書道家Syuunの忘れ物

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歴史の真実への欺瞞・宮沢氏の嘘つき

2007-06-30 15:35:07 | 読み解けば‥‥
日本の戦後の「嘘」というのは、主客が逆転して当時の為政者が国民に説明していることだ。
ではなぜ逆転しているかと言えば、それは当然ながら真実を隠そうとしていることにつきる。
その最大なのは、日本国憲法GHQによって作られたのではなく、日本政府によって作られた自主憲法であるという欺瞞だ。
この嘘は、既に破られた。60年安保で退陣した岸首相は、早期憲法改正を意図していたので知られる。
しかし、歴史の嘘を破ろうとして退陣せざるおえなかった。
だから、なんと吉田茂に屈服して助けを請うている。

その他の嘘は、講和条約に絡んだものだった。
6/30産経抄では、宮沢氏がドッジ国務省顧問(後の国務大臣)との経緯を説明して、いかにも吉田首相が講和条約に意欲的だったかを説明しているようだ。しかし、経緯が逆なのは、宮沢氏が日本国憲法を守ることを常とし、憲法条文を常に携帯していたということが明らかではないか。
さて、朝鮮戦争前夜の1950年初頭までには、ジョン・フォスター・ダレス(後の国務長官)がはMacArthur・GHQ司令官に対して、日本を早く独立させる様に進言するも拒否される。
1950年4月に渡米したのは、実は講和条約に対して米国から呼びつけられたのである。
面白いのは、呼びつけられたのは→→自ら行く事になっている。
そして、呼びつけられた重要なテーマは、早期講和だ。ジョセフ・ドッジ国務省顧問に会うなどと言うのは所詮偽装だ。
この講和条約について早期締結拒否の姿勢は、マッカーサーだったが、当時の政治情勢として1948年まで次期大統領候補とも噂されていたマッカーサーには事実上だれも逆らえなかった。
そして、実はMacArthurの意向を受けて、池田訪米団は早期講和条約締結を拒否するのである。
宮沢氏の「講和条約はこれによって結ばれることになる」というのは、実態ではなく予想だ。

現実は、1950/6/25に朝鮮戦争が勃発する。
これで状況は大きく変わる。
それでも、吉田首相が講和条約締結を渋ったのは、講和条約の締結の模様を米国側資料からみれば明らかなことだった。

宮沢氏というのは、あくまでも黒を白、白を黒と言い張った人物だ。
本来、歴史の真実は政治的な思惑でなく、客観的に歴史として残しておくというのが良心的な政治家の姿勢だろう。

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