河辺のブログ

正しいことだけが正しいわけじゃない

ハートが帰らない

2010-09-14 00:57:01 | Weblog
5時に起きる。あいにく休刊日。昨日の新聞とテレビを見ながらニュースの概況を見る。

6時半から15時半まで仕事。さしたることはなし。課題にしている事項には手をつけず。その後18時ぐらいまで昼寝する。

写真集「矢島舞美 2008-2010」を鑑賞する。舞美さんは綺麗でかわいくて表情豊かだったが、精神的な力を消耗する。

飯を食い、申し訳程度に犬養道子の「今日は明日の前の日」を読む。「人間関係――住をめぐって」を読み、人と法、人とルールの関係について読み、自分の勤め先のバイトの働き方とルールとの関係に重ねあわせながら考える。

今月の残高は、払い忘れている税金を払う分を考慮すると、足りない可能性もあり注意しようと思う。

ツナ缶、ラー油白菜、チーズをつまみに酒。ラー油白菜は出来合いのものであったが、ラー油が思わず食欲をそそる匂いを発しており、これはスゴいかもと思った次第。

そんな一日。

Nobody's Hero

2010-09-12 21:46:52 | Weblog
13時ごろ起床。飯を食べながら思案の後、木更津まで行くことに決める。東京駅で総武線快速に乗り換え、千葉でもう一度乗り換えて目的地へ向かう。

木更津へ着いたのち、港の方面を目指して歩いていったところ、港に着いたあたりで見覚えのある風景。以前にも一度来ていたのだった。自分の記憶力の低下を嘲笑う。

早々に港を後にし、代わりに稲毛海岸にでも寄って帰ろうかと思うも、家に帰る時間を考えそのまま帰ることに。悔し紛れに木更津駅前のラーメン屋で「SLラーメン」を食す(16時)。白菜を始めとした野菜炒めの入ったラーメン。何がSLなのかは不明。小ライスとセットで1000円。

途中で新宿TSUTAYAによりCDを返す。今度からはもっと家に近いTSUTAYAを探そうと思う。

家に帰り、ラーメンピーナッツとチーズをつまみに酒。

・今日の短信
田坂広志氏×冨山和彦氏「混迷する日本に必要なリーダーシップとは」~G1サミット2010レポート~ | GLOBIS.JP

経営者が持つべきリーダーシップとは何かというテーマから、命や魂、運命の話にまで踏み込んでいく深い内容。ただし長い。また、自分に決定権がなく、言われたままの仕事を毎日しているだけの派遣社員などにどれだけ訴えるものがあるか、と思うと、この原稿の深さとは別に考えてしまうものがある。とは言え呼んでおいて損はないと思う。

Last Caress

2010-09-12 00:47:30 | Weblog
休日のため14:30に起床。お医者さんに行くことは諦める。

飯を食べたり、寝転がって本を読んだり、うつらうつらしたり。

19時ごろ家を出て、品川のQB Houseまで髪を切りにいく。だいぶさっぱりした。

品川のラーメン屋で夕飯を食べ、本屋をのぞき、愛理の写真集、舞美さんの写真集、東洋経済、また自宅最寄りの本屋でUP TO BOY、ヤングガンガン、仲間由紀恵の写真集などを買う。散財。家に帰ってから愛理の写真集を鑑賞する。

今月の家計に余裕があると思っての散財だったが、風呂に入りながら、8月末が締め切りの税金を払ってないことに気付き愕然とする。だが今日のところはもう考えないことにする。

焼き鳥と卯の花をつまみにビール。新しく出た青い缶のエビスはうまい。

ツイッターから抜き出しまとめ

2010-05-09 01:06:41 | Weblog
・独りぼっちで空っぽで過ごしてた思春期の日々は僕の原点だし、その時に見つけた「悲しみ」っていう感情も僕の原点で、それは別に否定する必要はないし、今、自分が職場で、いろんな人たちとコミュニケーションしながら仕事をしているという事実と矛盾はしない。

・本当は僕は下向きで、人間嫌いで、何もしたくないという面もある。

・「人間嫌い」だけじゃない、「湿っぽさ」も「悲しみ」も含め、そういう負の感情を確固たる土台にしなけりゃ、本当の意味での前向きになんてなれないと思ってたところさえある

・人間なんて無だ。仕事の意義なんてない。人生にも意味なんてない。という見方もある。

・そのことは、実際に生きて仕事することとは矛盾しない。意義がなくても生計のために仕事をする。人生に意味がなくても今日も心臓は動いて息をしてる。

・昨年11月の「強制引っ越し」で失ったものも実際ある。それは上司さんがやってくれたことのありがたさとは別に、ちゃんと認めないといけない。また、必要があれば代替を考えないといけない

・ツイッターにしても、いろんな人と繋がって、いろんなことを知ったりいろんな言葉をかけられたり、それはとてもありがたいことだけど、反面で自分は文字しか手に入れてなかった、あるいは文字による嬉しさとかそういう感情しか得てなかったって面もある

・とりあえず前向きになろうと考えすぎるのはやめる。頑張りすぎる(頑張ろうとしすぎる)のもやめる。自分の原点を確認する。そして仕事には「無心」の境地で臨む。そんな風にできたらと思う

・本当に素晴らしいアンセムっていうのは、僕らを歓喜の頂上に連れて行ってくれると同時に、僕らの心の奥底にある切なさや悲しみの領域にも同時に届く。だから涙が出てくるんだと思う。

Berryzライブ@中野サンプラザの感想

2010-05-04 00:10:43 | Weblog
Berryzライブ@中野サンプラザの感想を書きました。思いっきりネタバレあります。あと断片的ですがご容赦を。

・ライブのセットリストについては、ライブ後に合流した友達と飲み屋でも話したけど、「今のBerryzの120%」としか言うほかにない。「ファイポー」や「夏わかめ」や「ピリリ」や「マジ夏」や「夏リメ」まで織り交ぜながら、あそこまで夏を演出してくれるとは思わなかった。本当に、このライブで夏が明けたな、って今の季節に錯覚するくらいの充実度だった。

・ただ、冒頭の「マジ グッドチャンス サマー」が既発曲だと最初にわからなくて、「え、これ新曲?」と思ってしまった自分は死刑だと思った(笑)

・最初の方の「呪縛」~「友友」の流れは、何の皮肉かと思った(笑)だってどっちも友情と恋愛とどっち取るかって曲じゃん。しかも曲調がネガ&ポジで真逆だし(笑)

・「グランドでも廊下でも目立つ君」は、Berryzの身長2トップの友理ちゃんと茉麻が歌うってことで迫力あった。かつ曲調もなんか切羽詰まってるのに、振り付けがなんかコミカルで、落差が面白かった。あと「君の腕に触った時 筋肉感じだ」という歌詞が、つんくにしか書けないアホな歌詞ということで、飲み屋でひとしきり笑った(笑)

・メドレーの中でショートバージョンとは言え、「パッション E-CHA E-CHA」やってくれるとは思わなかったなあ…。サビの足パカパカと、Berryzの皆が、前の人の方に手を置いて一列になって踊る振り付けが見られて本当に嬉しかった。

・たぶん「流星ボーイ」の時だと思うんだけど、露出多め(ヘソ出し&短パン)の衣装で、友理ちゃんがちょうどステージ上の階段の位置にいたんだけど、階段の一段上に足をかけてポーズを取る友理ちゃんがすごくカッコよかった。痺れた。

・総じて言うと、Berryzの皆の自分アピール力と、Berrryzの(新曲もクラシックも含む)曲と、それを生かそうとする演出/PAの人たちの力とが噛み合って、すごく幸福なグルーヴを生み出していたステージだと感じた。いやあ、本当に素晴らしいステージだったんですよ。Berryzの皆の魅力と、曲の良さと、演出の良さ、これが全部噛み合うステージなんて、そうあるもんじゃない。

・そう見てしまうのは、その2日前に℃-uteのステージを見ていたからということもある。キツいことを言うようだけど、今回のライブで℃-uteのステージ力とBerryzのステージ力とを比べたら、圧倒的にBerryzの方が上だった。もちろんそれは℃-uteの皆がダメだとかいう話じゃなくて、楽曲とか演出とかも含む話なんだけど。少なくとも、個々のメンバーの魅力、それを生かすステージの演出、楽曲の良さ、そしてそれらを含む全てを「グルーヴ」と呼ぶなら、今回は圧倒的にBerryzの方がグルーヴで勝ってた。

・だけど、だからと言って僕は℃-uteを見放すとかいうつもりは毛頭ない。Berryzの「ライバル」の、打ち込みリズムと上モノ(キーボードとか鍵盤とか義ターとか)の調和と、℃-uteの「キャンパスライフ」とは十分並ぶものだと思っていて、Berryzも℃-uteもこれからなんだと思っている。

・Berryzはこの場で見せられる最高のものを見せてくれた、℃-uteはまだ発展途上だけど今後に期待はできる、というのがまとめかな。なんか聞こえが良すぎるけど(笑)

A New England

2010-04-28 22:27:59 | Weblog

 しかし、与えるという行為のもっとも重要な部分は、物質の世界にではなく、ひときわ人間的な領域にある。では、ここでは人は他人に、物質ではなく何を与えるのだろうか。自分自身を、自分のいちばんたいせつなものを、自分の生命を、与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。


 このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、かならず何かを受け取ることになるのだ。与えるということは、他人をも与える者にするということであり、たがいに相手のなかに芽ばえさせたものから得る喜びを分かちあうのである。与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。とくに愛に限っていえば、こういうことになる――愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。



エーリッヒ・フロム「愛するということ」新訳版、鈴木晶訳より。「第2章・愛の理論 1.愛、それは人間の問題にたいする唯一の答え」より引用

 性欲は融合をめざすが、たんなる生理的欲求、つまり苦しい緊張を解くといったものではない。だが、性欲は、愛によってかきたてられることもあるが、孤独の不安や、征服したいとか征服されたいといった願望や、虚栄心や、傷つけたいという願望や、ときには相手を破滅させたいという願望によっても、かきたてられる。性欲はどんな激しい感情とも容易に結びつき、どんな激しい感情によってもかきたてられるようだ。愛はそうした激しい感情の一つにすぎない。たいていの人は性欲と愛を結びつけて考えているので、二人の人間が肉体的に求めあう時は愛しあっているのだと誤解している。


 もちろん愛が性欲をかきたてることもある。ただしその場合の肉体関係には、貪欲さも、征服したいという願望も征服されたいという願望も欠けており、そのかわりに優しさがある。肉体的合一への欲求が愛にもとづくものでなく、異性愛が同時に兄弟愛でないときは、その合一はつかのましか持続しない。性的に引かれあう二人は、ほんのつかのま、合一の幻想を抱くが、もしそこに愛がなければ、その「合一」によっても二人は以前に劣らず離れ離れのままである。ときには、こうした形で結びついた二人はたがいを恥ずかしく思い、憎みあったりすることすらある。なぜなら、幻想から覚めたとき、二人は自分たちが他人であることをいままで以上に痛感するからである。



同書より。「第2章・愛の理論 3.愛の対象 c.異性愛」より引用

Stand By Me

2010-04-27 22:36:53 | Weblog
何だろうな、可愛い or 美しい女の子は好きで、音楽は好きで、いろんな本を自分のペースで読むのも好きで、画像や動画を保存して回るのも好きで、音楽や本を通して胸揺さぶられたりキュンとしたりするのも好きで、考えすぎる癖があって、他人同士のいさかいを見るのは嫌いで。

その辺が自分の変えられない原点だと思っているんだけど、時にそれが乱されることがある。可愛い女の子に性欲の方が反応しちゃったり、「ああまだこの本読んでない」とか「ああまたあのDLサイトにご無沙汰してる」とか焦ったり、「ああこれも買わなくちゃ、このライブも行かなくちゃ…出費が…」と憂鬱になったり。くだらないことだと思うけど現実なんだよね。好きなことやってるつもりがいつの間にか焦ってる、急がされてる、乱されてる、そういうのって確かにある。

それらにどう対応するかってのは、体で覚えていくしかないんだろうなあ。「急がされてる」のに従った方が結果正解だったこともあるし。



サニーデイ・サービス再結成後の新譜「本日は晴天なり」を聞いた。サニーデイの、ギター、ベース、ボーカルの独特なグルーブ(合ってない感(笑))は残しつつ、メロディとボーカルは確実に「曽我部恵一」としての活動を経て成熟された感がある。

ただ、その「成熟」が、かつてのサニーデイを好きな僕にとっては「これがサニーデイなのかよ?」という違和感になり、100%感情移入できなかった、というのが正直な感想。もうちょっと時間おいてから聞き直した方がいいかもな。

ただ、「ふたつのハート」は名曲。これは認めざるを得ない。 http://www.youtube.com/watch?v=TZLHZuEal8M



あと1日働けば連休。といっても、僕の場合4連休にとどまるわけだが、まあ文句を言えるほどの筋合いじゃないだろう。

そして、29日には℃-uteの中野サンプラザでのライブ、5月1日には同じく中野サンプラザでのBerryzライブとなるわけで、ライブを見てはそれの休養に1日、という日程になりそう。おそらくライブと休養以外にできることはそうないだろうな(笑)。仕方ない。



そんな日々。

無題

2010-04-24 23:31:31 | Weblog
昨日はビールの4缶目を飲んでいる途中でいつのまにか寝つぶれてしまったらしく、気付いたら、発泡酒を注いでいたジョッキが倒れ、PC周りの周辺機器や電源コードに上にぶちまけられていた。慌ててあらかた拭きはしたが、危険きわまりない。おまけにマウスは動かなくなってしまい、今日買いに行く羽目になった。

大変に情けない&汚い&危ない&もったいない事態だった。疲れていたのだから飲み過ぎたら寝つぶれるのは予想できたのに…気をつけようと思う。



とは言え、マウスを買いに行ったら、このご時世、外付けHDDが嘘みたいに安くなっている(1万円割ってる)のを発見した。HDDの容量が不安で、いろんなものをDLせずにいたが、そこは何とかなりそうだ。



今週あたりはずっと仕事やりたくない、社会人なりたくないということを考えていた。今月はお給料があまり出なくて緊縮財政だったし、来月からは勤務時間が長くなるしスパルタになるらしいし、今から予測する限りで前向きになれる材料が無い。

まあ、こういうことを書き連ねるとますます嫌になるのでやめる。向かってくる波にむかってせいぜいゴボゴボとあがいてみるさ。



パンクとは、反抗することよりも、屈しないこと。たとえ踏みつけられて起き上がれなくてもアカンベーぐらいはして見せること。



ようやく解き始めた引っ越しのダンボールの中から犬養道子の「幸福のリアリズム」を見つけ再読する。やはりこの人の言葉は今後も僕にとって教えになるだろう。

ちなみに先日Twitterで、性欲についてぶつくさつぶやいたが、男女の性について何よりも美しく語った一節のある、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」(The Art of Loving)は未だ見つかっていない。



徳永英明の女性ボーカリストカバーアルバム、マイリトルラバーのアルバム、AKB48の新譜、Perfumeの新曲、サニーデイ・サービスのアルバムなどが気になっているので、明日・明後日の休みに久々に新宿TSUTAYAにでも行ってみようと思う。ちなみに、最寄りの田町のTSUTAYAは品揃えは悪いし仕入れも遅い




そんな日々。

無題

2010-04-23 22:18:46 | Weblog
今週は日月休みで火曜日から出勤だったので、今日は週4日目の疲れがたまっている。これを書いている今も疲れている。これは仕方ないこと。

今日は給料日だった。ハードワークが報われたのか、給料は先月・先々月より多く入っていた。これは嬉しいこと。

そつなく業務をこなして退社しようとした折、年上の社員さんから飲みに誘われるも、「疲れているので」と断った。実際疲れていたのだが、これは残念なこと。今後、時間があう機会があったら僕の方から誘おうか。

そして、結局は今一人で飲んでいる。「長崎風パリパリサラダ」というのをつまみにしている。美味しいのだが、値段と開封の手間にはいまいち見合わない。これは残念なこと。

なぜか、チャットモンチーとビーチ・ボーイズを混ぜながら聞いている。今日もあらかた飲んだらいい時間になっているんだろう。そして僕は寝て、起き、仕事に行くだろう。それは決められたこと。

無題

2010-03-21 03:36:52 | Weblog
君のことなど興味ない
他の誰と話してたって
さっぱりとね 髪の毛を
切ったのも知らない

来週試合ね
自転車が変わったね
斎藤先輩と 
すごく仲がいいのも

全部 全部 興味ない
話せない 日だって ブルーじゃない

S/mileage「ぁまのじゃく」

もし僕のしてきたことが全部間違いでも
もし明日全てのことがなくなっても

全然全く悔いはない
全然さっぱり悔いはない
素晴らしい日々を生きてきたから

もし僕の積み重ねてきたものが意味なくても
もし明日の全ての人にずっと無視されても

全然まったく気にしない
全然さっぱり気にしない
いつでも僕は一人だったから

真心ブラザーズ「或る男の歌」