ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

安治川をあっちから 3

2016年06月05日 21時50分59秒 | ウォーキング

前方に大きなビルが見えてきました。



これが、弁天町駅ですね。
このあたりで道は左折していきます。

その左折時の道の突き当りが、
「弁天ふ頭」です。



今でこそフェリー乗り場は
南港のほうに移っていますが、
昔は全部ここでした。

九州へ向かうフェリーなんかも
出てましたしね。
何度か訪れたこともあります。

船の上から紙テープを流して、
悲しい別れや勇ましい旅立ちも
たくさんあった場所ですねえ。



そんな陸交通と海交通の境目
というこのふ頭が、
なんともう今は廃屋寸前です。
うう~、悲しいことですね。

涙をこらえながら進んでいきましょう。

あ、ここはご自由に
御参りくださいだって、



思わず手を合わしてしまいます。

JRの線路下をくぐり、
河川のほうに近づいていきますと、



おお~久しぶりに川面が見えてきました。



そしてすぐ上流のところにある
「安治川橋」もしっかり見えてきました。

この橋の歴史は長いんです。



安治川の上流部には
木の橋が架けられていましたが、
海を行く大型の船は背が高すぎてくぐられず、
貿易は主にここから先で行われていました。

その後、石で立派な橋が架けられ
船も通れるようになりました。

しかし、明治18年の大洪水で
上流から流されてきた橋や
その部材でいっぱいになり
流れを止めてしまったので、
これはいかんとその時に
安治川はダイナマイトで
爆破解体されたそうです。

そう、あの枚方大橋の南詰めの
あたりにあった
明治18年のあの洪水碑の
年の出来事ですね。

いやあすさまじい歴史を
背負った橋だったんですねえ。

その後橋は何度か付け替えられ
今の形になっていますが、
もう人が歩いて渡れるようには
なっていません。

ではどうしたか。

渡し舟を出せば、
こんなに狭い部分の船の
運航の邪魔になりますよねえ。

で、作られたのが

「安治川隧道」です。

この川の下にトンネルを掘り
そこを人や自転車に
通ってもらおうというものです。

まあ、こういう動きは
大きな橋のところでは
たまにありますが、
ここのトンネルは
「沈埋工法」で作られた
日本最古のものです。

あらかじめ鋼鉄のパイプを
すでに作っておき、
それを川底を浚渫して
溝を掘ったところにおいて、
うえからまた土をかけていく
という工法が「沈埋工法」です。

しかもこのトンネル、
最初は自動車用も含めて複数ありました。



でも今は自動車用は閉鎖され、
歩行者用しか使われていません。

その安治川トンネルとは
どういうところなのか
行ってみましょう。

弁天ふ頭から
ずっと歩きとおしてたどり着いた、
ここが安治川トンネル
南側の入り口です。



ここには歩行者用にエレベーターか
もしくは階段がありますね。

この二つのどちらかで
下の階段まで降りていきます。

自転車の人はエレベータですね。

そして建物の下流側には
自動車のエレベーターも残っていますが、
こちらは閉鎖中です。

トンネルの深さは14mといいますが、
まず最初はエレベーターで
降りてみましょう。

エレベーターに乗ると、
うわっ大変。

自転車軍団でいっぱいに
なってしまいました。

乗れずに「次にしよう」と
あきらめる子供もいましたね。

歩くだけなら階段を行ったほうが
よかったかなあ。

スタンドが何回かひっかりながらも
ようやくしまったエレベーターが
下っていきます。

むむ、結構思っていたより
深い感じがしました。

まあ、川の底ですから
深いほうが安心かもしれませんね。

底にエレベーターがついたら、
そこから全員ドワーッと出ていき、
空いたエレベーターには
もう次の反対側の客が
待っていて乗り込んでいきます。



なんかもう普通に自然に
客が移動していきますね。

通路はこんな感じです。



もともと鉄パイプですから快適です。

冬は暖かく夏は涼しいそうです。
さあ、ではわたっていきましょう、

と続く。


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