ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマン、趣味と独り言でストレス発散

ベイジン・・・技術屋魂

2009-04-17 20:48:00 | 平々凡々

世界最大の原発建設に中国国家はどう取り組むのか。原発は神の火?それとも悪魔の火? そして技術総責任者として派遣された日本人の良心・技術屋魂とは。

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 この本への思いは別に記載しているので詳しくは書かないが、私も40年近く技術屋の端くれとして生きてきた。成功もあったし、失敗もあった。私の生きてきた証として記録を残しておきたい。

 

  

  私自身の想いとして書いています。長文で分かりにくいかと思いますので、無視してください。代わりにトピックの写真を。

 

    

会社でボタンの花に傘がさしてありました。心優しい人の想いです。いつの間にか傘の数も増えていました! 右のミカンは先日紹介したお刺身で食べる日向夏を輪切りにしたもの。房と皮の間の綿のようなところが厚いです。kiriさん、中身が分かったでしょうか? 味はまさに「乙女のキッス」。 酸味はほとんどなくてむしろ甘さを感じました。

 

  

私の仕事は超高電圧機器(主に変圧器)の設計だ。基本設計書を作成し、それに基づいて箱屋といわれる構造設計屋が収納する入れ物を作る。車で云えば、エンジンや制御部分、全体の基本概念イメージから車の性能、エンジンや制御部分の詳細設計を担当していることになる。したがって、機器のコストから特性、信頼性まですべての責任を委ねられていることになる。数億円から数千万円の価格帯であり、受注から納品まで最短でも半年、永い物で3年くらいを要する。入社してすぐに技術部に配属され、最初の1年間は見よう見真似で設計をしていた。独り立ちしたのが3年後。第1次オイルショックが始まる頃だ。戦後の復興期を背景に業容はすさまじく発展し、それと共に私が担当する機器も超高電圧・大容量化の追い風がすさまじく吹いていた。

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新技術は大阪にある親会社から学ぶことが多かった。設計書を片手に夜行寝台列車でとんぼ返りが当たり前の生活だった。ただ、その頃の私は精鋭の技術者として社内から認められつつあったので、疲れや苦労などはひとかけらもなかった。やる気満々だったのだ。今から思えば、生意気な若手だったと思う。自分の意思を決して曲げなかったのだから。

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技術で悩むことも多かった。親会社に尋ねても、明確な答が示されないことも有って、寝てもさめても考え抜いた。どうしても分からない時は、もっとも安全な策を準備しながら、これと思った設計を採用したりした。今思えば無茶なことだが、当時は個人の力量・才覚に任せられていたのだ。このおかげで私の設計自由度は大きく、色んな技術にチャレンジして習得することが出来た。

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失敗も1度や2度ではない。試験の結果が思わしくなくて、現場の班長にお願いして徹夜で造り直したこともある。要するに私の冒険が期待以上に過ぎたミスなのだった。

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設計に当たっては電気設計の他に熱設計、構造強度設計など、広範に渡った工学技術が必要だ。その他にも現場への輸送問題・ユーザーの運転監視方法なども押さえておかなければならない。要するに総合技術が求められる。だから、概要設計が終わるとデザインレビューを行って、設計品質を全社で確認することが通例である。我が社の設備で製造可能か? ユーザーニーズに適合した品質が確保できるか?等。

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製品を試験した場合に、その特性結果が設計値と一致すればよいが、大幅に違うことがある。この場合が問題だ。私自身の判断基準はこの製品が30年以上も無事に使用可能か? と云うことだ。運転していて爆発したり、高熱が発生したり、破壊することがあってはならない。

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試験検査を行うと、製品の信頼性が評価できる。したがって製品試験は重用だ。原発でも100%出力じゃないと良否の判断が出来ないと書いてあったが、正にその通りだ。定格出力時の温度分布が問題なのだ。内部に熱がこもって、思いがけない事故が生ずる可能性がある。 要するにIHヒーターと同じ原理で、強磁界のために思わぬ損失が発生することが有るのだ。

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私の最大のミスもこの強磁界が原因だった。当時としては記録品であった大型変圧器で試験後、若干損失が大きく計測された。試験官は大して問題が無いと思ったようだが、私にはなぜ損失が増えたのか不思議だった。その原因を考えに考えて出した結論が変圧器内部に溜まった熱。原因は100%出力時の磁界だ。このまま納入すれば、30年の期待寿命に疑問が残る。意を決して私は、上司に見解書と対策案を提出した。幸いに理解があった上司(大学の先輩だった)だったので、すぐに採用してくれて、3ヶ月掛けて作り直し(手直し)をした。その結果、見事に試験データは設計値と一致した。

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この時、私はボーナスをカットされた。設計ミスによる損害発生がマイナス評価されたのだ。だけども、私は自分の意思を貫いてよかったと思っている。この経験が私のステータスとなって現在も生き続けている。私は自分の良心に恥じないように、出来うる限りの製品を創出してきた、と。<o:p></o:p>

表彰も何度も受けた。記録製品だったり、技術革新だったり。お客さんから涙を流さんばかりにお礼を言われたこともある。沖縄に納めた製品だった。このときは今は居ないがK君と死に物狂いで共に設計に取り組んだ。

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最近では1昨年のリアクトル。親会社でも製作したことが無い大物だった。それを私が受注から設計・製作・試験まで面倒を見たのだった。リタイアした後だったので、苦労して受注活動や製作に携わらなくても良かったのだが、なぜか私の魂が揺さぶられたのだ。個人プレー的物件だったので、社内の現役世代からの反発もあった。だから私のわがままを許してくれたTOP層の恩に報いるためにも、絶対にミスは許されないと精を込めた。親会社の工場で無事に試験が終了して、結果も私の設定どおりだった時にはそれこそ、気が抜けたような想いだった。その時に訪れた那智の滝は一生の思い出に残ると思う。やり遂げた思いで爆水が神々しく思えたのだ。また夕焼けに染まった明日香の地で、箸墓古墳や石舞台古墳の息遣いを感じることが出来たのも、私が頑張ったお陰だと感謝している。<o:p></o:p>

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私が手がけた製品は、運が良いためもあろうが、今まで事故は起きていない。技術屋として。誇りにしても良いことだと自負している。老技術屋の愚痴と思うかもしれないが、私のバックボーンとして萎えそうな気力を奮い起こして進みたい。今まで頑張ってきたのだし、これからも頑張れるはずだ、と。

 

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コメント (19)
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