Penguin's Nest

音楽の話を中心に徒然なるままに...。

レディーガガに対する訴訟について

2011-06-29 00:04:57 | ブログ
『レディー・ガガが震災義援金めぐり提訴される、「全額寄付せず」』という見出しのニュースが流れました。内容概略はこちらでご覧下さい。

http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-21915920110628

さて、一部のニュースでは「彼女のウエブサイトで販売されている」とされていますが、実際には彼女の「復興支援リストバンド」は、ネットでちょっと検索すれば販売しているお店も沢山見つかりますし、どういうルートで販売されたか、おそらく本人も関係者も把握してないでしょう。また、チャリティーに協賛したお店に卸す条件が付いていたとしても、「レディー・ガガ」という名前に対して支払われるロイヤリティー以外、流通コストなどを含めると、その全てを把握して全収益を支援に回すというのはところまですべてをコントロール出来るのかどうかは疑問です。

しかし、僕は(今の所という条件付きですが)彼女には非は無い様に思っています。

内部告発っぽいですが、ぶっちゃけ、日○テレビの「△■時間テレビ」は出演者(全員ではないでしょうが)にギャラは支払われています。○産自動車が寄付している障害者支援用の車両やお風呂カーなどは、特殊な車両であるが故に寄付後の管理維持費が普通の車両よりかかりますし、それは各団体の自己負担となりますので、正直もらっても持て余している団体もあります。

A.A.A.(アクトアゲンストエイズ)も基本的にチャリティーですが、コンサート運営にかかる経費は膨大です。例えば会場費、舞台設営、音響、照明にかかる経費までも業者が善意の「自己負担」平たく言えば「手弁当」で参加しているわけではありません。

学生の頃、そして音楽業界で働く様になってそういう事実を段階的にですが知るようになったときは大変ショックでしたし、以降、長い間僕の「チャリティー/ボランティア精神」に非常にネガティヴな影響を与えた事は否めません。極端な話「みんな偽善だ。」とまで考えていた程です。

でも今は少し「柔軟」に考える様になりました。

ボランティアやチャリティーとうものは、そもそも各個人の自由意思で行われるものですから、そこに関係する全ての人や団体に「全部無料でやれ」と強要するわけにはいきません。むしろそういう強要は本来の精神に反しますし、最大限善意に解釈して「気持ちとしては無償で協力はしたいがそこまでは出来ない事情」というケースも有ると思います。

勿論、チャリティーを呼びかけた本人(団体)がそこで集まったお金を個人的な収益にしてしまったとしたら、例えそれが一部であったとしても詐欺行為、偽善といわれてもしょうがないでしょう。あるいはボランティアという名目を悪用しようとする心無い人間もいるでしょう。そういった行為は白日の下にさらされなければなりません。

だけど、本当に重要なのは、だれかが何かのアクションを起こす事(なおかつそれが継続あれることが望ましい)が、その事象を単に知る機会が無かったり、あるいは現実的な問題を知らなかったりする、「善意の種」を持ったの人々を動かす切っ掛けになることではないでしょうか。

例えば前述の「△■時間テレビ」では、ブタさんの貯金箱に貯めた1円貯金を寄付しに来る幼い子供達もいます。その意味が今は分らなくても、将来そういうことへの意識を持って行動出来る人間へと成長出来る切っ掛けになるかもしれません。

人間の汚い部分や(偽善も含む)悪意は現実に存在し、そしてそれに目をつぶる事はできません。正義をもって糾弾すべき物もあるでしょう。しかし、個人の持つ善意や優しさの輝きが結集した素晴らしい光が、世にはびこるそういった”暗闇”を駆逐するパワーを持つ事の方がもっと大事だと考える様になったのです。

そう考える様になった僕が、あなたから見て、歳をとってただ「諦めの境地」に入って夢を語っているだけの人間に見えるのでしたら、それは残念です。

残念ですが、逆にあなたらならどう考え、否定ではなく肯定し前進する事に、どのくらい貢献出来そうか、少しだけ考えてみて下さい。

それが僕の願いです。


Antares AUTO TUNE "ATG-6"

2011-05-19 01:38:56 | ブログ
最近のRnBやらパフュームで使われてすっかり定番となった”ケロケロヴォイス”作成ソフトAntares社「AUTO TUNE」。元来はレコーディングされたヴォーカルのピッチ(音程)を補正する為のプロ用ソフトなのだが、おそらくシェールが「ケロケロ」として使ったあたりから始まって、すっかり「ケロケロ製造機」となってしまった。本当はピッチは修正しつつ自然に聴かせる様にセッティングするものなのだか、あるツマミを極端に振り切って使うと、シンセサイザーの様に瞬時に音程が変るので、大きなビブラートにそれをやると「ケロケロ」になる。そのビブラートもAUTO TUNEで調整、あるいは作成ができるので、ほぼ誰が歌っても同じ効果を作り出すことができる。

つまり「ケロケロヴォイス」はソフトの間違った使い方をした結果(たぶん偶然)生まれた面白い「エフェクター」といえる。かつて、ストラトキャスターの生みの親であるレオ・フェンダーが、ジミヘンのトレモロアームの使い方を見て「そういう風に使う道具じゃない!」と激怒したという伝説があるが、今となってはレオの言う所の「正しい使い方」の方が何であった知っている人の方が少ないのではないだろうか。AUTO TUNEもそんな風になって来ている面がある。

さて、そのAntares社が今度はギター用AUTOTUNE”AGT-6"を発売する。ピックアップ+プロセッサーボード+フットコントローラ(iPadでコントロール可能なようだ)で構成されている。MIDIが付いているがこれはフットコントローラーとの接続用で「MIDIギターではない」と強調している。

で、肝心の機能。まずはちょっと長いけどデモンストレーション映像を見てみよう。

★Antares Auyo Tune ATG-6(Harmony Central提供)

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YouTube: Antares ATG-6: Auto-Tune for Guitar




まずは本来の「ピッチ補正技術」をコード弾きに応用し、チューニングの狂ったギターをボタン一つで正確なチューニングにする機能。それだけでもいいかげん凄いテクノロジーだが、さらに凄いのはビブラート、チョーキング、スライドといった表現に関わる演奏には作用しない様にセッティング出来るところ。AUTO TUNEは補正の程度を結構細かく設定出来るので、ATG-6も曖昧さの良さの部分を残せるようになっていることを期待したい、

もう一つの大きな特徴は変則チューニングに1クリックで変更出来る点。変則チューニングや曲のタイプに応じてギターを持ち帰る替える人などには、楽器を持ち替えなくても済むという大変な利便性をもたらす。また、そういう類いの楽器の持ち替えをする時間をほとんど考慮しなくて良いので、コンサートの際に曲順の自由度が増す。

経験した事がある人は分ると思うが、ステージでギターを持ち代えるのは結構面倒な作業で、シールドを差し替えたりアンプのセッティングを変えたり、あるいは楽器を傷つけてしまう様な事故のリスクもあるし、PA回線などのトラブルの元にもなりやすいから、持ち替えないで済むというのは、演奏者だけでなく共演者、スタッフにも恩恵がある。

また、様々なタイプのピックアップシミュレーション機能も有るので、例えばデモ画像の様にストラト(シングルコイルのピックアップ)なのに、レスポールやES335のようなハムバッカー、EMGなどのアクティヴピックアップの音を出せる。つまり、このATG-6とLine6のFloor POD(アンプシミュレーター)があれば、1本のエレキギターで非常に沢山のギターサウンドをステージに持ち込むことができる事になる。Floor Podについては実際僕の知人に、大きなホールツアーでアンプは使用せず、お気に入りのギターとPODと幾つかのストンプボックスだけ持って行って、PAモニターをギターアンプ代わりに使っているという人がいる。(ただしPAモニターがパラレルアウト=演奏者の数かそれ以上の独立したモニター回線が確保されてる状態でなければ出来ない。)

さて、問題はこれが発売される時にどんな形になのか?コストパフォーマンスに優れたハードウエアーとしてユーザーに提供出来るかがポイントだ。

もしデモ映像の様にHex PickupとCPUボードをギター本体に組み込む「改造型」になるならかなり厳しい。または、やはりLine6が発売している「VARIAX」ギターの様な専用ギターになるなら、デザインやそもそもの演奏性など個人の嗜好による選択範囲が極端に狭まってしまう。できれば、既に発売済みのAUTO TUNEのライブヴォーカル用アウトボードAVP-1のようなラックマウントタイプの本体とフットコントローラーのセットか、フットコントローラーに全ての機能を集約するか(そしてオプションとしてiPodを使って簡単に操作、エディットが出来る)であれば魅力が増すと思う。

あとは値段だ。AVP-1は実勢6万円程度という、それなりのお買い得感のある値段設定だった。僕の貧弱な耳での聴き間違いでなければ、デモ映像の中で「99$のギターに40000$のテクノロジー」と言って笑うシーンがあるが(僕には14000/フォーティーンサウザンドではなく、40000/フォーティーサウザンドと聞こえる)、単純にジョークで言っているならいいんだけど、本当に320~330万円もするなら全然現実的じゃないから、AVP-1と同等程度か、10万円代の価格だと良いのでないかと思う。

最後に付け加えたいのは、ごれは非常に優れた技術ではあるが、やはり楽器には良くも悪くも1つ1つの個性があり、その個性と出会って、一目惚れしたり浮気したり、じゃじゃ馬で散々手をやかされるけどやっぱり手放せない、というような思いをしながら「共に育って行くもの」だと思う。だから一つの便利ツールとして考えるのは良しとして、やはり愛情を注ぎ込んだ楽器と共に音楽を紡ぎ出してもらいたいなと思う。


片山耕君の事

2011-04-13 02:43:24 | ブログ
彼は小、中学校の同級生だ。なんだかウマが合い良く一緒に遊んだ。音楽が好きで小学生の頃僕のビートルズ好きに付き合ってくれた数少ない友人の一人だった。小学4年から6年まではお父さんの仕事の関係でイギリスに行っていた。帰っ来たら彼はスポーツや音楽など凄い多趣味な人間になっていた。中学3年の時には当時「不良になる」といって禁じられていたバンドを組んで文化祭にちょっとだけ出演もした。やったのはビートルズの「Here Comes The Sun」、彼がリードヴォーカルだった。

高校は別だったけど、時間を見つけて時折あって居た。自動車の免許を取ると彼は米軍払い下げの、すこぶる乗り心地の悪い軍用ジープをレイバンのサングラスで決めて乗り回しているような型破りな奔放さを持っていた。こんな乗り心地の悪い車、と僕が文句を言うと「風を切って走るのが気持ちええねん。」と言った。一方ロマンチストでもあり、ピアノもギターも弾きこなし、作詞作曲し歌っていた。そんなある日「おれ、俳優になる」と言って突然地元神戸を飛び出し、その後音信が途絶えてしまった。

僕が音楽業界に入って10年程した頃だろうか、当時マネージャーをやっていた僕が担当タレントのCMナレーションの仕事で赤坂のスタジオに行ったら、たまたま向いのスタジオに彼が居た。お互い再会を驚き喜びながら何をやっているのか尋ねたらTV「ハローキティー」の編集をやっているという。実はサンリオピューロランドのキティーショウやTVにも「歌のおにいさん」として出演していたばかりでなく、沢山の曲を提供もしており、なおかつライブショウの演出からTV番組のディレクターまで、全て彼が行っていたのだった。

彼が言うには、俳優になろうと東京に来て、ある時子供向けのぬいぐるみショウに出演したときの子供達の笑顔が忘れられず、結局ぬいぐるみ音楽ショウにハマって、その世界からサンリオの音楽部門に抜擢されたのだという。人生色々あるものだなと思いつつ、自分の子供達を連れてピューロランドへ遊びに行ったり、TVを見たりさせてもらっていた。

その後、僕自身がとてつもなく忙しい日々を送る事となり彼との交流もまた途絶えてしまったが、昨年、あるところから子供番組の音楽をやってみないかという話があり(これは実現していないが)、そんなことなら片山君に相談しない手はないだろうと考えた。しかし度重なる引越や携帯の機種変更で彼の連絡先を失念してしまっていた。

そこで、こういう時こそネット活用だろうと考え検索したところ、思わぬ結果に出くわした。

彼は10年も前、2000年に亡くなっていたのである。原因は喉頭がん。ショックだった。この10年、自分も色々とあったとはいえ仲の良かった幼なじみの死をウイキペディアで知るなんて。しばらく自分の不義理さ、不甲斐なさにすっかり落ち込んでしまった。

父親、彼、本当に話したい事がある時にみんなこの世に居ない。でもきっとそれは「信念を持って自分の道を進め。俺たちに言う事なんか無い。」という無言のメッセージなのだろう、と今は思っている。

今、片山君の遺志を継げるような立場にはいないしそんな力は無いかもしれない。でもみんなに伝えたい。

型破りで、でもインテリジェンスにあふれ、エンタテインメントを愛し、子供達の笑顔を愛し、死の直前まで(38歳)までステージに立ち続けた片山耕君という男がいた事を。


震災地と音楽

2011-04-02 05:04:57 | ブログ
震災被災者に対して音楽で何か出来ないかと思い悩んでいる人がいる。ビートたけしが無名のミュージシャンのチャリティーは売名行為だいう主旨の発言をしたとも聞いた。毒舌が売りの彼らしいとは思う。でも震災や被災者に対して自分の中にあるものを表現したい気持ちがあるなら、誰に遠慮することも無く表現すれば良い。他の人と歩調を合わせる事など考える事も必要ではないし、他人の目を気にする事も無い。自由にやれば良い。

でも、いきなり被災地に乗り込んで行って「あなたたちの為に歌を作りました」というのはただの善意の押し付けになってしまうし、来られても迷惑なだけの自分探しの為のボランティアと同じだ。はっきり求められない限りそういう事はやめた方が良いと思う。

逆に、今音楽を作る気になれない、歌う気になれないのだとしてもそれには何の罪も無い。今自分に出来る事、というお題目に縛られて「音楽を作らなければ」などと思う必要も一切ない。何かしたいと思うならコンビニのレジにある義援金箱に1円いれるだけでもいいし、しかるべき団体に少しでも寄付をすることでも充分だと思う。

そもそも音楽とはパーソナルなものだ。震災チャリティーと思っての作詞作曲は自分の「善なる」思いの発露かもしれないが、それが被災者の求めている物と一致するかどうかは分らない。音楽を聴きたいと思う人も居ればそんな場合じゃないと思っている人も居る。当事者でない者が感情の部分に触れるべきではないと思う。僕も地元神戸が被災したときの、東京で感じた温度差や必要以上の善意を見ている。関心を持っていようがいまいが、悪く言ってしまえば所詮「他人事」なのである。「被災者の力になりたい」と思っているのは被災していない音楽家なのであって、例えそれが善意だったとしてもやはり被災者の思いではない。非被災者の自分に向けられている物なのだ。

だからその事を踏まえた上で曲を書いたり演奏活動を通じて音楽チャリティーを行う事を僕は否定しないし、誰も否定は出来ないと思う。たけし氏は音楽もお笑いも、衣食住足りて初めて娯楽と言う意見のようだ。そうかもしれない。でもそれも受取り手の問題であり人それぞれだ。震災3日目から通常のアニメ番組を放送したテレビ東京には批判の声もあるようだが、それも被災者の声ではないように見受けられる。大人達は自分達の置かれている状況を知りたいから出来るかぎり沢山の情報が欲しいかもしれないが、それを見てもどうにもならない事を知っている子供達はどこも同じ様な内容のテレビに飽き飽きとして娯楽を欲していたかもしれない。テレビ東京ははっきりと自分達の役目を分った上でアニメを放送したらしいが、それに関してはテレ東なりの被災地を思っての「信念」であり、被災者以外がその事をシノゴノ言う筋合いではない様に思う。だって見たく無ければチャンネルを変えればいいだけなのだから。

音楽は思った所に思った様に効く薬のようなものではない。風に吹かれ思わぬ所で花を咲かせ、それに気がついた通りがかりの誰かがそれを見てふと心和ませるタンポポのようなものなのだ。だから「花が咲く事」「花が咲いているのを見つける事」は被災した人達の選択枝の一つに過ぎない。音楽は腹の足しにはならないし寒さもしのげない。でも中には1個のおにぎりよりも音楽のワンフレーズが心に染みて元気が出る人も居るかもしれない。

音楽の力を過信してはいけない。でも音楽の力を信じる事を止めてはいけない。自分の心には信念を、他者の存在には想像力を、そして音楽に対しては謙虚さを。それが被災していない地域に住む音楽家の出来る最低限の事なのではないだろうか。


3.11報告

2011-03-14 19:11:27 | ブログ
まず、今回の地震で被災されたみなさんへのお見舞いと、亡くなられた方への心よりのお悔やみを申し上げたい。

3/11のその時、僕はちょうど遅い昼食を取ってコーヒーを入れようとしていた時だった。

最初は緩い横揺れ、それが次第に激しくなって「これは普通の揺れじゃない!」と感じてダイニングテーブルの下に潜り込んだ。ドンっと来なかったので直下型では無いと思ったが、次々に上の物は下へ落ち、巨人に揺さぶられているような大きな横揺れが長く続いた。折しもNZ大地震の直後、70年代の建物である自室マンションの崩壊も頭をよぎり、遂にその日が来たか、と覚悟した。

揺れが収まったのはおそらく5分後くらいではないだろうか。とりあえずダイニングテーブルの下からはい出したら、部屋はこんな事になっていた。6階だから揺れが酷かったのだろう。

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テレビをつけて唖然とした。まさか500kmも離れた場所で起こった地震でこんなことになろうとは。

建物に被害がないか外へ出てみたが、ざっと見て回った限りは無傷だった。それにしても、言い方は変だがショックだったのが地上のあまりの平穏さ。僕のマンションの住人で部屋に居た人はほとんど外へ出て状況確認しようとしていたのだが、町は普通に人が歩き、車が往来し、さっき命の危険まで感じたアレは何だったのかと思う程だった。

部屋の中はぐちゃぐちゃになったけれども幸い機材、楽器類は全て無事だったことを報告し一旦筆を置きたい。