Penguin's Nest

音楽の話を中心に徒然なるままに...。

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片山耕君の事

2011-04-13 02:43:24 | ブログ
彼は小、中学校の同級生だ。なんだかウマが合い良く一緒に遊んだ。音楽が好きで小学生の頃僕のビートルズ好きに付き合ってくれた数少ない友人の一人だった。小学4年から6年まではお父さんの仕事の関係でイギリスに行っていた。帰っ来たら彼はスポーツや音楽など凄い多趣味な人間になっていた。中学3年の時には当時「不良になる」といって禁じられていたバンドを組んで文化祭にちょっとだけ出演もした。やったのはビートルズの「Here Comes The Sun」、彼がリードヴォーカルだった。

高校は別だったけど、時間を見つけて時折あって居た。自動車の免許を取ると彼は米軍払い下げの、すこぶる乗り心地の悪い軍用ジープをレイバンのサングラスで決めて乗り回しているような型破りな奔放さを持っていた。こんな乗り心地の悪い車、と僕が文句を言うと「風を切って走るのが気持ちええねん。」と言った。一方ロマンチストでもあり、ピアノもギターも弾きこなし、作詞作曲し歌っていた。そんなある日「おれ、俳優になる」と言って突然地元神戸を飛び出し、その後音信が途絶えてしまった。

僕が音楽業界に入って10年程した頃だろうか、当時マネージャーをやっていた僕が担当タレントのCMナレーションの仕事で赤坂のスタジオに行ったら、たまたま向いのスタジオに彼が居た。お互い再会を驚き喜びながら何をやっているのか尋ねたらTV「ハローキティー」の編集をやっているという。実はサンリオピューロランドのキティーショウやTVにも「歌のおにいさん」として出演していたばかりでなく、沢山の曲を提供もしており、なおかつライブショウの演出からTV番組のディレクターまで、全て彼が行っていたのだった。

彼が言うには、俳優になろうと東京に来て、ある時子供向けのぬいぐるみショウに出演したときの子供達の笑顔が忘れられず、結局ぬいぐるみ音楽ショウにハマって、その世界からサンリオの音楽部門に抜擢されたのだという。人生色々あるものだなと思いつつ、自分の子供達を連れてピューロランドへ遊びに行ったり、TVを見たりさせてもらっていた。

その後、僕自身がとてつもなく忙しい日々を送る事となり彼との交流もまた途絶えてしまったが、昨年、あるところから子供番組の音楽をやってみないかという話があり(これは実現していないが)、そんなことなら片山君に相談しない手はないだろうと考えた。しかし度重なる引越や携帯の機種変更で彼の連絡先を失念してしまっていた。

そこで、こういう時こそネット活用だろうと考え検索したところ、思わぬ結果に出くわした。

彼は10年も前、2000年に亡くなっていたのである。原因は喉頭がん。ショックだった。この10年、自分も色々とあったとはいえ仲の良かった幼なじみの死をウイキペディアで知るなんて。しばらく自分の不義理さ、不甲斐なさにすっかり落ち込んでしまった。

父親、彼、本当に話したい事がある時にみんなこの世に居ない。でもきっとそれは「信念を持って自分の道を進め。俺たちに言う事なんか無い。」という無言のメッセージなのだろう、と今は思っている。

今、片山君の遺志を継げるような立場にはいないしそんな力は無いかもしれない。でもみんなに伝えたい。

型破りで、でもインテリジェンスにあふれ、エンタテインメントを愛し、子供達の笑顔を愛し、死の直前まで(38歳)までステージに立ち続けた片山耕君という男がいた事を。

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はじめまして。 (夢ヶ丘優美)
2011-09-17 23:59:52
はじめまして。

耕さんのお名前で検索をしたら、見つけました。
ウィキペディアの記事のほとんどを書いたのは、実は私です。

私にとって耕さんは、本当にかけがえのない、私の人生を変えてくれた方でした。
初めて耕さんの姿を見たのは中一のとき(現在私は28です)
当時、実家も荒んでて、学校にも居場所がなくて、
たまたまテレビのザッピングをしていたとき、あの姿、笑顔に出会いました。
それが初恋だったのか、だとしても、どこがストライクゾーンだったのかは未だわかりません。

耕さんの作り上げる世界観に感動して、公開収録に足を運んで会いに行きました。
一緒に写真を撮った後、耕さんが「握手しようか?」と言って手を差し出してくれたのですが、
緊張でがちがちだった私はうっかり同じほうの手を出してしまったのです。
しどろもどろでいたところに、耕さんはすぐさま反対の手を差し出し、握手をしてくれました。

以降、公開収録、ピューロランドでのMCの仕事の際、私を見かけると
「また来てくれたんだね」と、私のことを覚えていてくれました。

私は居てもいいんだ、私は生きていていいんだ・・・そう思わせてくれました。

耕さんのマルチな才能や世界観にあこがれ、私も多趣味になろうといろいろ挑戦しました。
うち一つがタロット占い。
耕さんのことを知りたかったからです。
それが、現在の占い師のお仕事にも通じています。


以降、スピリチュアルな話につき、信じられない場合はスルーされても構いません。

なくなる数日前、夢に現れ「ごめんね、ありがとう」と言って、私をハグしてくれました。

それが最後で、でも、そこからが始まりでした。

実家の荒んだ状況がもとでうつ病を発症。
短期間ですが、人生初の入院をし…
夜はとにかく怖くて、やっと眠った先に、耕さんは居てくれました。
私を笑顔にしようとしてくれて、すごく安心しました。
ある日「君にプレゼントをあげるよ」と言ったのですが、
よくわからないまま退院、
帰宅してメールを受信すると、
立教英国学院時代のご友人、サンリオキャラの作者さんから同時にメールをいただきました。
内容は耕さんの訃報について知りたいという趣旨。
そこで、いろいろメールのやり取りをし、失敗談含め、さまざまなことを聞きました。

他にも、番組の台本を奇跡的に入手したり、さまざまなことがありました。
シビアな状況の時、私を引き止めてくれたのも耕さんの声でした。


実は、スピリチュアルな能力がついたため、耕さんのメッセージを聞くことがあるのです。
そしてこの今も、ここにたどり着いたのには、耕さんの中で何か理由があって仕向けたような気がしてなりません。

もしよろしければ、メールをいただけないでしょうか?

(ちなみに、このコメントをブログ上にUPするしないは自由で構いません。)

よろしくお願いします。

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