ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

夜の校長室

2008年03月13日 23時50分49秒 | weblog

先日、昔懐かしい友達に遭遇した。
昔一緒にPTAの役員をしていた人だ。

うちんとこのちびが小学生のとき
各家庭での
投票で決まる「指名委員」というのに
選ばれたことがある。
どういう役割かというと
PTAの三役を
選ばれた指名委員が
指名しないといけないのだ。
もし、指名できないと
その指名委員の中から
PTA会長などを
選出しないといけないという仕組みに
なっている。
選ばれたわしらは
いろんなところを頼みにまわり
やっとこさ、Aさんが会長をひきうけてくれた。
会長が決まると
副会長や会計などは
スムーズに決まったな。
その後、わしら指名委員は
各部門の実行委員長で
残らなければならず
わしは、「保健体育実行委員長」をつとめ
運動会の司会や
ドッジボール大会の
ルール説明会などを
全校生徒、父兄の前でやらされた。
それはそれで
人前で話すことの
度胸がついてよかったなあと
今でも思ってる。

やがて、ちびも中学生になる。
そこでも
PTA役員選定の仕組みは
小学校と同様で
指名委員が選挙で選ばれるのだが
今度は、小学校でわしらが頼んで
会長をしていただいたAさんが
指名委員に選ばれた。
当然彼は僕のところにやってきた。
指名委員が大挙して我が家にやってきて
その先頭にAさんの姿を見たときは
愕然としたね。
これは男として、人間として
引き受けざるを得ない。
訪れた指名委員達が
口火を切る前に
こう言ってやった。
「わかりました、何も言わなくても
わかってる。なんでも引き受けます」と。
幸い、わしのところにくる前に
会長は決まっていたので
頼まれたのは副会長だった。
ほっとしたのもつかの間、
PTA三役の仕事というのは
意外に多かった。
実行委員長の時には
気づかなかったが、
研修やら何やらで
仕事を休んだことも何日かあったし、
イベントごとに
副会長の最初の挨拶
会長の締めの言葉も
必ずあった。
それに、毎月一回
夜間に校長室に集まって
いろいろと
話し合いをするのも
かなり面倒だった。
そうして一年が過ぎ、
いよいよお役ごめん間近となったころ
PTA新聞に
原稿を書いてくれといわれた。
最後のお勤めやなと仕方なく
副会長に着任したときの気持ちや
毎月夜間に校長室に集まって
議論した思い出を綴って
最後の会議でその原稿を提出をしたとき、
「doironさんの寄稿文のタイトルはどうしますか」
と聞かれたので、
少し考えた。
「一年間を振り返って」
なんかはありきたりで面白くないし
とっさに思いついたタイトルを告げた。
それが、今日のタイトルの

「夜の校長室」

このタイトルを告げたら
「なんかやらしいなあ」とか
「絶対変や」とかみんなに言われたが
それくらいは
一年間頑張ったんだから
わがままを聞いてもらおうと
押し通した。
果たして、その年の
PTA新聞では
そのタイトルが
大きく紙面を飾った。

経過が長くなったが、
先日会った友達も
そのことを覚えており
大いに話が盛り上がった。
そして、お互いの
近況を報告しあったときに
わしが、今の仕事をしていることを
話したら
「そら、天職や」とえらい受けたもんだ。
その友達、
今は、大きなマンションの管理の仕事を
しているという。
そういえば、PTAのときも
施設関係の役員してたから
「お互いさんやねえ」と笑いあった。

そのときのPTA新聞を
友達と別れて家に帰ってから探したけど
残っていなかったのが
残念だったなあ。
今なら、マックを使って
クオーク、イラストレーター、フォトショップを
駆使して
もっと面白いPTA新聞を作れたやろなあ
などと思った今日この頃なのでした。

チャンチャン



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