書道家Syuunの忘れ物

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NHK版「坂の上の雲」たまにのナレーションだけ司馬遼太郎・原作

2010-12-19 23:30:46 | 映画、書評など

NHK版「坂の上の雲」たまにのナレーションだけ司馬遼太郎・原作

NHK版「坂の上の雲」第8回日露開戦、今回ほど司馬遼太郎原作からかけ離れた回はなかった。
冒頭の秋山好古・騎兵訓練の様子はまだ良いとして、秋山真之の場面になったら女性の自転車練習になった。
このお見合いのような高橋是清が演出する女性の自転車漕ぎのシーン、これから真之の結婚するシーンまで原作から離れてNHK版の明治という時代。
NHKあらすじ
真之(本木雅弘)は八代六郎(片岡鶴太郎)の誘いで、華族女学校の生徒たちによる自転車レースを見学。レースに参加していた季子(石原さとみ)と再会する。7月、真之と季子は結婚する。」なぜこういう本筋とは関係のないシーンばかりを入れたがるのかというと、明治の日本陸軍について描きたくないということに相違ない。
だから、原作では秋山好古がウラジオストックに到着したとき、ロシア側は皇族待遇と思わせる様な儀仗兵まで出して歓待した。
ところが、NHK版では酒飲みシーンばかり。
そして泥酔して力比べとは、秋山好古も随分とノーテンキな人物に描かれている。

そして、憤懣ものと言うか馬鹿馬鹿しかったのは、秋山好古の言葉を一々大庭少佐と思われる人物がロシア語に翻訳していることである。
もしそんな人物が視察に来たとしたら、バカにされて誰も相手にしないだろうことは今の日本の外交を見ても明らかである。
こういう部分というのは、NHKがロシア貴族という貴族制度に無理解なのか意図的に秋山好古などの明治の軍人を「バカ」扱いしているかである。
事実として明らかなのは、貴族公用語のフランス語が堪能な秋山将軍は、ロシア側の感覚、常識で見ると少なくとも伯爵。
場合によっては侯爵という皇室に近い人物として見られたと言うことである。
そうでなければ、強引に日露戦争の舞台となる各地を視察出来るわけがない。
そしてこういうシーンは当然NHK版では無視して、ナレーションでも入れることはない。
それにしても、原作では一切書かれていない秋山真之の家庭生活をこれでもかと入れるのは不愉快でもある。
もうそれから完全に原作とは離れてのオリジナルの嘘ばかりというのは、酷すぎる。
しかも、登場する将軍が女々しいというか噸でもない人物に描かれている。
だから戦争準備で超多忙な山本権兵衛が、海軍省からわざわざ日本海側・京都まで東郷平八郎を訪ねて行くなど憤懣もの。
しかもその東郷中将が、太公望でもあるまいし魚釣りをしている。
小説では、東郷舞鶴鎮守府長官を東京に呼んで司令長官の辞令を交付する。
そして、前任者の常備艦隊司令長官・日高壮之丞が山本権兵衛に怒って短剣を抜いて取っ組み合いというまたまた女々しい醜態を見せる。
こんなわけがないしそんなことは当然小説にはない。
小説では精々「テーブルをつかんで怒り出し」と言う程度のものである。
そして無口のはずの東郷平八郎が結構雄弁というのは実におかしい。

今回はどういうワケだか原作にない秋山好古、真之の家庭生活ばかりである。前回は、正岡子規のことばかりだったから余程司馬遼太郎風なことは描きたくない事がよく分かる。
要するに、「坂の上の雲」ではないわけだ。
従って、秋山真之夫妻は佐世保へ夫婦で連れだって別れを惜しむという妙なラブシーンが展開される。
しかも貨客船ではあるまいし、軍艦がそのまま一般人の目の前で見えてしまうというのは多分当時はどうだったのか疑問なところである。しかも艦名まで明かしてしまう。

次のシーンは「サントペテルブルク」の明石元二郎大佐なのだが、なんと日本公使館へ現れて領収書を渡すと言うのだから仰天である。情報屋が領収書など書くはずもなく、しかも内容が分かったり漏れたら情報屋は命がない。
小説では、明細書をつけて最後に精算したはずだ。
しかもこの明石元二郎大佐は少々異常である。
なぜなら拳銃の銃口を公使に向けて話をするなどあり得ないからだ。
続く御前会議も妙なシーン。
ロシア側にはどういうワケか「戦争を欲していない」と言うことをわざと連発させている。
しかも、ロシア皇帝が日本に対して譲歩せよと言うような「電報」を出したという話は聞いたことがない。
事実は、ロシア外相が討議の決議をツァーリに上奏して裁可を仰ぐと言って、兵力増強の引き延ばしを計っている。

それにしても、明治維新を経たとは言えこの頃の人達は江戸時代に生まれた人達ばかりである。
そんな気骨のある明治人が、レディファーストでマイホームパパの驚くほど女々しいというのは非常に違和感がありすぎる。
どんな風に女々しいのかというと、今の仙谷官房長官のように女々しい「柳腰」さんなのである。
しかも、現代ではあるまいに女性とデートしたりなどとんでもなく逸脱している。
こんな感じだと、NHKは何を意図してわざわざ司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマを作ったのが良く分からない。
悪意を見てみれば、原作の気骨ある明治人を貶めて小説「坂の上の雲」の意識を喪失させようと企んでいると見ても穿った見方ではないと考えたりもする。


「西尾幹二のブログ論壇」を読む

2010-12-19 12:59:40 | 映画、書評など

「西尾幹二のブログ論壇」を読む

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この著書は、近年の問題点に関する西尾氏の著作とそれに対する論考及び反論、書評なとからなっている。
そこで読み進めて行くと、かねてより保守派と偽装していたであろう有名な論客、東大教授、国連大使など。
かれらが似非保守派という戦後民主主義者、売文業、自己保身の亡者であることが明らかになる。
彼ら日本の論客は、米国の占領政策の延長を望む戦後利得者の人達の意に沿う形で、国民を洗脳しようとする。ところが、その洗脳が効かなくなってきたというのがインターネットネットによる情報共有である。
即ち、論客達が従来の情報や資料を独占してその種を元にオブラートに包んだ言論を国民に流す。そのオブラートに包まれたものの中身は、国民には一切分からず国民はそのまま受け取るしかなかった時代。
そう言う時代というのは国民は判断せず、判断は「マスコミ御用論客」や「国の偉い人達」に任せるということであった。
しかし、戦後の国民は米国の「奴隷の平和」という洗脳教育と共に「過度の民主主義」と言うものを徹底的に教育した。
ここで「過度の民主主義」の功というのは情報公開、国民参加というところで花が咲いたものの、「奴隷の平和」を推進する反日の人達の多くの指導層を作り上げた。
そう言う学校の先生の言う事を良く聞いて成績の良かった学校秀才は「反日」的になり、親や父母の昔話ばかり聞いて育った凡人は愛国者になった。
その「日本人性悪説」という米国が植え付けた反日、反日本という概念が典型的に現れたのが東京大学という学校秀才が集まるところであったというのは当然として不思議ではない。
その論拠にこの数ヶ月の間に日本の政治で「日本人性悪説」、即ち国民不信という言動を散々見せてくれたのが民主党現政権であった。
ここで明らかになるのは、どう考えてもおかしな言動というのは決まって東京大学卒という肩書きをもつ閣僚、議員たちであることである。
それは、それは西尾氏が指摘する大江健三郎氏だけの問題ではない。

西尾幹二のブログ論壇

現在日本を取り巻く情勢は、小泉政権時代の数年前とはすっかり様変わりしている。
その緊迫感は国民にも波及するだけでなく、数々の失政の民主党とその逆ギレした彼ら政府の国民に対する不信感。
民主主義という選挙で選ばれたはずであるのに、その政策失敗を棚に上げて返す刀で主権者国民に対し不信感を募らせる。これは、彼らが自分たちだけの支持者による限定的な民主主義を標榜してると言うことを現す。
「西尾幹二のブログ論壇」というのは、この様な日本を取り巻く不穏な空気が醸成される前夜の日本に巣くう欺瞞を炙り出すものである。

尚、この著書は発売日までに届く予定らしかったが発売日の朝18日手に入った。
そして、この「西尾幹二のブログ論壇」の執筆者の中に不肖Syuunも含まれている。