オバサンは熱しやすく涙もろい

とてつもなくミーハー。夢見るのはお気楽生活

「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」

2008-03-12 02:24:56 | 映画・DVD【あ】
みなさんお気づきかと思いますが、私は物事の本質やよしあしを見る目を持ち合わせておりません。

映画でもオトコでも、服や小物にせよ、他人に「どうしてあんなものを」とか「あまり趣味がよくないね」と言われることが実に多いのです。
私が「よかった」と言う映画は世間で評判がよくないことも多々あるし、「じゃあどこがよかったのか」と問われると「自分が気に入ったから」としか答えられません。
インスピレーション。それだけ。
見終わった後で自分で「見てよかった」と思えれば、自分にとっていい映画。それだけだから。



という訳で、この映画。
この映画が人様にオススメできるドキュメンタリー映画なのかどうか私に正しい判断はできないのですが、私はこの映画というか彼女の作品がとっても気に入りました。
半休をとり、映画を二本観るつもりでいたのですが、この映画を観た後で、他の映画を観て帰る気にはなりませんでした。
彼女の生き様、そして彼女の素晴らしい芸術作品を観た後で、言葉は変だけれど嘘くさいものを見たくなかったし、銀座のざわざわした人の中に自分の身をおきたくなかったのです。

私は写真を撮るのも撮られるのも嫌いです(自分のブログにはガンガン人様の写真を載せているくせにね~)。
カメラ付き携帯を持っていながらも、今まで撮ったのは自分の愛犬と友人の数回くらいなので、カメラ機能なんていらないと思っているくらい。
その私がこの映画の予告を観て、アニー・リーボヴィッツの撮る写真に激しく心を揺さぶられました。

例のごとくうまく言葉がでてこないのですが、何か心に迫ってくるものがある。
その一枚に物語が感じられ、その一枚に時代の空気が感じられ、その一枚に魂が感じられ、その一枚に想像力をかきたてられる。
まさに芸術と呼ぶにふさわしい作品の数々。
たった一枚の写真がかくも雄弁に語れるものかと感心することしきり。
彼女の作品を観るだけでも、この映画を観る価値があると思います。

セレブリティたちからは、楽しい「アニーとのエピソード」を聞くこともできます。
私の大好きなミハイル・バリシニコフが思った以上に登場し、思った以上に彼女と関わりがあったのを知れたのも嬉しかったですね。
そして60にもなろうかという彼のあの若々しさ。
そして相も変わらないしなやかで美しい動き。無駄のない芸術的とも言える身体。
それを見れただけでも私は大満足でした。
「アニーが『いいアイデアがあるの』という時は危険なんだ。僕は断ることにしている」とにこやかに語るミーシャに、彼らの信頼と友情を垣間見ることができて(またこのミーシャが可愛くて)、思わず大笑いしてしまったdimでした。




さて・・・
1949年に空軍大佐の父とモダン・ダンサーの母の間に生まれたアニー。
彼女のうちは大家族で、家族で車に乗り移動(旅?)することが多かったようです。
その車の窓からさまざまな景色を見ていたことが、今のフレームを覗く自分に繋がっているのだと彼女は言います。

1975年にローリングストーン誌のチーフ・フォトグラファーになった彼女はローリングストーンズのツアーに同行し、彼らと友情をはぐくむことになりました。
ローリングストーンズは、彼女はまるで空気のような存在で、そばにいることが全く苦にも気にもならなかったと言います。
そんな関係が生み出した彼らのツアー写真や楽屋でのショットは、彼らの内側までも赤裸々にうつし出しており、他の誰もこんな写真はとれなかっただろうと思わせます。

その後、ヴァニティ・フェア誌に移籍した彼女は、撮影対象をミュージシャンからセレブリティ全般に広げていき、順風満帆ともいえる人生を送っているかのように思われていたようですが、実は自分の作品をよりよくするためにどうしたらよいのか常に悩み、さまざまな試みをし、写真評論家からの厳しい批評にうちのめされたこともあったようです。

初めはただそこに存在する被写体をレンズと言う眼を通してみていた彼女も、後には大掛かりなセットを用意させ、そこに自らの考え出した物語を投影させるようになり、より画家的になっていったような気がしました。
彼女の作風は時代と共に変貌を遂げていったようにも思われますが、作品の根底に流れるものは一貫して変わっていないようにも思えます。
それは表面的なものではなく目に見えない内面的なもの、被写体さえ気づいていない魂の輝きをその一瞬におさめたい・・・そういう思いなのではないでしょうか?

アメリカを代表する知識人であったスーザン・ソンタグはアニーの最愛のパートナーだったのですが、彼女の最後を看取る時も、また最愛の父親を失った時もアニーはカメラを離しませんでした。
その時の写真を見ながら涙する彼女に、彼女とカメラ(写真)との絆、彼女の強さと弱さを同時に見たような気がします。そしてその強弱のバランスも彼女の作品に反映されているのだと思いました。

彼女は自分が死にゆく時も写真を撮っていたいと言います。
その最後の時に彼女はレンズの向こうに何を見るのでしょう?
まあ私が四の五の言っても始まらないので、兎に角彼女のこの映画、もしくは写真集(あるのかな?)で、常に前進し、チャレンジし続ける彼女の作品を観ていただけたらと思います(著作権の問題もあるようだし、こんなアホなブログに彼女の素晴らしい作品を載せるのもはばかられるので写真はあえて載せませんでした)。
何か感じるものがきっとあるはず(この鈍感な私でさえ感じられたのだから)。
コメント (10)
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