「ぐるくん」のひとりごと

大好きな海のこと、沖縄のこと。 また今関心を持っている韓国語の学習、韓ドラ・レビューなど気ままな雑記

<944>『善徳女王』 ~視聴後考察

2009年12月25日 | 善徳女王
 長丁場だったドラマ『善徳女王』は、本来、ヒロインの治世に反乱を起こしたビダムは敵対する存在だったが、ビダム役のキム・ナムギル君の名演技と共に人気も考慮してか、途中から12話延長された。

 シナリオの変更が、エンディングまで及んだのか?その点は、未確認だが、少なくとも最終回の半分以上は、ビダムの為に当てられていた。

 韓国でも、娯楽性を高めた流行の「フュージョン時代劇」とは違い、少なくとも正統派の時代劇であるから、余りにも史実とかけ離れた結末に批判も出ていると言う。

 歴史小説しかり、史実に照らし、たぶんこんなやり取りがあったのだろうとか、こんな思惑があったのだろうと想像するのが面白いのだから、そこまで拘らなくても・・・

 権力の座の頂点である王位に就いたトクマンが、決して幸せではなく、孤独だったと言う悲哀を、幼い自分を黙って抱きしめる自分自身と言う表現もなかなか良かった。


 ドラマ視聴を始めた頃、前知識としてwikiで仕入れた歴史を、視聴後、改めて読み返すと・・・理解度が格段に違い、自分で驚いたほどだ。


 聖骨男子がいない事にあわせ、シャーマン的な能力などから、女性として初めて第27代の王位に就いたトクマン・・・善徳女王。

 在位は、632年~647年の16年間。

 即位してすぐの633年8月に、西武国境地帯に百済の侵入を受けたのを皮切りに、636年5月に独山(トクサン)城(忠清北道槐山クェサン郡)が襲撃されそうになった時、アルチョンを派遣して殲滅させた。

 

 この功績で、アルチョンは大将軍に任命される。

 638年に、高句麗から七重城(京畿道坡州パジュ市)を攻められた時も、アルチョン将軍が撃退した。

 642年7月には百済に西部40余城を奪われ、同年8月には高句麗と百済の連合して党項城(京畿道華城郡南陽面)を奪取された。

 更に、百済によって、大耶(テヤ)城(慶尚南道陜川郡)も陥落。

 大耶城の奪回の為、救援軍を求めてチュンチュが、高句麗に援軍を要請するが叶わなかった。

 643年9月には、中国、唐に使者を送って高句麗・百済を討つ救援軍を求める。

 しかし、唐は、援軍を派遣するにあたって、善徳女王の廃位し、唐の王室から新王を立てる事を要求した。

 このような唐の圧力に対し、新羅国内で、「親唐派」と「反唐派」の対立が生まれる。

 女王自らが任命した上大等のビダムらが、647年正月に女王の廃位を求めて内乱を起こす。

 上大等に代表される中央貴族に対抗して、ユシンら地方勢力の有力者が、女王を支援した。

 しかし、同月8日に女王は、陣中で没する。

 陵墓は、狼山(慶州市)にある。

 女王は、熱心な仏教の保護と文化発展への貢献が知られている。

 慈蔵法師を唐に派遣して、仏法を修めさせた、後に法師の発願で645年3月に「皇龍寺」の九重塔を創建している。

 また、「芬皇寺」や「霊廟寺」を完成させ、「霊廟寺」の建立と同時に、「瞻星台(天文台)」を建設したと伝えられている。

 

 また、640年には、王族の若者を数多く留学生として唐の「国子監」に派遣させ、後に新羅に唐の文化が流入するきっかけを作った言われる。


 女王の死後、ビダムの乱を平定した、チュンチュとユシンは、28代王として、真徳女王を立て、親唐路線を継承していく。

 チュンチュは、唐の律令制度を取り入れ、様々な改革に着手。

 650年には、新羅独自の年号を廃止し、唐の年号を用いるようにした。


 真興(チンヌ)王の治世の時に、急激に領地を拡大した新羅は、562年には伽耶(大伽耶)を滅ぼして吸収した。

 三国が覇権を争う時代となったが、この頃から中国に朝貢して冊封を受けている。

 チンヌ王の時代は、南北朝時代である中国の北斉に朝貢、その一方、陳にも朝貢している。

 南北王朝との関係を深め、中国に隣接する高句麗に多大な脅威を与えた。

 以後、隋、唐と王朝が変わっても、使者を派遣して冊封を受けている。

 7世紀中頃、三韓統一を果たし、後の高麗、朝鮮と続くその後の半島国家の祖形を作ったとされる。


 善徳女王の後を継いだ第28代王は、チュンチュではなく「真徳女王」。

 在位、647年 ~ 654年の8年間。

 名は、「勝曼」。

 『三国史記』新羅本紀は、父は、第26代真平(チンピョン)王の母方の叔父、つまりチンヌ王の兄弟である国飯(or国芬)。

 『旧唐書』では、先代の善徳女王の妹と記されていると言う。

 善徳女王没後、善徳女王派のユシンらによって、勝曼が擁立された。

 真徳女王にも、配偶者がいた形跡がなく、女王の死によって新羅の聖骨は断絶し、真骨のチュンチュが推戴されて王位を継承したと言われる。

 654年3月、真徳女王の死後、初めは、上大等のアルチョンが王位に就くよう推挙されたと言う。

 アルチョンは老齢を理由に固辞し、代わりに人徳・人望の優れているチュンチュを推挙したと言う。

 ドラマの中で、形を変えて史実のエピソードが盛りこまれている事がわかる。

 アルチョンは、かなりのキーパーソンとなる人物だったw

 チュンチュが馬鹿にした新羅の「骨品制」も、まだまだ大きなウエイトを占めていた事もわかる。

 真徳女王の「善徳女王の妹」説は、おそらく無いだろう。

 
 チョンミョン公主と双子だったと言う設定だったトクマン。

 ちょっと古いが、同じ時代の百済サイドからの歴史を描いた『薯童謡(ソドンヨ)』には、チンピョン王と摩耶王后との間の三女、ソンファ(善花)が登場している。

 百済王威徳王の第四王子だが、平民の子として育ったソドンが、後に皇太子「武康太子」となり、第30代百済王となる。

 新羅のソンファ公主は、ソドンとの関係が父王に知れる事になり、王族の地位を剥奪される。

 後に身分が回復され、百済王妃となったと言う。

 ドラマでは、姉のチョンミョン公主は、次期王の座を狙っており、妹ソンファを牽制していた。

 
 ・・・( ̄  ̄;) うーん

 日本では、飛鳥~奈良時代の話だ。

 ドラマに出てきた、新羅の歴史を記した『新羅本紀』も実際にはないんだもんなぁ~


 ちなみにビダムが反乱軍の拠点とした明活山(ミョンハルサン)城は、475年、慈悲王の治世では「宮城」として使われていた。

 その後、479年、炤知王の治世に月(ウォル)城に移転したそうだ。


 ドラマの最後、トクマンの死から13年後・・・年を重ねたアルチョンとユシンが登場したが、ユシンは現役の様子だった。

 

 

 史実では、金庾信は595年に生まれ、673年に亡くなっている。

 今時代にしては、長寿だったと言える。

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17 コメント

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Unknown (みしるファン)
2012-02-12 20:36:24
史実とかけ離れているなんて我が日本では
大河ドラマや、黄門様、暴れん坊将軍はじめ、当たり前ですよね。世界中がそうでしょう。 
要はドラマの中で何か
学ぶものがあればよいと思います。
いかに生きるべきか!
ところでこの反乱、
ミシル様が存命なら二回目は
失敗せず、勝利したのではないでしょうか?
トンマン王女、時代を駆け抜けた英雄
お疲れさまでした。
このサイトにも訪問させていただき
ありがとうございました。
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終わったー! (みしるファン)
2012-02-12 21:39:25
最後のシーンよかったです。
いい涙を流させていただきました。
トンマン、善徳女王、ミシル様ありがとう。
皆さん精一杯の人生お疲れさまでした。
不可能な夢の実現へ私も勇気出して、
逃げないで、ぶつかっていきます。
ぐるくん様ありがとうございました。

PS 宜野湾はどうなるでしょうね?
今日は「二見情話」
YOUTUBEで聞いて寝ます。
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Unknown (ぐるくん)
2012-02-12 22:11:06
 みしるファンさん、コメントありがとうございます。

 完走、お疲れ様で~す!!

 ニュースでは、投票率が前回より少し下がって63%とか言ってましたが…どうなりますか?
 
 『二見情話』…懐かしい(;^。^
 国道58号線沿いの西海岸に比べ、東側の大浦湾は、私が沖縄にいた頃は、ちょーきれいでした。
 私もしばらくリプレイして聴きます。
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おせわになりました (みしるファン)
2012-02-12 22:40:11
最後に、幼少のトンマンが中国で
すれ違ったのは絶対「ミシル様」だと
思ったのですが、善徳女王とは。

あと、ピダムファンには凄絶すぎて
耐えられない死闘だったのではないかと。

女王であり、妻である人に最後の一言
を言いたかったらしいけど
男どもの中では一番優しく、
女王を支え、率直に何度も愛を打ち明け、
実際婚姻してもらったのに・・・豹変でした。
ユシンさんなんか
告白をずーーっと飲み込んだままなのに。
最後に無駄に切られた兵たちには
みんな家族や未来や夢があっただろうし
女王への最期の言葉言えなかったし。
あんな暴れ方して女王は怒ってますよね。

大浦湾5年前に行きました。
キレイでしたね。沖縄は3回。
グルクンまだ食べたことないのですが。
先日三国のスナックへ行って「麗しの琉球」
歌ったら、おじいさんが喜んでくれて
「二見情話」歌われました。
「あんな綺麗な海に※※作ったらダメ」と
その人(某ゼネコン関係者)が匿名で
つぶやいておられました。

ではお元気で。アンニョン
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だめです (みしるファン)
2012-02-15 23:15:49
やっと見終わったのに、うちはユーネクストなるビデオ配信会社と契約してしまっており、
1話と50話をまた見てしまいました。「自分の血を注いだ地、(百済との戦争で)私の兵たちの遺体も収容できず、埋めた地、それが新羅だ=クッケシルラダ」が耳から離れません。困りました。コジョンヒョンさんは「時々ミシルが私の中に降りてきました」と言ってます。
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Unknown (ぐるくん)
2012-02-17 00:52:35
 みしるファンさん、コメントありがとうございます。

 見返すと、初回には気づかなかった事などに気付く事があります。
 顛末を知ってるからこそ、わかる意味ある台詞など…
 再視聴も楽しいですよ!!
 私は、まだ字幕版を視聴していないので、是非チャンスがあったら、視聴したいと思っています。
 また、こちらにも遊びにきて下さ~い♪
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また遊びに来てしまいました (みしるファン)
2012-02-18 22:44:42
困ったもので再視聴しながら、楽しんでます。
ミシル様、かっこいいし、キュート。
お怒りになった時は、取り巻きたちや、
大臣たちと一緒に、こわがってまーす。
トンマンもがんばれ!チョンミョン王女の
かばねをのりこえ、ミシル様の教えもたくさん吸収し、偉大な成長を実在の善徳女王が
遂げていったのでしょう。実在でないとしても
それらの無数の試練をミシル様が象徴している
と思います。 字幕版を見ているので、簡単な
会話セリフは復唱してます。プチ語学学習に
字幕版はなかなか有用です。

返信する
また来てしまいました (みしるファン)
2012-03-17 23:52:06
みしる様は結局誰を愛していたのでしょう?
それは言わぬが花かな? 
私が一応つけてみた順番では
新羅、サダハム公、ソロン公、
最後にセジョン公の順。・・・
残念ながらチヌン、チンチ、ピダムは選外。
将来性を買って、郎徒時代のトンマンが大穴。

結局50話は10回見てしまいました。ミシルの時代よアンニョンヒ、とトンマン公主が涙する場面、あれはもう最終回ですね。62話も10回。ユシン将軍としみじみ語り、「また駆け落ちしましょうか」は名セリフ。一番心許せるユシンに見守られ眠るように亡くなった善徳女王。泣けました。
やはり10回見たのが戒厳令宣布の場面。
「気が高ぶっておりますゆえ、少々言葉が乱れるのはご容赦を」と前置きして、璽主が大声で大臣たちを脅迫するところ。しびれました。
これは視聴率50%も当然です。
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Unknown (ぐるくん)
2012-03-18 00:48:22
 みしるファンさん、コメントありがとうございます。

 すごっ!!
 まさに、どストライクのドラマだったんですね~~
 
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ああ (みしるファン)
2012-03-19 00:59:28
じつは韓国へまだ行ったことがありません。行くならソウルか済州島へと思っていたのですが、ソラボル・慶州へ行きたくなりました。みしる様や善徳女王、ソロン公に会えないかなと。きっと会えますよね。
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