書道家Syuunの忘れ物

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ナポレオンNapoleon その2

2006-07-02 09:16:21 | 映画鑑賞関係

キング・オブ・キングス EPISODE 1:皇帝誕生
キング・オブ・キングス EPISODE 2:帝国の崩壊2002年



ナポレオンの軍隊は、当時の他の帝国軍に対して近代軍である。
本来、戦闘を仕掛ける方法というのは、古代ローマ軍、古代中国皇帝軍もヒットラーの電撃作戦も基本的には変わらない。


古代では、石の投石機、強力な弓等による攻撃から始まるものを、ナポレオンは曲射砲で始めた。
曲射砲というのは、放物線を描いて水平に発射できる砲である。
即ち、曲射砲で敵の主要なところ弱点を斉射し、敵が混乱したところをねらって騎兵隊が突入。その後歩兵が殲滅してゆくという戦法。
かといって、敵もいつも同じ方法でやられるわけではなく、戦法が酷似してくる。すると「孫子の兵法」のように敵を誘き出して殲滅するような戦法になる。
このようなことが可能だったのは、徴兵による国民軍だったことに由来する。

さて、戦争では優秀な兵士は最初に戦死する。
もともとフランスに限らず帝政の国では将校は貴族である。
フランスは、大革命によって貴族を大粛正した。そのためナポレオン時代には優秀な士官というのは枯渇していた。
突撃時、指揮官先頭というのはいつの時代でも同じで、指揮官が後について行くようであると誰も戦わない。
だから、ナポレオン以前のフランス革命軍などというのはどうしようもなかったのだ。
ナポレオンの将軍や士官は、ナポレオンが育てたようなものである。
しかし、士官というのは一長一短で出来るものではない。

アンシャンレジーム時代、貴族はナポレオンの様に「士官学校」を出てそれなりの戦術を勉強する機会があった。
‥‥‥ところが革命後の軍隊の士官任官は「選挙」であった。従って、人気があった一兵卒が将校に選ばれ、実戦を経て将軍になった。
作戦指示された戦闘は得意だったが、作戦の立案や作戦会議などのは大の苦手であったはずである。
事実上作戦を立てられたのは、ナポレオンだけだったのであろう。
これが、ワーテルローの敗戦に繋がる。
エジプト遠征で、古参の優秀な将軍や将兵を失い。ロシア遠征でほとんどの将兵を失い最後は、少年などの新兵だけ。

DVDでは、
ナポレオンの愛人として2人出てくる。
一人は、平民でメイドなどをしていた
ルイーズ=カトリーヌ=エレオノール・ドニュエル
当時21歳くらいの美女。但し、愛人としてはナポレオン一人ではなかったから‥‥
子供は、爵位と年金を与えられ「レオン伯シャルル」

もう一人は、マリア・ヴァレフスカ伯爵夫人
ポーランド貴族である。
今で言う「ハニートラップ」に成功した有名な夫人である。
あまりの美女だったので夫君(52歳年上)に16歳で見初められ、ナポレオンも非常に興味を示した。
ロシアなどに占領(エカテリーナ大帝)され分割消滅状態になったポーランド復興。
これに期待をかけて、夫君の伯爵はもとよりホーランド大公筋より言い含められて「愛人」となった。21歳くらい。24歳でナポレオンの子供を出産。
ナポレオンを愛したため、ヴァレフスキ伯爵と離婚、その後ドルナノ伯と1817年9月7日に結婚。31歳で死去。
子供
アレクサンドル=フロリアン=ユーゼフ=コロンナ・ヴァレフスキ
後に、フランスに亡命してナポレオン3世の時外務大臣として辣腕をふるった。尚、外見がナポレオンそっくりだったので、ナポレオンとあまり似ていない3世の代わりに良く3世と間違われたとか。

それにしても、ナポレオンという人物は、世話女房的な女性が好きなようだ。
年上のジョゼフィーヌにしろ17歳も離れたマリア・ヴァレフスカ伯爵夫人にしろ、世話女房の典型的な人物である。
但し、共に「愛人」の域を出なかったのは運命のいたずら??