ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

和泉砂川狸次郎5

2018年04月21日 20時56分33秒 | ウォーキング

おおきな、仁王さんのいる山門から





下に降りていきます。



どうやらdoiron狸次郎が
入っていったのは裏門だったようです。



階段を下りて行った辺りは、
さすがに古い家が多かったですねえ。



村中をくねくねと歩いていきますと、



おお~ここで熊野古道に
再度でてまいりました。

この交差点には常夜灯がありますねえ。



これは昔からの常夜灯で、
伊勢参りの人々の旅の安全を
思って建てられたものと、
熊野古道と信長道の交差点に
建てられたものがあります。



信長道とは雑賀との闘いに向けて、
信長が気づいたという軍用道です。

調べてみると、長慶寺から
孝子越街道の鳥取の庄辺りまで
つながっている道だとのこと。



ああ。
これでまた歩きたい道が
見つかりましたねえ。
そのうちに探して
歩きに行ってみましょう。

この場所からだと、
信達宿本陣跡が近いですねえ。
すこし北向いて歩いていくと、
ありました。ここがそうです。



最初ここに来た当時は、
こんな街歩きを始めて間もない頃
でしたから本陣についても
勉強しましたねえ。
いやあ、あの頃は若かったなあ、
もう57歳くらいでしたけど・・・

さてではもう一度常夜灯のところに戻って、
信長道を歩いていきましょう。
その先に目的地である
市場稲荷神社があるからです。



変わった名前ですねえ。

なぜでしょう、というかこの地域の
名前が泉南市信達市場という名前なのです。
そういえば、近くの泉佐野にも
「市場」という地名がありました。

あの地名は、昔そこにあった
お寺で大きな市場が
開催されたからという
由来を持っていました。

ではこの信達市場はどうかといいますと、
よく似ているんですねえ。
平安時代から熊野詣が盛んで
この辺りには江戸時代から
年末年始の市場で賑わったそうです。

そして、その当時から「市場村」と呼ばれ、
それが今の地名になっており、
そこの「市場」にある稲荷なので
こんな名前になっています。



そういえば、四国八十八箇所に
通っている頃に、一人でお参りしていた女性が
ここの信達市場の出身だ
といってはりましたねえ。

で、その神社の石板になんと
その人のちょっと変わった名字が、
いくつか出ていました。



ああ、やっぱりこの辺の地の
人やったんやとわかりましたねえ。

そういえばdoiron近所の神社にも
doironの名字がいっぱい
出現しているもんなあ。
本人の石もあるけど。

ここは豊穣を祈願するお稲荷さんなので、
doironも年金が減らないように
祈っておきましょう、へへ。

その神社を出てから、
さらに信長道を行くのではなく、
今回はとりあえず熊野古道の方に
戻っていきましょう。



さあもう歩きは残り少なです。
もう少し歩いたら、和泉砂川からの
交差点に出てきますよ。

でもその前に、一つ見どころがあります。
それが、こんなに藤の花が咲く
「野田藤」の見どころがあるのです。

そこが、ここ。



いやあ、まだ花は咲いていませんねえ。

そこにあった説明版によると、
四月中旬以降になるそうです。



ああ、今年はぜひ見に行きたいなあ
と思いつつ、そこを出て、
すぐのところにこんな場所に出ました。



「泉南石綿の碑」と書かれてあります。
何も考えなかったら
「ああ、ここはこういう植物の碑かあ」
と考えたかもしれません。

しかしこれはそんな簡単なものではなく、
石綿=アスベストが住民被害を
与えたという裁判の結果が
出たことを参考に記した
碑なんだそうです。



地方の田舎ののんびりした
地域の底にはこんな悲しい
出来事が横たわっていたんですねえ。

和泉砂川をぶらぶら歩きつつ、
ああ今日もいっぱい
いろんなことを学んだなあ
とおもいつつ帰宅したdoironなのでした。

歩いたのはこんな感じ。



合計約7.7キロの狸次郎風の
楽しいお散歩でしたあ。

終わり。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿