きみの靴の中の砂

文体を工夫する必要性

 

 

 文章表現のテクニックは小・中学校で基本を教えてくれるから、日記くらいは誰でも一様に書ける。でも、それでは個性を見せびらかすことは困難で、文筆家は文体を工夫する必要性が生じる。ところがこれが問題で、文体をいじればいじるほど訳のわからない文章になる危険性をはらむ。つまり、いじりすぎると明瞭・明快度で高校生に負け兼ねない。
 作曲で言うなら、スリーコードでは在り来たりでつまらないから一小節にコードをふたつ以上入れて複雑なメロディを作ると確かに独創的にはなろうが、複雑で覚えにくい曲ができてしまう。文章も、いじればいじるほど曲作りと同じジレンマに陥る。

 小説自体は誰にでも書けるが、選び抜いた言葉で構成されたストーリーの集積を目指すとなると、エンドマークを打つまでにどれだけの苦行があるかは鑑賞する側には想像はつかない。

 

 

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