ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

8.日本語学校⑤

2020-03-15 22:51:01 | Myanmar ミャンマー
2020年1月24日(金)晴れ

ヘイテさんが朝6時過ぎにバックパッカーまで来てくれたので、スーレーパヤーの30mほど西にあるインドカレーの店へ一緒に行きました。この店のチャパティは1000チャットです。薄いパンと3種のカレーがセットになっており、小腹を満たすのにいい分量です(宿の朝食を戻って食べるので)。山羊肉が柔らかくて美味しいので1皿だけ注文しましたが、それは3500チャット。確かに変な臭いも無く柔らかい肉でした。ヘイテが居なくても食べれる様に、ノートにミャンマー語でチャパティと書いてもらいました。
 

明日(25日)の夜行バスでヘイテさんが自分の村へ私と旅友の山脇氏と山脇氏の友人の山口氏3人を招いてくれることに
なっており、バスチケットを手配してくれたのでその料金(往復)26,000チャットを彼に支払いました。場所はバガンに近いそうです。仕事に戻る彼をスーレーパヤーのバス停まで送ったので宿に戻ったのは朝食が食べれるギリギリの9時50分でした。

今日は7連泊したバックパッカーをチェックアウトしてホステル21へ引越しする日です。当初予定では日本語学校から近い安宿「WIZAYA」を1日だけ予約していましたが、馴染みの宿でドミトリーでなく狭いながらも個室だからセキュリティー面で安全だし、オーナーの女性Valorieさん3年続けて会いたかったので、ナイトマーケットへ夕飯に出かけた時に「24日に来ます」と妹さん夫婦に伝えておきました。WIZAYAはキャンセルが無料だったので、24日分をキャンセルしました。前日の洗濯物が乾くまで待ってお昼前にバックパッカーをチェックアウトして、Bo Ywe Rdのホステル21まで僅か550mの引っ越しでした。チェックイン時にはValorieさんが居たので1年ぶり3回目の再会を握手して喜びました。彼女は昨年より髪を短くしてボーイッシュになっていました。予約に訪問した時は病気療養中のお母さんを見舞いに行って留守にしていたそうです。すごくフレンドリーだから自分の家の様な気がして好きなホステルです。
 

booking.comでは21 HOSTEL、住所:Bo Ywe Road No 21, La Tha township,シングル906円程度で紹介されていますが、直接ホステルへ行くとバックマージン分を値引きしてくれて7ドルで泊まれます。
1階はホステルの受付、兼カフェになっており、軽食も食べることが出来ます。朝はここで朝食を食べます。バックパッカーではレストランの人がお皿に盛って提供してくれるのに対し、ホステル21では自分で好きなだけパンを焼けるし、釜の中のご飯か麺を好きなだけお皿に盛って食べることが出来ます。
 

部屋はまるでカプセルホテルの様にベッドだけですが、ベッドの下のスペースに大きい荷物を置くことが出来ます。部屋に鍵があり、充電も自由に出来るのが気楽でいい。トイレ・シャワーは共有ですがシャンプーとボディゲルが付いています。エアコンは部屋にはありませんが建物全体にエアコンが効いているので快適です。


荷物を置いて、日本語学校さつきへ向かいましたが、途中の路上で絵を売っている人をよく見てみると、腕が不自由(無い)で足の指で筆を持って絵を描いていました。凄い技術です。


学校前にはアボカドジュースの屋台が出ていたので買って、午後2時前に教室に入りました。今日はとても元気なN4レベルのクラスを担当しました。全員が驚く程の大きい声で教科書を読みます。写真中央の眼鏡の生徒はピョ・ティ君で春には奈良の自動車整備工場へ技術実習に行くと言いましたが日本語の理解力は少し低いけれども英語は誰よりもよく理解出来て、教科書にある日本語が分からない時に英語で説明すると、それを仲間にミャンマー語で説明してくれるのでテキストを早く進めることが出来ました。この時感じたのは、ミャンマー語と日本語の文法がどうやら同じであるということでした。クラスの全員とFacebookで繋がりました。


旅行を終わった2月17日、彼はFacebookで日本行きの書類が無事取れたと写真をアップしていました。
日本での彼の活躍を期待したいです。


N4レベルのレッスンの後、エイがパソコンの前で黙々と作業しているので覗いてみると、昨日の面接で合格した人達の履歴書を日本語で作成していました。エクセルの使い方が出来ていなくて、コピーしてペーストすればいいのに、何度も同じ文字を漢字変換したり配置を毎回指定するなど効率が極めて悪い方法で入力しているので驚きました。また、合格した本人が必要事項を記載していないので電話をかけて学歴や家族構成を問合せして描き込んでいました。ミャンマー人を日本へ送り出す為にこんな無駄?な努力をしなければならないのか疑問に思いましたが、それが現実で誰かが不足部分を埋め合わせないと海外雇用って出来ないんだなあと思いました。いつまでも付き合っていられないので、学校から帰り、ナイトマーケットで焼き飯と空心菜を食べました。ナイトマーケットの中華のお店はホステル21からは僅か170mです。


食後の散歩に遠回りしてMaha Bandooli Rdに出てみると、いつもは車が東行きの一方通行で横断するのも大変な交通量の多い道路なのに、春慶節の為か車が通れるのは1車線だけで、しかも遠慮しながら徐行しており、多くの市民が写真を撮ったりお寺に入ったり、屋台の食べ物を食べたり凄い賑わいになっていました。(午後7時頃)
 

 



この日の夜9時半頃部屋のドアをノックされて「友達が来ている」と言われたので1階に降りてみると、バックパッカーで7日間同室だったが今日は別の宿に泊まっている旅友の山脇氏が、ホステル21を見せる為に彼の友人のナカさんを連れて来ていました。ナカさんはタイを拠点に活動している日本のジャーナリストでバンコクの日出旅館で出会った事があり、今は仕事でミャンマーに来ているが泊まっているホテルがそれ程快適ではないので、私が泊まっているホステルを見に来たと言われました。部屋やトイレ等を見せてあげました。気に入ったので引越ししようかと思われた様です。

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