A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「RRR」ほか2本見てきました!

2023-05-03 23:17:41 | 映画感想
 今日は久々に1日3本映画見てきました。朝から今までずーっと塚口にいるのももう珍しいことではありません。もう住むか。
 GWということでたくさんの魅力的な作品が順次上映されており、1日1本のペースでは到底追いつきません。もう仕事なんかしてる場合ではない。
 というわけで本日の1本目はこちら。
 
 
 お前何回同じ映画見てるんだよと言われるかもしれませんが、猟奇殺人鬼は同じ場所で殺しを繰り返すものなんです。
 また、このご時世にわざわざ映画館に行く必要あるの?と思う人もいるかも知れませんが、このご時世にわざわざ映画館に行く理由は「ゴールデンウィークとはいえ公開から半年以上経過してる映画が朝イチで満席になってるのを見たいから」で十分なんですよ。
 いやもうマサラ上映のときはともかく通常上映で朝イチ満席、しかも連日というのは絵面的にだいぶインパクトがあります。マリオ目当てと思しき家族連れが多い中、一部のお客さんは明らかにRRR目当て。そして早々に並んでたのでわたくしシアター4に一番乗りでした。
 さて感想なんですが、もうさんざん書いてきましたがまだまだ書くことは山ほどありますよこの作品。
 この作品の魅力はそりゃあもう山ほどあるんですが、ひとつ挙げるとしたらわたくし人形使いは「物語構造」と答えます。美しいんだよなこの作品の対象構造。
 この作品には随所に対象構造があります。ざっと挙げるだけでも、
・ラーマとビーム
・インドとイギリス
・火と水
・捕らわれるビームと同じく捕らわれるラーマ
・ビームがラーマを助けるためにかけた契り紐がビームを捕らえる
・イギリス側の近代兵器とラーマ・ビームの原始的な武器
などなど。
 前半と後半の展開もしっかり対照的になってて、この作品を正中線で折ったら1ミリのズレもなく二つ折りにできそう。
 あと、やはりこれは感想として言っときたいんですが、巷ではナートゥばかりが取り上げられててミーム化してますが、本作はあくまで非常にポリティカルな作品であることは忘れてはいけないと思います。
 ナートゥにしたって、あれはただ単に楽しいダンスシーンってだけではなく手段が違うだけで明確に闘争なわけですよ。さらに言えばコムラムビームのシーンだって闘争であり革命なんですよね、銃を用いていないだけであって。決して「みんなで歌って踊って平和的解決!」なんてヌッルい解決はハナっからありえないし、ラーマもビームもイギリスの圧政に反抗するために戦っているという姿勢は常に一貫している。
 だからこそナートゥで文化的反抗を試み、コムラムビームで民衆の心に火を着け、そしてラストで約束通り村人全員分の武器を手に入れる……のに加えて、ビームがラーマに求めたのが「読み書き」というのが象徴的。武力は当然必要だけど知識と教養、それを支える教育は革命のために絶対に欠かせない武器なんですよね。
 この辺の段階を追った革命は、冒頭で「子供に革命歌を教える」とか中身のない集会やってる描写と対になってる気がしますね。
 そこからのエッタラジェンダでの数々の活動家、革命家を称えるあのエンディングもまたただ単におめでたいエンディングというわけではないでしょう。インドの人たちにとってはこうした革命家や活動家という存在は、例えば我々にとっての戦国武将などのような半分キャラクターコンテンツとなっている対象とはまた違う生々しく今の自分達に直結した存在なんだろうなと思います。だからこそ称える。
 RRR、見れば見るほどただ単にエンターテイメントとして見ることができなくなってくる気がします。
 
 次、今年最大の話題作とも言えるこれ。
 
 
 「国民的ゲーム」というのも生ぬるい! なんかもう本作、「超弩級の知名度を誇るゲーム」の実力というのを改めて見せつけられた感じですかね。
 何がすごいって「全部どっかで見たことがあるシーンとネタばっかりだった」が褒め言葉になってしまうのがすごい。
 いやマジで全部どっかで見たことがあるシーンばっかりなんだよこの映画。さすが覇権コンテンツ。しかも明らかに「魔界帝国の女神」のネタまで盛り込んでるよなふたりが現実世界で配管工の仕事をしてるところとか。というか昨今のキッズはマリオが配管工ってことを知ってるのだろうか。
 あとこの作品、元ネタが元ネタだけに移動してるのを真横から映してるだけで面白いのがズルい。
 あとキノコ王国の面々は危機意識が低すぎる。そりゃあピーチ姫も毎回毎回さらわれるというもの。
 しかし本作、改めてマリオシリーズに関する疑問を考えさせられる作品でもありました。なんでキノコ王国とは関係なさそうなピーチ姫が姫をやってるのかとか、マリオ兄弟の両親ってこんなんだったのとか。まあこの辺の設定は本作のみの設定だったりそもそもマリオシリーズの設定が一定してなかったりするんでしょうが。あとクッパってピアノ弾けたんだ……。
 また本作、「Take On Me」「Thunderstruck」「をはじめなんかやたらと80年代の曲が使われてましたがメインターゲットのキッズの親世代へのサービスなんでしょうかね。
 
 次は2回めの鑑賞となるこの作品。
 
 
 半分はエヴァの新規映像目当てでしたが。
 エヴァの方は北上ミドリの過去話。あの髪の色はそうだったのか。
 無事完結したエヴァですが、まあ空白の14年間は考えてはいるんだろうなあ公開されるかは別として。感bん欠してなお謎を増やすあたりが実にエヴァ。
 そしてシン・仮面ライダー、今回の鑑賞で象徴的だなあと思ったのが仮面=マスク。
 本作の敵となるショッカー怪人=オーグたちの大半は仮面を被っています。そしてそれは仮面ライダーこと本郷猛も同じ。
 しかし両者には決定的な違いがあります。それは、「仮面を脱ぐ」ということ。
 各々の幸福のために人間であることを捨てたオーグたちとは対象的に、本郷や一文字は己が人間であることを確かめるかのように戦いのあとは仮面を脱ぎます。この「敵と同じ力を持ちながらなお人間であることに固執する」というのが実に仮面ライダーという感じです。忘れられがちなことですが、本来的には異形の怪物なんですよね仮面ライダーって。
 そしてまた本作における仮面ライダーは、ヒーローとは呼ばれているもののその戦いを称賛するものはいません。単純に登場人物が限定されているというよりは、登場人物の持っている世界観そのものに他人との関係性が欠けているというべきでしょうか。だからこそ本郷とルリ子や一文字の個人としてのつながりが本作後半で効いてくるわけですね。
 前の日記でも書いたかもしれませんが、このへんはシンエヴァが世界規模の大災厄から最終的に親子というシンプルな関係性に終着したのと同じものを感じます。
 なんだかシン・ゴジラからシン・仮面ライダーを見ていると、もちろん作品にもよるでしょうが庵野監督の対社会視点、対人視点というものがわかってくる気がします。
 GW中はまだまだ見たい映画が続きますが、シン・仮面ライダーは繰り返し見ておきたいですね。
コメント
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