと思うけど)、いずれにしても日本人の世界観ってそうなっている気がします。

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2 コメント

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Unknown (apricot_u)
2008-06-27 18:28:21
なんか今更ですが。(国IIの試験まで全然ブログ見てなかったー)

>Aの立場であれBの立場であれ

「反対の考え方は理解できないけど、何か面白くて新鮮な発想だから知りたいな」という姿勢は好ましいと思うのですが

「反対の考え方は意味不明だ。こいつらはバカだ。少しは深く考えろ」と思ったとしたら、少し寂しいです。寂しいというか、怖いです。何らかの形で危ない方向へ走り出す兆候を感じます。

私もそう思う。
それに、ただ1つの見方に固執しているだけでは生産的ではないと思うし。(←他方の意見に耳を傾けない人に対しては、しばしばこのように言ってみたりする。だって「何らかの形で危ない方向へ走り出す兆候を感じる」とか言っても反発されるだけだし・・・)

因みに、

>Aは一神教にルーツを持ち、Bは多神教にルーツを持つんじゃないでしょうか?

というのはどうなんだろう?大雑把にいえばそんなかんじかもしれないけど、一神教だって寛容なのもあるしね。いろいろ。
私は某一神教志向ですが(でも今のところ信徒になる気はないけど)、ほとんどBでしたよ。
Unknown (きうち)
2008-07-13 23:38:39
>「何らかの形で危ない方向へ走り出す兆候を感じる」とか言っても反発される

相手に対してそういう風にストレートに言ったらマズイよね。

でもどうかな。

「こういう観点から物を見るやつは駄目だ」みたいな傲慢な姿勢の人(←結構こういう人も多いかも。僕自身もそういう所あるし・・・)に対しては傲慢に言うし(婉曲的に言っても曲解されちゃうから、キッパリ言わないと意図が伝わらないんだもん)

単に視点が欠けてる人には「こういう観点から考えてみたらもっと生産的になるんじゃない?」と言いたい。

まぁでも、どう言っても反感を買うことではあるよね。

僕自身、今まで視点が欠けていたことを自覚する時には大きな苦痛を伴います。

でも、それを乗り越えて「視野が広がったかも」と思えるようになったら嬉しいよね。


>一神教だって寛容なのもある

この文章を書いてから読んだ本なんだけど、岸田信の「一神教と多神教」にこの手の話が書いてありました。

「色んな神様がいてもイイけど、私はこの神様が好き」みたいなのは多神教的な発想だと僕は思ってます。

だから、日本人のキリスト教徒はある意味で多神教的とも言えるかも。

一神教的なのは「この神様以外は許せない」という考え方かなぁ。


近代社会になって欧米でも宗教は「多神教的」になって来たらしいけど、その代わりにイデオロギーって形で一神教的なものが残ったんじゃないかと思います。

例えば、「資本主義と民主主義以外はみんなダメ」とか。

たとえ本当に資本主義と民主主義が素晴らしいものだとしても、「それ以外の考え方は認められない」となると、ちょっと違うんじゃないかっていう気がします・・・


例えば死刑廃止論の場合でも

「死刑賛成論の考え方も大切にしていきたいし、素直にそう思っている人たちがいるならきちんと対話していきたい。その上でもし納得出来るなら、死刑賛成派になるかもしれない。でも、今は私は死刑反対です。」というのならBの考え方だと思うんです。


ただ、もし「どんな理由を示されても、どんな観点から考えても、死刑だけは絶対にダメ。自分が死刑賛成派になるなんて絶対に有り得ないし、死刑賛成派の人たちの世界観を理解しようとも思えない」となってくるとAっぽいかも。それはちょっと苦手だなーと思います。

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