ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマン、趣味と独り言でストレス発散

鈍行列車の旅

2007-12-28 21:40:45 | 紀行

  12月4週目。最後の週だ。出張などは無く、散らかっている机上と引き出しの整理に充てようと思っていたのに、急遽出張が入った。この前から問題を引き起こしていた八代の会社だ。 担当のI君が、是非とも同行してくれといってきたのだ。内容は1月から工事を開始する物件の最終提案資料の説明だった。 先般の例もあるので資料を綿密にチェックし、かつ万全の態勢を取るべく、ライン部門の応援も入れて3人で行くことにした。

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八代への出張は、JRで新八代に行き、そこで熊本営業所の迎えの車で往復するのが標準パターンだ。今回もその予定だった。ところが1時からの打ち合わせが、客先の方で急な用事ができたそうで、4時からに変更となった。このため熊本営業所長の都合が取れなくなってしまった。こうなると本社から車で行くか、鈍行列車で行くか、のどちらかとなる。基本的に私は車で行くのは嫌いだ。他人の運転で高速道を走りたくない。

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I君も同じ思いだったようで電車を乗り継いで行くことにして、往きは当然のことながら、帰りの時間なども調べてくれた。打ち合わせが2時間で終われば6時半、最終は8時だから遅くなっても7時半には終わらなくては・・・などなど。

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博多発13時10分のリレーつばめ13号で新八代へ。帰省客が多いと予想していたので指定席を買ったが、これが大正解。自由席は満員で指定席も満席だった。早くも民族大移動が始まっているようだった。

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新八代には14時40分に到着。それから2両編成の在来線に乗り換えて八代へ。我々が目指す駅は、旧鹿児島線の肥後田浦。今は九州新幹線が開通したので第3セクターの肥薩オレンジ鉄道「肥後田浦」だ。ここ八代がオレンジ鉄道の始発駅だ。

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乗り換えホームに1輌だけの黄色いジーゼル列車が待っていた。ワンマン列車だった。女高生など数人が乗っていた。通勤・通学などの生活列車ではあるが、いかにも客が少ないことが見受けられて、僻地の過疎化は確実に進んでいると感じた。

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この路線は電化されているはずなのに、どうして電車ではなくジーゼルなのか、同行のSさんが不思議がっていたが、雑知識に優れたI君が、電車は重くて価格も高いので、ジーゼルの方が線路保守費を含めたトータルでは安く上がるんですよ、と説明した。なるほど、と思ったがほんとかしら。ほんとだろうな。

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八代から田浦までは20キロ程度。海沿いの単線路を列車はのんびりと走った。天気は晴れて暖かく、オーバーコートも要らないと思われたほどだった。左手の山裾はみかんが多い。大きなみかんもある。八代はみかんで有名なところでもある。右手はきらきらと海が光っている。遠くには天草の島が。下田温泉も見えるのだろうな、と思ったりもした。のんびりゆったりと鈍行列車の旅を楽しんだ。

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打ち合わせは16時に始まった。和気藹々と互いに意見を交換しあって、あっという間に時間が過ぎ・・・。 外が暗くなって時計を見ると18時を過ぎて・・・、これは最終の8時までかかるな、と思っていたら客先のN課長が、汽車の時間もないから、と急ぐように配慮を頂いて、結局終わったのが19時15分。互いに遠慮も無く、良い製品を作り上げると言う意思を認め合っての満足できる打ち合わせだった。

 

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それから、真っ暗な道を田浦駅まで慌てて駆けつけ、オレンジ鉄道に乗って、八代へ。新八代からリレーつばめに乗って博多へ。それから新幹線「こだま」で小倉へ。帰り着いたのが23時20分。 このように遅く帰りついた出張も久しぶりだ。現役時代は当たり前だったのだが、最近は遅くなれば宿泊するようにしていたから。 けれど、今年の仕事納めという締めと満足できる製品を提供できる!という精神的高揚もあって、すがすがしさを伴った帰路だった。 さあ、明日からは正月休みだ<o:p></o:p>

コメント (9)
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