たとえ話、ある人々(民族)同士がケンカを始めた。
始めは素手での殴り合いが、ある一方が棍棒を持ち出すと対抗してもう一方も棍棒を持って打ち合いになる。そこで怪我人が出るからと、互いに話し合いになってある程度のところで手打ちで納めるという話。
これは、ケンカになってやられれば相手に対抗して同じ武器を持ち征服されないようにするというのは、古代からの常識である。
もしそうでなかったら、インカ帝国が少数の馬に乗ったスペイン人に絶滅させられたように民族の絶滅は必須である。
ここで、この棍棒を核、原爆と置き換えると広島、長崎に日本は原爆を落とされたから日本は一番先に原爆を持つ権利があると主張するのが世界の常識である。
しかし、日本の常識は全く逆で原爆を持つどころか相手の「棍棒」を捨てろ、捨てる権利があると主張する。棍棒を持っている相手にそんなことを言っても通用しないのは単純な論理である。
それどころかそんなことを言えば棍棒を持っている相手は、棍棒で打たれるのが少なかったかと言って尚も打ちかかってくると言うことは予想できる。
そこで日本は棍棒を持った用心棒を雇って、その用心棒の後ろから「棍棒を捨てろ」と怒鳴っている様なものである。
こんなことを端から見たら実に見苦しいと言うより、卑怯者であるという感覚を持つ。
だから、核に関する言論を諸外国から見れば、日本は正に卑怯者である。
そして、古い原発が大震災で放射能をまき散らしたのは、政府や東電、原発関係者の大失敗に間違いないが、福島第一以外のたった10年後の原発では被害を出していない。
要するに原発が全て危ないと主張するのは何か昔の学生運動の時、続発した「短絡思考」によく似ていてあまりその論理というのはよく分からない。
考えてみれば、その短絡思考の渦の中に菅総理は学生時代にいたわけで、理系の論理的なアタマと言うより学生運動家の思考回路そのままである。
さて、こういう短絡思考を考えて、村上春樹のカタルーニャ賞で「核に対するノー」演説。
以下、毎日新聞Webから発言要旨を抜粋
●東日本大震災と福島第1原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は
「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」
●「非現実的な夢想家として」
原発事故は、広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」とし、今回は「自らの手で過ちを犯した」
●政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第3の原発大国になったと指摘。
●「われわれは持てる英知を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」とし、それが広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」
●復興に際し建物や道路と違って簡単に修復できないのは「倫理や規範」だと指摘。「倫理や規範の再生はわれわれ全員の仕事だ」とした。「夢を見ることを恐れてはいけない。『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはならない。われわれは力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」
この演説を読んでどう思うだろうか。
まず「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」というのは、核アレルギーの最たるものであると同時に日本人にしかない感覚に違いない。
毎日新聞の抜粋なので正確なところは分からないが、
広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」というところも、世界の常識から見て倒錯している様に思える。
しかも、原発の否定をしながら村上春樹氏自体は原発で作る電気の恩恵を受けていなかったのかという話になる。
ここで、自分は原発に反対であったから東電から電気を引かずに自己発電で電気を使ったというのならなるほどと感心するかも知れない。
しかし、そんなことは絶対にあるまい。
要するに自身は日本と日本国民から見て高い位置に身置いて、神のごとく見下ろしているという感じなのか。
そこで次に妙なのは、「簡単に修復できないのは『倫理や規範』」とは何なのかさっぱり分からないところである。
そして続くのは「倫理や規範の再生」なのだが、これも全く不明である。
世界が今注目して日本批判に転じているのは、日本は原爆被害国だから原発に対してより制御できる筈だったと言うことである。
日本人の核アレルギーは実は、日本の存在自体を危うくしていると言うのが分かっていない。
それは何かと言えば、「核は安全だ」「原発事故は起きて欲しくない。起きない」と思い込まなければ、そして言い続けなければ原発が使えないと言うことである。
技術には、全て完全というものは無い。
完全ではないから常に改善して安全に近づける努力が必要である。
原発を止めて運転しても、核の制御は変わらない。
原発を止め、後ろ向きになって「原発はない」と無いものにする。そうすると、その時点で原発の、核の技術は止まってしまう。
古い技術、古い観念というのがこれが一番危険なことであることは福島原発を見ても明らかなことである。
むしろ運転して常に新しい技術を開発して行く事によって、新しい安全な核の始末ということが生まれてくるというものである。
今、原発廃止を訴えるデモが行われている。
その先頭に立つ人たちというのが昔のテロリストの一派であったり、過激派、不思議なことに外国人だったりする。
原発を全て止めても、核の制御は全く変わらないと言うことを知らなければ、村上春樹氏の様な原発を廃止すれば核から逃れられると言う無知を披露してしまう。
結果として、少なくとも村上春樹氏は、日本の卑怯者の代表として世界に名を晒したと言うことは間違いない。
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)
9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、 一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それ で手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとって も、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に 思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しまし た。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲にな り、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷た い海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多く が家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取 られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台 風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列 島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を 営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の 大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が 襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下 型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆ るものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている 世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとん ど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のこと であるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなりま す。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びま す。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美し さの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、あ る意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも 影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやっ て長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できま す。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたか らといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共 存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それ らはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵 えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放 射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそ れを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されていま す。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶこ とにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定してい なかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを 真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったから です。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)