みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#615 神の法第六戒

2020年11月04日 | 神の法
第6戒
死刑

234~
The Death Penalty
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

精神異常者申し立てに戻るが、ロスアンゼルスなどの都市には、すでに独立した精神病法廷があり、多くのケースが照会されている。

「その法廷は、精神病院への入院依頼、市民および犯罪者による麻薬、精神異常の疑われる犯罪者の市裁判所への送致を含む精神疾患を有するすべてのケースを取り扱う。」

死刑廃止運動は「モラルのための医療」へと置き換えられ、敬虔な法の規準のひとつである「個人責任の法的理論」を否定する。

無宗教者の蛮行のための門戸は、精神医学的アプローチによってすでに開かれている。

個人の責任、個人の罪、個人の処罰の代わりに、団体の責任、団体の罪、団体の処罰に重点が置かれる。

犯罪者ではなく、多くの場合、社会が、そして家庭が非難される。

罪がないということが危険となるであろう時代が間もなくやってくる。

何故なら、無罪が最も大きな罪となるであろうから。

このことは、すでに市民権革命論者の信念となっている。

ある裁判例における弁護が、法律の方向性を示している。

精神異常を理由に、時期を逸脱してまで無罪を主張する強姦容疑者は、法廷に2つの理由を提示した。

(1)彼には異常な染色体構造がある。
(2)女性たちに拒否されたと思った。

事実、Mennigerは次のように表明した。 

女性の無意識の恐怖は男性を刺激して、征服したい、恥をかかせたい、傷つけたい衝動へと駆り立て、あるいは典型的な女性らしさを無力にしたいという衝動に駆り立てる。

レイピストは罪を犯してはいない。

彼の恐れ、そして恐らく彼の染色体が彼をレイプに駆り立てる、

Menningerは、無罪人が実は有罪であるとする彼の信念を明確に示した。

犯罪者に罪はない。

彼は社会によって罪を犯すよう駆り立てられた。

ミネソタ州聖パウロ教会John Connollyは、上院議員ロバート・ケネディ殺人に対する裁判が始まった時、サーハン・ベシャラ・サーハンについてこう述べた。

「この貧しい男サーハンは、とても惨めな生き物だと思う。こんなことをするように駆り立てられる人がいるなんてとても想像できない。」

仮にサーハンや他の犯罪者が「駆り立てられた」男たちであるなら、一体誰が駆り立てたのか、そして、それ故その駆り立てた者が有罪となる。

もし犯罪者が環境によって罪を犯すように運命づけられているなら、ヒューマニストは、このことを断言することにより、神による予定論の代わりに、環境による決定論を用いてしまったことになる。

参考:

「エルサレムの平和のために祈れ」について

異端者の特徴

愚か者と争うな


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