岡田克也氏・こんな人物は乱世に首相に成って貰いたくない
民主党の小沢代表が辞任して、鳩山由紀夫幹事長と岡田克也副代表による代表選挙が本格化しつつある。
J-CASTニュースによると「世論調査やネットのアンケートなどを見ると、圧倒的に『岡田氏優勢』なのだが、実際のところはというと、小沢氏に近い鳩山氏の優勢が伝えられている。」という。
小生から見れば、鳩山由紀夫幹事長と岡田克也副代表も万が一でも総理にはなってくれない方がよいのではないかと野次馬的には考える。
本当は前原氏程度が適当だと思うのだが、民主党代表となれば「億単位」の金がいると言うことは、かって細川首相が新進党代表になったとき2億円を用立てた事からも分かる。
そして、そう言う金というのは返還されないものである。(新進党が解党してしまったためにそのまま細川氏の負債)
小沢代表だって、「金があるから」代表になれたのだろうし、鳩山由紀夫氏には鳩山家とブリヂストンが付いているし、岡田克也氏のバックは例のイオン。
そう言う閨閥がない前原氏など本来蚊帳の外というものだ。
さて、ネットで評価が高い岡田克也なのだか‥‥‥
週刊誌で流れている米国高官から漏れたオフレコの「拉致問題」軽視発言は、ブログで必死に否定している。
他方、「永住外国人の地方参政権の問題」に関しては、議員連盟の会長であるから逃げることは出来ない。
岡田克也のブログ「岡田かつや TALK-ABOUT」では、「外国参政権――多文化共生、多様な価値観の社会へ(2008年5月20日)」
「国籍は残したままで政治参加したい、そういう選択肢もきちんと認めるべきだ。それが、多様な生き方を認めるという民主党の基本的な考え方に沿ったものである。」と日本国憲法無視の発言はナイーブ過ぎて笑止。
これに対して、読者から
「自国のアイデンティティーや矜持を捨てずに他国の政治に参画する。その権利を欲する。この『異常』な感覚に何の違和感も感じないんでしょうか?」
「外国人参政権は国民の憲法や人権に反する暴挙と言えます。それに外国人は日本人が持ってない自国の完全な参政権を持ってる筈です。多文化共生と言いますが、これは文化ではなく政治的な問題です。」
(その他多数。)
など多くの意見が述べられているが何も反論はない。
岡田克也氏と言うのはそう言う日本の国をどうしようというのか、又どの様にして日本の国と国民を守るのかと言う事が良く分からない。
参政権問題は、国家の基本として国防に関わり米国などでも軍隊に志願することによって「市民権」を得ると言う事が以前から行われていた。
実際、それで米国市民権を得たという日本人がいたようにも思う。
そして、もう一つ誰も言わないのが岡田克也氏と言うのは「過去官僚」であると言うことではないか。
岡田克也氏のHPのプロフィールによれば1976年(昭和51)通商産業省(現・経済産業省)に入省 。
1988(昭和63)年 7月大臣官房総務課企画調査官を最後に通産省を退職。
とある。(1990(平成 2)年 2月 第39回衆議院議員選挙に自由民主党より立候補し、初当選36歳 )
多分、最終役職は課長級なのだろう。
そして面白しい話で‥‥前の大阪府知事の太田房江氏がかって「岡田克也氏と机を並べた中だ」と発言したら、すかさず岡田克也から「机を並べたことはない」と訂正があったとか。「苦笑」
確かに、太田房江氏は1975年(昭和50)通商産業省入省で年次は1年上だが、同時期に課長補佐、課長になっている。
官僚としては、太田房江氏の最終官が通商産業大臣官房審議官で本省局長級だからだいぶ上。(太田房江氏プロフィール)
しかし、同時期に同じ通商産業省で同等の官職にいれば、「机を並べたことはない」と思っても別の言い方があったのではないだろうか。
要するに、岡田克也氏と言うのは官僚的な「くそまじめ」。
はっきり言えば融通の利かない「優等生」。
平時の「総理」なら勤まるかも知れないが、今のような大不況の「乱世」で勤まるはずがない。
その上外国参政権問題を見ても分かるように、「国家感」がない。
人の姿勢として、どういうものなのか。
それは、どういう形で社会の第一歩を踏み出したかで決まると行って良い。
例えば、ある特定の大学出身者は「客観的でなくとも」何か特徴があったりするのはその傾向ではないか。
だから、社会にでで十数年も官僚をやれば、いつまで経っても「官僚臭」というのは消えない気がする。
「官僚」即ち学校秀才。
「騙し、ハッタリ」に直ぐに飲み込まれてそれを信じてしまう様な人物。
だから、米国から「拉致問題」に関して妙な噂が出る様なことに引っかかる。
明治維新の元勲達は、ペリーが来てもハッタリをカマしたり、伊藤博文は日清戦争の下関条約で李鴻章を欺くらかしたりしている。
偉大な政治家というのは、「くそまじめ」だけではやれないというのは、いつの世でも同じものである。それが政治というものであろう。
民主党の小沢代表が辞任して、鳩山由紀夫幹事長と岡田克也副代表による代表選挙が本格化しつつある。
J-CASTニュースによると「世論調査やネットのアンケートなどを見ると、圧倒的に『岡田氏優勢』なのだが、実際のところはというと、小沢氏に近い鳩山氏の優勢が伝えられている。」という。
小生から見れば、鳩山由紀夫幹事長と岡田克也副代表も万が一でも総理にはなってくれない方がよいのではないかと野次馬的には考える。
本当は前原氏程度が適当だと思うのだが、民主党代表となれば「億単位」の金がいると言うことは、かって細川首相が新進党代表になったとき2億円を用立てた事からも分かる。
そして、そう言う金というのは返還されないものである。(新進党が解党してしまったためにそのまま細川氏の負債)
小沢代表だって、「金があるから」代表になれたのだろうし、鳩山由紀夫氏には鳩山家とブリヂストンが付いているし、岡田克也氏のバックは例のイオン。
そう言う閨閥がない前原氏など本来蚊帳の外というものだ。
さて、ネットで評価が高い岡田克也なのだか‥‥‥
週刊誌で流れている米国高官から漏れたオフレコの「拉致問題」軽視発言は、ブログで必死に否定している。
他方、「永住外国人の地方参政権の問題」に関しては、議員連盟の会長であるから逃げることは出来ない。
岡田克也のブログ「岡田かつや TALK-ABOUT」では、「外国参政権――多文化共生、多様な価値観の社会へ(2008年5月20日)」
「国籍は残したままで政治参加したい、そういう選択肢もきちんと認めるべきだ。それが、多様な生き方を認めるという民主党の基本的な考え方に沿ったものである。」と日本国憲法無視の発言はナイーブ過ぎて笑止。
これに対して、読者から
「自国のアイデンティティーや矜持を捨てずに他国の政治に参画する。その権利を欲する。この『異常』な感覚に何の違和感も感じないんでしょうか?」
「外国人参政権は国民の憲法や人権に反する暴挙と言えます。それに外国人は日本人が持ってない自国の完全な参政権を持ってる筈です。多文化共生と言いますが、これは文化ではなく政治的な問題です。」
(その他多数。)
など多くの意見が述べられているが何も反論はない。
岡田克也氏と言うのはそう言う日本の国をどうしようというのか、又どの様にして日本の国と国民を守るのかと言う事が良く分からない。
参政権問題は、国家の基本として国防に関わり米国などでも軍隊に志願することによって「市民権」を得ると言う事が以前から行われていた。
実際、それで米国市民権を得たという日本人がいたようにも思う。
そして、もう一つ誰も言わないのが岡田克也氏と言うのは「過去官僚」であると言うことではないか。
岡田克也氏のHPのプロフィールによれば1976年(昭和51)通商産業省(現・経済産業省)に入省 。
1988(昭和63)年 7月大臣官房総務課企画調査官を最後に通産省を退職。
とある。(1990(平成 2)年 2月 第39回衆議院議員選挙に自由民主党より立候補し、初当選36歳 )
多分、最終役職は課長級なのだろう。
そして面白しい話で‥‥前の大阪府知事の太田房江氏がかって「岡田克也氏と机を並べた中だ」と発言したら、すかさず岡田克也から「机を並べたことはない」と訂正があったとか。「苦笑」
確かに、太田房江氏は1975年(昭和50)通商産業省入省で年次は1年上だが、同時期に課長補佐、課長になっている。
官僚としては、太田房江氏の最終官が通商産業大臣官房審議官で本省局長級だからだいぶ上。(太田房江氏プロフィール)
しかし、同時期に同じ通商産業省で同等の官職にいれば、「机を並べたことはない」と思っても別の言い方があったのではないだろうか。
要するに、岡田克也氏と言うのは官僚的な「くそまじめ」。
はっきり言えば融通の利かない「優等生」。
平時の「総理」なら勤まるかも知れないが、今のような大不況の「乱世」で勤まるはずがない。
その上外国参政権問題を見ても分かるように、「国家感」がない。
人の姿勢として、どういうものなのか。
それは、どういう形で社会の第一歩を踏み出したかで決まると行って良い。
例えば、ある特定の大学出身者は「客観的でなくとも」何か特徴があったりするのはその傾向ではないか。
だから、社会にでで十数年も官僚をやれば、いつまで経っても「官僚臭」というのは消えない気がする。
「官僚」即ち学校秀才。
「騙し、ハッタリ」に直ぐに飲み込まれてそれを信じてしまう様な人物。
だから、米国から「拉致問題」に関して妙な噂が出る様なことに引っかかる。
明治維新の元勲達は、ペリーが来てもハッタリをカマしたり、伊藤博文は日清戦争の下関条約で李鴻章を欺くらかしたりしている。
偉大な政治家というのは、「くそまじめ」だけではやれないというのは、いつの世でも同じものである。それが政治というものであろう。