書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

アグネス・チャン・中国スパイの飽くなき闘争

2007-05-13 23:02:52 | 世の中妙な??事ばかり

アグネス・チャンと言えば、もともとアイリーン・チャンの妹として日本に来た中国人(香港)だ。

今回、アグネス・チャンを見るとこの人も根っからの中国人だとつくづく思うものだ。
何故なら、以下に見えるように、「中国人」に戻ってゆくことだ。
当然海外での中国人ネットワークというものは持っているはず。
今、世界中で起きている、中国系技術者による産業スパイ、軍事情報スパイはこんな中国に帰って行った人々だ。

アグネス・チャンが落ち目になり、事実上芸能界を引退し、そして復帰したときの「苦しい時期」なんと、中国の策謀に嵌っている。

「昭和60年(1985)5月には北京・首都体育館で、3日間計6万人(5万4千人)を動員したコンサートも開催。
里帰りと公演の模様は6月に「NHK特集」が取り上げ、日本での人気も再浮上した。」
よく見れば、NHKも中国からのオファーがあって「人気復活」に一役買っているとは思わなかった。
NHKにも中国スパイがいる証拠だ。
但し、実際復活したか不明。
その後の出鱈目ぶりを見れば、何ふりかまわずといったところだ。兎に角、金にがめつい。

実は、このコンサートは「宋慶齢基金会チャリティーコンサート」であって普通の自前のコンサートではさらさら無い。

何故なら、宋慶齢は有名なソ連スパイだからだ。

ついでに言えば、「宋氏(家)三姉妹」は全てスパイと言われている。
いま又、中国へ戻ってゆくのだそうな。

「そして22年後(2007)の今秋、自分を再生させた中国に戻っていく。」

それにしても、香港返還に合わせて香港のイギリス国籍からカナダ国籍へ移ったのではなかったか。
当時、イギリスは香港人にイギリス本土の国籍を認めなかったはずた。
それで、お金のある香港人は、カナダへ「金」を持ち込んでイギリス連邦のカナダ人になった。
そして、第一子はカナダ国籍??
何やら非常に妙な連中なのだ。
所謂典型的な金持ち香港人のパターンだ。

「また、35周年を機に、芸能活動を通して平和活動を進めることにした。
これまで、この2つの活動は明確に分けていた。」

やや、これは中国のスパイの本性を現したか!!!
‥‥と思うものだ。

中国へ戻ると中国のスパイになるという正常なパターン、これもアグネス・チャンに受け継がれたと再度、見て良い。

人間、「平和」「平和」という時が一番危ない。

スパイ活動の第一巻が
「35周年記念アルバム『平和の唄』(来年初頭に発表予定)は『政治や宗教、すべての枠を取っ払うプロジェクト」として、作曲家の遠藤実氏(74)や映画監督の山田洋次氏(75)ら文化人だけではなく、安倍首相、民主党の喜納昌吉参院議員(58)にも歌詞を依頼した。前例のない布陣だが「自分の平和への思いをぶつけたら、みなさん受け入れてくださいました』と事もなげに話した。」

驚くほどのナイーブさだろう。
その内化けの皮がはがれる。

その時は、必ず日本政府に食い込んだときだ。
但し、明らかに「中国人」と分かる人物の言動にはあまり害がない。
何故なら、自制もするし廻りが注意するからだ。
一番害があるのは、日本人の顔をした「日本人らしい」人物だろう。


ベビーブーマー以降の世界観の違い

2007-05-13 00:54:23 | 読み解けば‥‥

米国でも、日本の憲法改定に関して「異」を求めなくなったのは、ひとえに世代交代という部分が大きい。
別にこれは米国だけではなく、日本でもそうだろう。

実は、これは「それほど米側での日本への警戒や不信が減ってきた、ということだろうか。」

と述べているとおり、日本が「戦争を戦った」という「世界政治の中での遺産」の効果が薄れてきた功罪である
日本に対するイメージは、もし怒らせて戦えば強いぞ、怖いぞというものであった筈だ。
その効力が薄れてきたのが、
1985年(昭和60年)に中曽根康弘が首相として公式参拝を表明し実施して以降」
というから、戦後40年後の戦争第一世代が現役から去った、二世代目以降だと言うことが判る。

即ち、40年も経って、日本は「強い国」「強かった国」から「弱い、ひ弱な、軟弱な国」というイメージに移ったことを意味している。

そして、50年間実は、日本に催眠を掛け日本が起きないように、即ち日本の国民に真実を知らせずに「バーチャル」な世界を見せてきたのが戦後50年である。
それは、正に映画「マトリックス」の世界なのだ。

正直言って、小生には、マトリックスは衝撃を与えた。映画としては大したことはないが、その感覚である。

さて、日本を「マトリックス」の「平和なバーチャル」な世界を日本国民に見せ、現実から目が覚めないように釘を刺したというのが実はエドウィン・ライシャワー元駐日大使である。
しかしも、日本駐在の時は、親日家と仮面を掛け、そのように報道させていたのには驚くものがある。
何故かと言えば、退任してハーバード大学日本研究所所長に就任するが、その言動の反日的なものには驚くものがあったからである。
そして、日本を眠らせておくための政策を研究所で策定し、後継者に実現させていったのにはおどろおどろしいものがある。
だから
「93年以降の民主党クリントン政権下でもウィリアム・ペリー国防長官、ジョセフ・ナイ国防次官補、ウォルター・モンデール駐日大使らの高官は、いずれもアジア有事の日米共同防衛でも『日本は憲法の枠組みを変えないで協力してほしい』と強調していた。『護憲』の信号の明確な発信だった。」
という発言が出る。

これこそ、ライシャワーの遺言である。
だから端的に言えば、
「戦略問題での保守派の重鎮ポール・ニッツェ氏は『日本の改憲は軍国主義復活につながるというのは日本不信の兆候であり、日本を真に民主主義国として信頼するならば、改憲を恐れる必要はない』と明言していた。」
‥‥‥の通りであって、マッカーサーが日本人をバカにした「黄色人種」に対する差別偏見そのものであろう。
実は、米国民主党は、人種差別を繰り返していた党である。

映画になった「さすらいの航海」1976年‥1939年5月ユダヤ人迫害が進むドイツのハンブルク港を937人のユダヤ人乗客を乗せて「セントルイス号」の話。
この話では、キューバ行きになっている。
ここでキューバは米国の事実上の植民地であり、米国でも下船を阻まれる。

時の大統領、フランクリン・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt、例の日本人嫌いの人種差別主義者だ。
民主党のダブルスタンダートは、今に始まったことではない。

そして、実は、ジョン・フォスター・ダレスがサンフランシスコ講和会議を模索しているとき、吉田茂はMacArthur路線を固執。
MacArthurは、ダレスの言うことは当初聞かず、結局朝鮮戦争後、ダレス路線に逆コースで戻そうとした。
ところが、MacArthur路線を継承したのが吉田茂だ。
その結果生まれたのが、日米安保である。
その責任を自ら感じた吉田茂は、自分のみ調印した。
ダレス国務長官は、
1953年から1959年までドワイト・D・アイゼンハワー大統領の下の国務長官を務める事になるが、実は戦後この時期が憲法改定の唯一の時代であった事が思い知らされるのである。