書道家Syuunの忘れ物

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D'Artagnan物語・三銃士Ⅱ 継続のお知らせ 

2009-06-27 00:04:17 | 日記
D'Artagnan物語・三銃士Ⅱ 継続のお知らせ 

「第10章 第3部ブラジュロンヌ子爵 ルイ14世と Nymph達(愛妾)1,序章」
と言うものを書き始めてそのままになり3年も経過してしまった。
序章で述べたとおり「第6巻は、1660年5月であって、フロンドの乱終決から7年後と言うことになる。」(ダルタニャン物語「ブラジュロンヌ子爵」「十年後」は第6巻「将軍と二つの影」)
それで、1658年の「砂丘の戦い」で史実上のD'Artagnanが「近衛銃士隊隊長代理候補」(大尉待遇)(隊長代理・マザラン枢機卿の甥/ 形式上)に昇進するのを書き、続けて「隊長代理(隊長は形式上国王)に昇進する1667年まで。」
そうすると小説に又繋がると言うものだった。

Aleksandr Dumasの原作の三銃士、即ちD'Artagnan物語は、新聞小説であり時系列では史実に近い部分もあるが、架空人物に関してはかなり時代考証的にはいい加減である。
Dumasは、どの時代の人物かというと、ナポレオン3世とほぼ同時期の人物である。
ナポレオン3世が「2月革命(1848年革命)勃発後」にフランス政界に復帰するのと反対に、Napoleon1世が没落した後の王政復古時代に大活躍した人物である。
だから、小説「モンテ・クリスト伯」などその時代背景を多少描き出していると言える。
しかし、三銃士が活躍したAnshanRegime(アンシャン・レジーム)時代の貴族社会を、時代考証をある程度無視して「王政復古時代」の感覚を取り入れている。
だから、D'Artagnan物語の時代構成で、17世紀のフランス小説を書くとはっきり言って出鱈目な小説になる。
そんな小説というのは貴族社会というものが分からない日本人には気にならないかも知れないが、フランス語にでも訳されたら大笑いのものになろう。
実は、そんな小説がネット上にあった。
藤本ひとみ「愛しのダルタニャン」。(平成15年7月11日から連載されていた新潮社のWeb文庫)

その馬鹿馬鹿しい小説の批評をしていたので再掲しいみる。
但し、一部修正加筆してある。
「彼と一夜をともにした絶世の美女の名はミラディ、枢機卿の命を受けた女諜報員(スパイ)だった。」と「三銃士もの」と名乗りながら主人公はミラディである。
Dumasの小説(以下原作)の三銃士は1625年からラ・ロシェルのプロテスタント軍攻防戦が終わった1628年まで、リシュリューは枢機卿が宰相となった直後の4年間を背景としている。

作品(「愛しのダルタニャン」)は、従来の三銃士に抜けていたダルタニャンの素性(後年のモデルの)を正確に記載し、その他この時期の史実(バッキンガム公爵の真珠ばらまき事件や1625年アミアンでの事件)を解りやすく挿入してより小説の厚みを付けている点では評価出来る様に思う。
又、女性作家特有な書き回しとして男性像、特にダルタニャンやバッキンガム公爵の素顔など大して詳細に説明しなくとも顔が浮かんでくるというところはサスガとしか言いようがない。
小説の内容になるとこの時代の背景として宮廷内部の事件が中心となる。事実は「小説よりも稀なり」であって原作よりも実際にあった出来事の方が小説らしい。
さて、ここに人物設定として主人公である「ミラディ」に関して英国での素性を明らかにしている。
シェフィールド男爵夫人ミラディ・ウィンター。
未亡人であり結婚は縁故をもとめてのことであると書かれている。
しかし、現在よりも身分制度の厳しい時代に一目で貴族階級かどうか解る英国に置いて「ミラディ」の素性は解りにくい。
映画「マイフェアレデイ」を見てもらえば解るとおり言葉や立ち振る舞いからして違う。
何せダイアナ妃を見てみれば解るとおり「貴族階級」というのはあのような身なりをしている。簡単に書けば長身・金髪である。尚戦前の将校と下士官は身なりだけで区別がついた。
「愛しのダルタニャン」は平成16年5月30日現在第46回26章になっている。
物語も第22回 シュヴルーズ伯爵夫人(シュヴルーズ公爵夫人でなく)が登場する頃から三銃士を離れて宮廷事件になる。
第25回10章に「この者が、今日から、ボナシュウ夫人と一緒に下着係を務めることになりました。名前は、ミラディ・ウィンターと申し、歳は、今年で二十歳でございます」
下着係は、わずかに微笑んだ。
「シェフィールド男爵未亡人ミラディ・ウィンターでございます。ミラディとお呼びくださいませ」とシェフィールド男爵未亡人ミラディ・ウィンター事ミラディ(ミレディ)が宮廷婦人として登場する。
そして、ミラディの陰謀はシュヴルーズ公爵夫人を陥れてアンヌ・ドートリッシュの宮廷から第33回 第二部 第1章で追放に成功する。(1625年)
「当日付けで、王妃アンヌは、シュヴルーズ伯爵夫人に領地謹慎を申し付けた。
 シュヴルーズ伯爵夫人の領地は、トゥレーヌ地方の中心都市トゥールにあり、パリからは約六十リュー(約二四〇キロメートル)のかなただった。」

ここまでくると私などは違和感を憶えざるおえない。

まずシュヴルーズ公爵夫人が何故伯爵夫人に格下げになるのかが全く不明である。
何と言っても、シュヴルーズ公爵夫人というのは王妃アンヌの「お話相手(側近)」である。
そして、シュヴルーズ公爵夫人は史実上の人物であるばかりでなくこの時期、宰相リシュリュー枢機卿と同様な強力な権力を誇った人物である。
夫君シュヴルーズ公爵は、王妹アンリエット王女と英国皇太子の婚姻の交渉の実務者として英国国王の代理を務めるほどの重要人物である。その夫人と言いながら、事実上その実務を取り仕切ったのがシュヴルーズ公爵夫人マリその人である。
従い「愛しのダルタニャン」でミラディで等に簡単に罠を掛けられて失脚するというのはフィクションとしても解せない物である。
史実は1626年5月王位継承者問題に端を発した宰相リシュリュー枢機卿暗殺計画が発覚しその首謀者としてシュヴルーズ公爵夫人は追放されたのである。
1625年に既に追放されていたとすればこの事件は無かったことになる。実行者 シャレー侯爵(アンリ・ド・タレラン)はシュヴルーズ公爵夫人の取り巻き(愛人)であったから尚更である。シャレー侯爵は処刑された。
又シュヴルーズ公爵が伯爵なるというのは史実としては未聞のことであり、当時シュヴルーズ公爵夫人マリ・ド・ロアンはその出身の家柄が良いことを(歌に詠われるように)誇りにしていたのである。
そうして時代考証的に見るとシュヴルーズ公爵夫人は、公爵夫人でなければならない理由(別掲)が明確にあったのである。

もう一つ気になることは、「シェフィールド男爵未亡人ミラディ・ウィンター」である。
即ち、未婚(未亡人)の外国人の貴族(イギリス籍)がアンヌ・ドートリッシュの宮廷の衣服の係りになるということである。
なぜなら、宮廷婦人になるというのは貴族の婦人にとって高額な収入を得るものであって、それなりの夫の貴族としての力が必要だっのである。

たとえばリュィーヌ公爵夫人(未亡人)マリ・ド・ロアンは、リュィーヌ元帥(宰相シャルル・ダルベール・ド・リュィーヌ公爵)の戦死(戦病死)により未亡人となったとき、規定により宮廷から出なければならなかったのである。
そして、宮廷復帰の実現のために愛人であったシュヴルーズ公爵に言い寄って夫人に納まったのである。
即ち、「シェフィールド男爵未亡人ミラディ・ウィンター」は規定により宮廷婦人になれない。

尚、後日談としてマリ・ド・ロアンの結婚に関し、国王ルイ13世は不快に感じ、シュヴルーズ公爵を宮廷から排除(追放)する思惑もあったと伝えられている。
しかし、それを実行に移せなかったのはシュヴルーズ公爵が好人物であっただけでなく中々の実力者(宮廷人としても)であったからである。

歴史小説はその時代のルールによって書かなければならない。
「歴史をこちらに引き寄せろ」とは、池波正太郎氏の言である。(北原による池波『梅安影法師』講談社文庫版解説)
即ち、人物設定で「シェフィールド男爵夫人ミラディ・ウィンター 」はフランス人の貴族と結婚したことにすれば話は簡単につくことである。
同様に、小説で重要な役目をすることになるコンスタンス・ボナシュー(Constance Bonacieux)はどうしても貴族でなければ説明がつかない。
原作が平民であるから平民としたのであろうが原作でも物語の後半で貴族の扱いであるから齟齬(そごう)をきたしている。
「愛しのダルタニャン」では「コンスタンス、あなたが王妃様の下着係になれたのも、私のおかげでしたよね。さぞ私に感謝していることでしょうし、今回のことを心配してくれてもいることでしょう」とシュヴルーズ公爵夫人に言わせているが時代考証から言っても無理がある。

次回、1658年の「砂丘の戦い」から~~