ふだん全くテレビを見ないので、世の中ニュースを素通りしてしまうことが多いのだけど、たまたま今日昼間のニュースを見、日航機墜落事故から25年もたっていることを知りました。
25年前の今日、だったのですね。
「御巣鷹山」という名前も、昔この事故のニュースで知りました。
当時ガキんちょだったアタシも、今やおっさん(苦笑)。
そうか、そんなに前のことだったのか。。。
延々と映し出される、名前。
これはいったいなんなのだ?
テレビをつけっぱなしにしてうちのなかをうろちょろしている父にきくと、飛行機が墜落したんだよ、と。
子供ってのは、いまも昔も残酷なもので、そう聞いても「ふ~ん。」くらいにしか感じなかったと記憶しているのですが、あの、延々と映し出されていた乗客名簿の映像~画面の記憶は、今でもハッキリと思い出すことができるのです。。。
昼間このニュースを見、高校生の頃に、名古屋の名演小劇場に観に行った、東京の劇団「離風霊船」の代表作「赤い鳥逃げた」のことを、本当に、ん十年振りに思い出したのでした。
このお芝居は、そう、この墜落事故を題材にしたもので、主人公は生き残った女性。。。
お芝居のストーリーはほとんど覚えていないのですが、ラストシーンで、日常の団らん風景が一瞬にして瓦礫の中に埋もれてしまう、という演出が、やはり頭に焼き付いています。
とちゅう、何度も何度も涙が止まらなくなって困ったことも。。。
確かこのお芝居、戯曲を買ったはずですが、ないんだよね(^。^;)。
図書館で借りれないかと思ったけど、なかった。
今一度、読んでみたい、お芝居を観てみたい、と思いました。。。
どうか、安らかに。。。南無阿弥陀仏。。
…演劇少年だった当時、名古屋では観たくても観られない、話題のお芝居がたくさんありました。
そんな中のひとつが第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」。
後に上京後、紀伊国屋ホールで何度目かの再演を観ることはできたのですが。
赤い鳥~を探していると、図書館にこの戯曲があったので、懐かしく、手にとって読んでみると、初演当時、つまり旗揚げ公演の記録や当時の役者の写真やコメントなども載っていました。
第三舞台という劇団は、鴻上尚史さん率いるトップ劇団で、現在もテレビで人気の筧利夫さんなんかが所属している(た?)劇団です。
で、この劇団の旗揚げ時~初期には、岩谷さんという人気の役者さんが居たのです。
ところがこの方、人気絶頂の最中、バイク事故でなくなられ…これはとても有名な話でした。
彼のコメントは「たかが芝居、されど芝居」という内容で寄せられていました。
個人的に、だいたいで要約すると、、、
…芝居なんてしょーもないことをやっているのですが、例えば芝居がハネたあと、お客さんが「あの、握手してください」なんて恥ずかしそうにやってきてくれたりするのがとても嬉しい、芝居なんて、これで革命を起こそうだとか、そんなたいしたことを期待しちゃいけない、例えばこんな風に、見ず知らずのお客さんに感動してもらえる、そしてこんな会話をすることができる、そんな程度のもの。でも、これがとても嬉しいのだ、たかが、されど、、きっとこの先もずっとやっていくんだろうなぁ、、、。
あぁ、他人が語ると薄っぺらいわ、たまらん(苦笑)。
また、これは多分鴻上尚史さんのコメントだったと思うのだけど、、、
「才能とは夢を見続けることが出来る能力だ、と誰かがいったとかいわないとか、、」って、いち文があったのです。。
アタシも今、こうして大好きな音楽を続けて居られるのですが、アホだよね、はっきり言って(笑)。
何になる訳でもない、しかもなんの保証もない事柄に、文字通り体はって、家族に文句言われながら喧嘩しながら、無理矢理時間割いて突き進む訳だから。。。
でも、いまでも確かに、日夜問い続けているのは「生きる」ということについて、なのですね。。。
こども達もいつかきっと、この問いにぶつかる日が、来るでしょう。
そのときに何と答えることができるのだろうか?と思う訳。
志半ばで生きることが出来なくなる、それって、どんなことなのか、、、解らんですが、少なくとも今アタシは生きていて、こうして、何かに突き進んでゆくことができる。
そろそろ終戦の日もやってくるけど、、アタシが最近演奏するインスト「Zeke」も、テーマは同じく、生きる、ということなんですね。。。
こうして昔の感覚を思い出すように、探り出すようにたどっているのは、そういう自分ですら何かを失って来ているからなのかもしれないよね。。。
おー、なんだかつれづれなるままに、って感じになっちゃいましたが、あの小さな蝉の羽化だって大ごと、命をかけて取り組んでいる様は、感動せずには居られない訳で。。
こうなったらさ、恥さらしてでも立ち続けなくちゃね、舞台にさっ☆
本当にサイノーのある連中と違って、かっこよくはいかないけどな(暴)。
あした改めて検索して、本借りてこよ(笑)。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。。。
あ。
そうそう、昨日本当はね「つくつくぼうし」にかけて、山頭火のこんな句を載せたかったんだ、でも細かいところ忘れちゃってて(笑)。
蛇足ですがあらためて。
「年とれば故郷こいしひつくつくぼふし」
山頭火
25年前の今日、だったのですね。
「御巣鷹山」という名前も、昔この事故のニュースで知りました。
当時ガキんちょだったアタシも、今やおっさん(苦笑)。
そうか、そんなに前のことだったのか。。。
延々と映し出される、名前。
これはいったいなんなのだ?
テレビをつけっぱなしにしてうちのなかをうろちょろしている父にきくと、飛行機が墜落したんだよ、と。
子供ってのは、いまも昔も残酷なもので、そう聞いても「ふ~ん。」くらいにしか感じなかったと記憶しているのですが、あの、延々と映し出されていた乗客名簿の映像~画面の記憶は、今でもハッキリと思い出すことができるのです。。。
昼間このニュースを見、高校生の頃に、名古屋の名演小劇場に観に行った、東京の劇団「離風霊船」の代表作「赤い鳥逃げた」のことを、本当に、ん十年振りに思い出したのでした。
このお芝居は、そう、この墜落事故を題材にしたもので、主人公は生き残った女性。。。
お芝居のストーリーはほとんど覚えていないのですが、ラストシーンで、日常の団らん風景が一瞬にして瓦礫の中に埋もれてしまう、という演出が、やはり頭に焼き付いています。
とちゅう、何度も何度も涙が止まらなくなって困ったことも。。。
確かこのお芝居、戯曲を買ったはずですが、ないんだよね(^。^;)。
図書館で借りれないかと思ったけど、なかった。
今一度、読んでみたい、お芝居を観てみたい、と思いました。。。
どうか、安らかに。。。南無阿弥陀仏。。
…演劇少年だった当時、名古屋では観たくても観られない、話題のお芝居がたくさんありました。
そんな中のひとつが第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」。
後に上京後、紀伊国屋ホールで何度目かの再演を観ることはできたのですが。
赤い鳥~を探していると、図書館にこの戯曲があったので、懐かしく、手にとって読んでみると、初演当時、つまり旗揚げ公演の記録や当時の役者の写真やコメントなども載っていました。
第三舞台という劇団は、鴻上尚史さん率いるトップ劇団で、現在もテレビで人気の筧利夫さんなんかが所属している(た?)劇団です。
で、この劇団の旗揚げ時~初期には、岩谷さんという人気の役者さんが居たのです。
ところがこの方、人気絶頂の最中、バイク事故でなくなられ…これはとても有名な話でした。
彼のコメントは「たかが芝居、されど芝居」という内容で寄せられていました。
個人的に、だいたいで要約すると、、、
…芝居なんてしょーもないことをやっているのですが、例えば芝居がハネたあと、お客さんが「あの、握手してください」なんて恥ずかしそうにやってきてくれたりするのがとても嬉しい、芝居なんて、これで革命を起こそうだとか、そんなたいしたことを期待しちゃいけない、例えばこんな風に、見ず知らずのお客さんに感動してもらえる、そしてこんな会話をすることができる、そんな程度のもの。でも、これがとても嬉しいのだ、たかが、されど、、きっとこの先もずっとやっていくんだろうなぁ、、、。
あぁ、他人が語ると薄っぺらいわ、たまらん(苦笑)。
また、これは多分鴻上尚史さんのコメントだったと思うのだけど、、、
「才能とは夢を見続けることが出来る能力だ、と誰かがいったとかいわないとか、、」って、いち文があったのです。。
アタシも今、こうして大好きな音楽を続けて居られるのですが、アホだよね、はっきり言って(笑)。
何になる訳でもない、しかもなんの保証もない事柄に、文字通り体はって、家族に文句言われながら喧嘩しながら、無理矢理時間割いて突き進む訳だから。。。
でも、いまでも確かに、日夜問い続けているのは「生きる」ということについて、なのですね。。。
こども達もいつかきっと、この問いにぶつかる日が、来るでしょう。
そのときに何と答えることができるのだろうか?と思う訳。
志半ばで生きることが出来なくなる、それって、どんなことなのか、、、解らんですが、少なくとも今アタシは生きていて、こうして、何かに突き進んでゆくことができる。
そろそろ終戦の日もやってくるけど、、アタシが最近演奏するインスト「Zeke」も、テーマは同じく、生きる、ということなんですね。。。
こうして昔の感覚を思い出すように、探り出すようにたどっているのは、そういう自分ですら何かを失って来ているからなのかもしれないよね。。。
おー、なんだかつれづれなるままに、って感じになっちゃいましたが、あの小さな蝉の羽化だって大ごと、命をかけて取り組んでいる様は、感動せずには居られない訳で。。
こうなったらさ、恥さらしてでも立ち続けなくちゃね、舞台にさっ☆
本当にサイノーのある連中と違って、かっこよくはいかないけどな(暴)。
あした改めて検索して、本借りてこよ(笑)。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。。。
あ。
そうそう、昨日本当はね「つくつくぼうし」にかけて、山頭火のこんな句を載せたかったんだ、でも細かいところ忘れちゃってて(笑)。
蛇足ですがあらためて。
「年とれば故郷こいしひつくつくぼふし」
山頭火
ちょっと前に読んだばっかりなの。
飛行機事故の日、東京に行ってて、もし飛行機に乗ってたら、
私も死んでたかもしれないの・・・。
不思議だね。
飛行機事故といい、原爆や戦争のニュースが流れるこの時期。
赤い鳥逃げた…は戯曲読んだし、朝日…も舞台見て戯曲読んだので、当時の言葉にしがたい感情を思い出したよ。
生きる、立ち続ける。
志半ばで閉ざされた人を想う。
生かされていると思えば、
自分にできるのは何だろう。
アホのように突き進むことができるのは幸せだやね。
うん、そう思う。
熱くなってきた。
突き進もうぜ、アホのように。
そうだったんだぁ。。。
乗っていた可能性が、あったんだ。。。
第三の戯曲は、昔読んでも全然わかんなかったけど、今読むと面白いね♪
ぶんちゃんは本当にいろいろ探求するんだね。。
もっとかりたらいいんじゃない?
いっしょー☆
あー、ゆーはドーセダイだからな(笑)。
たぶん、我々は戦争にいった人たちがじーちゃん、ばーチャンの世代で、ある程度の実感をもって戦争、ってものを聞かされた最後の世代になるのではないかと、思うのです。。