Looking for the DIAMOND at FLEA market  “がらくた市のダイヤモンド”

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何かがおかしい!国民不在のなし崩し状況=原爆ジェノサイド国の米国の下僕に!軍事費増大の捻出は国民の税金!日本人は既に無思考の家畜、亡国一直線!

2024-04-30 10:29:32 | Wake Up

岸田首相が米演説で語らなかった“怖い話” 本当のことだから言葉にできない「自衛隊が米軍傘下に入る」未来 古賀茂明

【AERA dot.2024/4/30 古賀茂明氏】
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 先週、欧州の大国イギリスとフランスから興味深いニュースが届いた。どちらも、今、日本で起きている安全保障政策の大転換と密接に関係する話だ。先週の本コラム「岸田首相はなぜアメリカに隷属したがるのか 背景にある深刻な『ナルシズム』と『白人コンプレックス』」で、岸田文雄首相の米議会演説について詳しく紹介した。
 その中で、岸田首相が、英国を差し置いて、日本が「米国の最も近い同盟国」になったと述べたが、その英国が、日本の進路を示す先導役になるだろうと思わせるニュースが入ってきた。
 英国のスナク首相は、4月23日、国内総生産(GDP)に対する国防費の比率を現在の約2.3%から2030年までに2.5%に高めると表明した。この目標値はすでに言及されていたが、時期が明示されたのは初めてだ。これが実現すれば、30年の英国防予算は、北大西洋条約機構(NATO)加盟国では米国に次ぐ16兆7千億円になるという。ちなみに、NATOが各国に目標として課しているのは2%である。

 つい先日のイランによるイスラエル国内直接攻撃の際、英国軍は、米国軍と共に、イランからのドローンやミサイルの迎撃に参加した。
 イスラエルによるガザのパレスチナ住民へのジェノサイドに対する国際的批判が高まる中でも、迷わずイスラエル支援のために米国と行動を共にする姿勢は、「米国の最も近い同盟国」としての英国の立場をあらためて世界に示すことになった。
 岸田首相は、この英国を差し置いて、日本が「米国の最も近い同盟国」だと宣言し、さらに、「日本が米国の最も近い同盟国としての役割をどれほど真剣に受け止めているか。このことを、皆様に知っていただきたいと思います」と米議会で語りかけた。
 岸田首相は、その言葉の意味を「どれほど真剣に」考えていたのだろうか。今後、英国を凌ぐほどの忠誠を米国に示すには何をしなければならないのかを。
 一つ非常に明確なのは、今、岸田政権が目指す、防衛費の対GDP比2%達成の先に2.5%という数字が設定されたということだ。それを英国が達成する30年までには達成しなければならない。

 さらに心配なのは、英国は米国のみならずNATO諸国と共同でロシアの脅威に立ち向かうのだが、日本が立ち向かう相手は中国だ。ロシアに比べて、人口で約10倍、経済規模は9倍近い。その大国と戦うには英国のいう2.5%ではとても足りない。5%でも不足するだろう。しかも、アジアで中国と戦う覚悟を示しているのは日本と台湾のみ。韓国は中国との戦争は望んでいない。つまり、共に戦う仲間がほとんどいないのだから、防衛費はさらに膨らむ。
 日本のGDPは約591兆円。GDP比で2%から5%に上げるためには、18兆円弱が必要だ。現状消費税率は10%で税収は23.8兆円(2024年度予算)だから、単純計算で1%分が2兆3800億円。したがって、防衛費増加を消費税の増税で賄えば、7%強の増税が必要になる。そんなことになれば、庶民には大打撃だ。

 もちろん、欧州諸国でも、増える防衛費負担をどうするかは大きな課題であるが、驚くべきことに、最近では、社会保障費を削減しようという意見が堂々と主張されるようになってきた。
 「ロシアが攻めてくる!」といえば、ウクライナの悲劇を目の当たりにした市民も頷きがちだという状況がうまく利用されているようだ。
 4月23日配信の日本経済新聞電子版によれば、今年2月には、ベルギーのデクロー首相が、社会保障関係費を削減するのは合理的だと述べ話題になった。デンマークのフレデリクセン首相も同様の主張をしたという。同国では勤務時間の増加で税収を伸ばし、防衛費に充てるために、祝日を削減する法案が23年に可決されたという。「自由の代償」だから仕方ないと正当化されているというから驚きではないか。
 英スナク首相の発言にも驚く。殺傷兵器を扱う企業への投資がESG(環境・社会・企業統治)の評価でプラスになることを明確にすると述べたそうだ。その理由が「生活を守ることは倫理的」というのだが、牽強付会の極致ではないか。
 それでも、欧州では、国の指導者が、正面から国民に負担を求める姿勢を示している。
 米国の最も近い同盟国への格上げを自ら宣言した日本でも、今後さらに拡大する巨額の防衛費増額のために誰かが負担することは回避できない。岸田自民党政権の下では、経団連企業に負担を求めることはタブーだから、結局は一般市民の負担を増やす以外にない。
 しかし、「増税メガネ」と揶揄されるのをことのほか嫌う岸田氏は、正面から国民に問いかけることをせず、「これは増税ではない」「実質的な負担増はない」などという詐欺的な説明で乗り切ろうとするのだろう。どんな珍説が飛び出すのだろうか。
 次に、フランスからも日本に参考になるニュースが入ってきた。
 4月24日朝のNHK・BS「ワールドニュース」で放送された「フランス2」は、フランス海軍が、原子力空母シャルル・ド・ゴールをNATO艦隊へ編入しNATO軍傘下で活動していることを報じた(もちろん、一定期間に限定された話だ)。司令官は米軍人である。

 英国と違い、フランスは、外交安全保障政策において、米国とは一線を画すという立場をとることで有名だ。欧州主要国の中では最も米国から遠い同盟国と言っても良いだろう。何しろ、ド・ゴール大統領時代の1966年には、NATOが米国の過剰な影響力下にあることなどを問題視して、NATOの軍事部門から脱退し、その後2009年に完全復帰するまで、米国の軍事的影響を極力排除する姿勢を明確にしていたくらいだ。 
 そのフランスでさえ、ロシアの脅威に対抗するという名目を唱えれば、これまでタブーとされてきたことも乗り越えて、軍事面での米国との一体化の道を拒めなくなったのだ。
 これは、「中国の脅威」さえ唱えれば、なんでも通るという日本での最近の風潮と重なる面がある。
 フランスの空母が米国の司令官の下で活動するというニュースを聞いて、私が思い出したのは、これでもかと米国への擦り寄りを見せた岸田首相の米議会演説の中で触れられなかった話があることだった。
 それは、戦時になれば、自衛隊が米軍傘下に入るという話だ。
 自衛隊の最高指揮官は岸田首相だ。自衛隊が米軍の下に置かれるということは、日本がアメリカ政府の下に置かれるというのと事実上同じことで、対等な国同士ではあり得ない話のように思える。
 しかし、戦争になったら、指揮命令系統が二つでは混乱して戦えない。
 例えば、朝鮮戦争の時は、韓国軍は米軍の下に入って米軍の指揮下で戦った。今は休戦中だが、北朝鮮と戦争が始まれば、再び、韓国軍が米軍の司令官の下で戦うことになる。
 台湾有事で日本が米中戦争に参戦する場合、陸・海・空の自衛隊は一体となって戦う必要がある。
 ところが、日本には、陸海空を束ねる統合幕僚長というのはいるが、これは防衛相を補佐する役割しか持っていない。全体を束ねる指揮命令系統上の司令官はいない。
 一方、在日米軍の指揮を執るのは、インド太平洋地域を担当する統合軍のヘッド、インド太平洋軍司令官だが、現状では、戦時にこのインド太平洋軍司令官のカウンターパートが自衛隊側にいないという状況にある。

 そこで、まず、日本側が陸海空の自衛隊、さらにサイバー、宇宙までを統合した「統合作戦司令部」を作ることになった。24年度中に240人体制で市谷に置かれる見通しだ。
 これに呼応する形で、米軍も体制整備に乗り出す。
 現在、在日米軍司令部は横田にあるが、共同訓練の監督や日米地位協定の運用などに権限が限られ、事務的な折衝や運用調整をするだけである。
 いざ戦争となれば、前述の通り、ハワイのインド太平洋軍司令官が指揮を執る。だが、時差もあり、また、対面での協議もできない。そこで、こうした不都合を解消して戦争しやすくするために米側の体制も整備することになった。
 いずれにしても、いつ戦争になっても、日米の軍隊が一体となって戦うのに支障がない指揮命令系統が作られることになる。
 だが、表向き、誰が全体の指揮を執るのかは決まっていない。普通に考えれば、日本の統合作戦司令部が米軍を指揮することなど考えられず、当然、米軍の下に自衛隊が入ることになる。
 政府はこれを否定するが、それは表向きの話だ。
 岸田首相は、「日本は既に、米国と肩を組んで共に立ち上がっている」と米議会で述べた。米国人は、日米軍は一体だと受け取ったはずだ。その一体化が意味することは、実は、最終的には日本軍が米軍の下で使われるということを意味する。
 岸田首相は米議会演説で、「日本は戦争になったら、米軍の傘下に入って戦う」と言いたかっただろう。米側を喜ばせるためには、そう言うしかない。しかし、それを言えば、日本国内の反発が怖い。一方、米軍傘下には入りませんと言えば、バイデン大統領の不興を買う。だから、この問題には触れなかった。
 ただし、日米首脳の共同声明では、このことに抽象的に触れている。
 「我々は、作戦および能力のシームレスな統合を可能にし、平時および有事における自衛隊と米軍との間の相互運用性および計画策定の強化を可能にするため、二国間でそれぞれの指揮・統制の枠組みを向上させる意図を表明する」というくだりだ。
 本当は、戦時における二国間の指揮・統制の統一と書きたかったのだろうが、そう書くと、必ず、どちらが上に立つのかということになるので、とりあえず、日米両国の指揮命令系統をそれぞれ整備するという完全な一本化の一つ前の段階までにとどめたのだ。

 共同声明には書かれていないが、実際には、指揮命令系統の「統一」の話は避けて通れない。当然話し合われたはずだ。
そして、その話をしてバイデン大統領を喜ばせるために岸田首相が何と言ったか、と考えると、「いざ戦争となれば米軍傘下に入ります」と約束したに違いないと私は見ている。そうでなければ、あそこまでアメリカに擦り寄った意味がなくなってしまうからだ。
 英国や欧州で進む国防費拡大や社会保障費切り下げのニュースと、英国を超えて米国の最も近い同盟国になった日本。
 タブーを破って米軍人司令官傘下で空母が活動することを認めたフランスと、米国との指揮命令系統統一の準備を進める日本。
 英仏両国から届いた二つのニュースは、岸田日本が進む道を予言しているように見えるのだが、いかがだろうか。

☆ブログ筆者:「終わった国日本と国民」
       ー「増税メガネ」と揶揄されるのをことのほか嫌う岸田氏は、
       正面から国民に問いかけることをせず、「これは増税ではない」
       「実質的な負担増はない」などという詐欺的な説明ー
       は米国大使のエマニュエルが教えてくれる。

楊暁明とビル・ゲイツ

2024-04-30 07:43:29 | behind the corona
中国ワクチンの父が逮捕
【飯山一郎のLittleHP ◆令和06/04/30(火)】
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楊暁明とビル・ゲイツ
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中国の二大COVIDワクチン製造元である、中国生物の董事長、
ワクチンの父と呼ばれた楊暁明が逮捕された。

中国では、シノバックと中国生物のワクチンがほぼ90%以上を占め、
多くの人が半強制的に三回接種されている。

楊暁明は、COVIDワクチン開発のリーダーで、
約90日でワクチンを完成させ、英雄に祭り上げられ全人代代表にもなった。

ところが、ワクチンは感染を防がなかったばかりか、
副作用がひどくて、接種者の肺結節や白血病や心臓病が激増した。

これは、実際には自分たちで開発したのではなく、
あらかじめ秘密結社が用意していたワクチンを供給したに過ぎないからだ。

楊暁明は、日本国立予防衛生研究所や米国食品薬品管理局、
米国国立衛生研究院などでの研修経験があった。

おそらく、研修期間内に買収されて、秘密結社の力で重要な位置に配置され、
賄賂をもらってワクチンを供給したのだろう。

シノバックのワクチン開発者であった曹暁斌は2022年に病死しており、
二大ワクチンメーカーの当事者が消されたことになる。

                       野崎晃市 (49)

☆ブログ筆者:野崎博士は中国在住。


空海二度渡唐説 ②

2024-04-30 07:41:06 | debauchery道楽
 空海は唐から持ち帰った経等の目録『請来目録』を作って上表した。その中
で長安の青龍寺の東塔院の和尚恵果に会い、真言密教の秘法を伝授されたことを詳しく書いている。

 空海が恵果阿闍梨に会ったとき、恵果は「我、先より汝がくることを知りて、相待つこと久し。今日相見ること大いに好きし、大いに好きし。報命(寿命)も尽きようとしているのに、法を授けて伝える人がいない。ただちに香花を
支度して灌頂壇に入るようにしなさい。」と言った。

 空海は、恵果和尚が不空三蔵から密教を伝授された人物であること、そして
自分がその恵果から密教を伝授された正統の法系であることを強調している。

 恵果は、「先より汝がくることを知りて、相待つこと久し」と空海に言った。松下隆洪氏は、「待つこと久し」と言う対面の言葉は、初対面の時の言葉ではなく、すでに見知った人の間の言葉だと言う。それはもっともな推理である。

 この推理をさらにすすめると、空海は既に長安に来て勉強し、恵果からいろいろと教わり、恵果は空海が密教を伝授するのにふさわしい人物と考えた。そこで恵果は空海に日本へ帰って、再度、日本の正式の使節の一員として来るようにうながしたのではなかろうか。空海は中国語の才能があり、梵語の知識もあった。このことは日本での勉強もあるが、中国に一度渡っていたから中国語が喋れたと思われる。経典や文物も最初の留学の時に集め、保管していたとも考えられる。

金閣寺の霊仙碑     
 渤海の王大使に当てた空海の書簡が『高野山雑筆集』にある。王大使すな
わち王考廉とは、空海が遣唐使に随伴して入唐したとき(八〇四-八〇六)、
渤海から唐に派遣されていたときに知友の中になっていたようで、王考廉は
渤海使として日本に着くと、高雄山の空海に書簡と詩を贈った。
空海は喜びと感謝の気持ちをこめ、使者が来るのが遅かったので、王考廉の
帰るまでに京に登れないことを残念に思う、と言う趣旨の返事を送った。
王考廉は帰国船が難破し、新船ができるのを待つ間に天然痘で死亡した。

 記録のない空海の謎の七年は、今では新しい仮設に基づいて推理し、その
空白を埋められるのではあるまいか。
 今年は弘法大師が唐の長安に渡って以来、千二百年の記念すべき年である。記録がない、文書がないということで、空海の生涯の謎とされた「空白の七年」
を、積極的で想像的な洞察力で推理すべきではないか。高野山真言宗では、
この記念すべき年にあたり文化事業や記念事業を企画している。事業の一つ
に「空白の七年」の穴埋めをすすめるべきである。

 平安初期の僧恵萼は八三五年、空海の入定の年に皇太后橘嘉智子の命で入唐し、五台山に皇太后の宝幡を施入。八五五年再度入唐。渡辺照宏・宮坂宥勝
共著の『沙門空海』の略年譜では、八六二年の空海の弟子真如親王の入唐で
恵萼は従っている。とすれば恵萼は三度入唐したことになる。
ー続くー

空海二度渡唐説 ①

2024-04-30 07:38:11 | debauchery道楽
「空海二度渡唐説」 -
河内長野市 阿修羅窟主人 佐藤 任

■ 佐藤任(さとうたもつ)氏 
  略歴 ※宝善院住職の高野山大学時代の大先輩です。

 アメリカ在住の国際政治学コメンテーターである藤原肇氏(日本国内で多数
の著書が出版されています。google検索ではヒット数では36,300件の超有名人
です。)が、昨年四月に拙宅を訪問されて、雑談したときに、「空海は遣唐船
で中国へ渡る前に、一度中国へ行ったことは考えられませんか」という質問
があった。突然だったので的確な返答は出来なかったが、「その可能性はあり
ますね。」と答えておいた。

 藤原氏はこの問題で私と対談したい様子であった。
その後、私が思い出したのは松下隆洪氏(東寺真言宗の宗会議長)がかつて空海
二度渡航説を主張していたことである。

 そこで早速、平塚市の宝善院住職である松下隆洪氏に手紙を出すと、「空海
の“謎”の風景―弘法大師二度渡航説」という一九七七年(昭和五二年)十月
十五日の『六大新報』に掲載された論稿のコピーと、これを記念して製作
した大師像の写真が送られてきた。

 その大師像は「ふたたび大師の像」と言い、中国・五台山より日本を望見
しているもので、宝善院本堂前に今も立っている。

 松下氏は空海に対する疑問として「空白の七年」が何故できたのか、無名の
一学僧が遣唐使船という国家的渡航法で入唐するチャンスを得た理由、帰国後
の大師の世間への出現と立身出世、大師の中国語の能力、二ヶ月余りの海上
漂流で大師だけが心身ともに健康な状態だった理由などをあげてそれに解答
している。

 ところで、興福寺で法相・唯識を学び、空海等と一緒に入唐したとされる
霊仙は、長安の醴泉寺で訳経僧般若三蔵の下で訳経に従事したが、後に五台山
に登った。

 嵯峨天皇はその功績をたたえ百金を渤海僧貞素に託した。それを受けた霊仙
は仏舎利や新訳経典を貞素を通じて朝廷に献じた。

 淳和天皇も百金を貞素に託したが、貞素が五台山に達したとき(八二八)
には霊仙は薬殺されていたという。

 筆者が注目したいことは、嵯峨帝や淳和帝と霊仙とのあいだの使節を渤海国
の人物がおこなっていることである。

 松下隆洪氏が言うように、中国大陸へ行きたければ、海賊船だろうが、いか
つり船だろうがなんでもよい。渡海して近くは朝鮮半島南端に上陸すること
である。

 当時、渤海と日本とは盛んに往来・交渉していた。
そして渤海への道は日本と唐のバイパスルートであったと思われる。たとえば
第十九回渤海使節の李承英の来日は弘仁十年十一月二十日(八一九年十二月
十四日)であったが、翌十一年夏の帰国に当たって日本側の要請を受けて、
前年新羅船で日本に来たが、帰国を願い出ていた唐国越州の人、周光翰と言升則
等を便乗させて送った。 

 嵯峨帝が唐の五台山にいる留学僧霊仙への信書や砂金を託したのは、
第二十回渤海使王文矩(弘仁十二年十一月十三日/八二一年十二月十四日
来日)の帰国のときであった。

霊仙三蔵大師行迹と筆者(1992年7月)

 淳和帝が渤海僧貞素に再び霊仙へ黄金百両の伝送を依頼したのは、
第二十二回渤海使高承祖の来日(天長二年/八二六年)のときであった。

 空海が渤海使の船や日本の渤海使節の船を利用して大陸に渡ることは、
それほど困難ではなかったと思われる。
 たとえば『三教指揮』を書いた延暦十六年(七九七)の翌年の日本の
渤海使節船に便乗することは不可能ではあるまい。
ー続くー

Non Au revoir, l'éternel Adieu? オウㇽヴォアではなくアデュー?。goo blogでの拙ブログは5月をもって終了します。

2024-04-29 07:07:56 | debauchery道楽
2020年6月1日に開設以来約4年にわたってブログを書いてきました。

拙ブログをご高覧頂きました皆さまには衷心より御礼申し上げます。

自分自身への忘備録のような気持ちで認めてまいりました。
ブログを始めてから間もなく「コロナ騒ぎ」が拡大して、この背景について
書くことが拙ブログの中心になる課題と思うようになりました。

すなわち、この騒ぎの発端である聞きなれない、パパイヤでも「陽性」反応
になる「PCR検査」導入による検査方法の怪しさはこの背後に何らかの意図、
意思があると確信しました。
また、治験も終わっていない「遺伝子組み換えmRNAのワクチン」の危険性も
発信しました。
その意図とは「人口削減」と「人類のロボット化」でした。

この背後にいる勢力とは「国際主義者」「1%の支配層」そして「異星人=
地球人類のこころを持たない」であると解説してきました。

ドイツのバグデイ教授や、大橋眞名誉教授、近藤誠医師など、このコロナウイ
ルスの正体を暴いた書籍を紹介しました。そして、長期アジェンダを計画する
「1%の支配層」がこの騒ぎの黒幕であることも改めて研究しそれが事実で
あるとも確信し、紹介しました。
コロナ騒ぎのなか、彼ら支配層(製薬会社を含む)だけが巨利を得ていた事実
が終息後に判明しました。

この期間、「真理は少数にあり」という箴言を実感したこの4年でした。

今後、ますます、管理化され没個性の「Faceless」の世が進行していきます。
パンとサーカス(大谷過熱報道のスポーツ、スクリーン、セックス=3S政策)
でつられて、知らぬ間に生きて死ぬ「酔生夢死」は霊長類として生を頂いた
人間としては、あるまじき生き方であり、終局は支配層の思惑とおりに家畜、
奴隷になることを意味すると思います。

拙ブログは管理社会の加速度化を象徴する下記の運営者の告知内容から5月を
もって終了することにしました。

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gooIDのセキュリティ強化を目的として、2024年5月30日(木)(予定)より、goo会員情報の閲覧・変更を行う際に、ご本人確認のためにgooIDに登録済みの電話番号またはメールアドレスを使った認証が必要になります。
以後、gooIDに登録済みの電話番号またはメールアドレスへ一度限り有効な「認証コード」を都度通知します。
登録情報が古い、もしくは未登録の場合、「認証コード」が通知できないため、お手続きが実施できない場合があります。2024年5月29日(水)(予定)までに登録情報のご確認と最新化をお願いします。
なお本件変更実施の最新情報は、お知らせにて確認してください。

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終了までの残す時間に、がらくた市で見つけた「ダイヤモンド」の可能性が、
あるかもしれない?、興味を抱かれる方がいるかもしれない、筆者の自己満足
の「道楽」を紹介します(爆)。
もっとも、ブログという媒体自体が結局は自己満足の世界ではあるが。

「道楽」の話題の内容は、

●『空海は密命をもって二度渡唐した』、

このテーマについて、日中間の交流は、唐での安史の乱などの政情不安の期間
に公式に遣唐使の派遣はできなかった=宝亀10年(777年)から延暦23年(804年)の27年の長期間=。
そこで桓武天皇は密命(唐の現状と東アジアの情勢を調査、確認するため)を
空海に与えた。
空海の家系は朝廷に近いので天皇の側近にいた人物が具申し計画した可能性も
あるが、もちろん、空海は仏教を極める目的もあって、渡りに船であった。

当時、盛んに交流を重ねていた「渤海国」(現在の北朝鮮地域に存在した)
経由で唐を訪問したのが第1回目の唐訪問であるとの仮説をたてた。

重要な仮説の背景は、空海には「空白の7年間」、すなわち何ら足跡が残って
いない期間があった。その期間に「唐」へ行ったのである。

それをうかがわせるのは正式の遣唐使として二回目の唐訪問の際の、師の恵果
和尚のつぎの言葉、
我、先より汝が来ることを知りて相待つこと久し
今日、相見ゆること大いに好し、大いに好し。 報命(寿命)竭きなんと
欲すれども、付法に人なし。 必ず須らく速かに香花を弁じて灌頂壇に入る
べし」
そして、
空海たちが乗った第1船が目的の場所より遠い福州長渓県赤岸鎮に漂着。
漂着地の地方長官の福建観察使・閻済美へ長安訪問の嘆願書のエピソードで
ある。
空海が書いた名文で説得力ある中国語による嘆願書である。
なぜそのような中国語が書けるのか。(実際、当時、日本国内でも中国人や
中国語を話せる渡来人はいたので国内でも中国語の勉強は可能であったが)
そのときの遣唐使の責任者の大使である藤原葛野麻呂は三度、 嘆願書を
書いたが通じない。
四通目を空海が代筆し訪問が許されるエピソードです。
多分、空海は会話も可能だったと同時に恵果との再会の約束も書面か口頭で
伝えたと憶測します。
(空海はサンスクリット語も理解していたといわれています。)
の二点。

その仮説を裏付けるために,多くの書籍を読み調査した。

『渤海使の研究』ー日本海を渡った使節たちの軌跡ー
   上田雄著 2002年1月10日 明石書店発行
   1,068頁の大著
   *多くの資料が掲載されているが、空海の名は当然見当たりません。
    密航で名を変えている。

『高句麗・渤海を行く』[新版]歴史紀行
   李進煕 (リジンヒ)著 2002年12月5日 青丘文化社発行

『遣唐使時代の日本と中国』ー日本・中国文化交流シンポジウムー
   江上波夫編 1982年4月30日 小学館発行

『中国、景教の故地を歩く』ー消えた十字架の謎を追う旅ー
   桑野淳一著 2014年3月15日 彩流社発行

などなどである。
本テーマはレポートとして断片的に作成しつつあり、まとめるつもりてある
が、当該テーマをネットで調べたところ、同じ見地から紹介しているサイトを
発見し、筆者のレポートは時間的、能力的?に無理があるので掲載せずに、
このサイトの内容を近々ご紹介します。

空海は日本海⇒渤海国⇒新羅経由⇒長安のルートを辿った。帰路は新羅船
を利用した可能性もある。
当時は、唐ー新羅ー日本間に交易をベースにした交流があった。

++++++++++++++++++
『日本書紀』はヤマト原人を追放し日本を乗っ取った「渡来人=天武天皇」
が作成を命じた。
朝鮮半島からやってきた渡来人たちは平城京、長岡京、平安京など関西を拠点
に現日本人を駆逐、同化させながら日本全土を制圧した。

帚木蓬生氏(東大仏文、九大医学部卒の精神科医)の小説『白い夏の墓標』
に、「日本におけるB型肝炎ウイルスの亜型分布は元来、ミクロネシア系の
w型、つまり原初の日本民族は南方系であり、そこへ大陸のr型が海を渡って、
航路、九州ないし本州西端に上陸した」と、ウイルス研究学者の主人公が
世界の肝炎ウイルス国際会議で発表したように。

『日本書紀』『古事記』には「富士山」の話題は一切登場ない。

当時の東日本はまだ日本原人のエミシが支配していた。書記はエミシ、クマソ
と蔑称で呼んだ。現日本人のエミシ族は北の地にあり気候変動により、宮城県
の「多賀の宮」経由で南へと下り、「つくば」、「はらみ山=富士」、「恵那山」
などを経て「伊勢神宮」に辿りついた可能性がある。

天武天皇の皇后である持統天皇崩御ののち明治天皇に至るまでの1000年以上
に亘り、歴代天皇は誰一人として伊勢神宮に参拝していない。

日本武尊などの渡来人が現日本人を騙して殺戮、懐柔を繰り返し支配権力を
握ったことにより、その霊威、怨霊を恐れて近寄れなかった。

唯一人、女性天皇の持統だけが神宮整備の目的で当地を訪ねた可能性はある
が、遠くから遥拝しただけのようである。
女性天皇の持統をアマテラス女神にしなければならない事情があった。
●『アマテラスは男神』、

++++++++++++++++++
日本人のこころについて。世界に類例がない「感性と魂をもつ民族」。
●『惟神の道と国際主義者の道』

++++++++++++++++++
●『インド哲学はすべてを知っている。因果とシンクロニシティは同じ』

++++++++++++++++++
神人(カミンチュ)が霊視した世界から、
●『琉球王朝の王は中国や朝鮮半島の血をひいている』

の各論考です。
未完の可能性は非常に高い(;'∀')、可能な限り。。。

終わりに、アカデミズムの世界、高等教育者である教授などの方々も、己自身
の好奇心の探求を、学問と称した「道楽」で生活している人たちです。

梅棹も言っている、「学問は最高の道楽である」と。

また『白い夏の墓標』のなかで主人公に関わる重要人物の学者が述べる、
「ウイルスもバクテリアも、それ自体は、ニュートラルな興味の対象でしか
 ない。
 山と同様、究めつくすことに快感がある存在だろう。
 まっとうな科学も、逆立ちした科学もそれは同じことだ。
 それでは研究者を、逆立ち科学に向かう者と、まっとうな科学を目ざす者
 に振り分けるものは一体何なのか。
 実は、何もない。
 未知のものを究めること自体が快楽としてひとり歩きしはじめると、
 まっとうな科学も、いつのまにか逆立ちしてしまう。
 ぼくたちがやっていることは、確かに、逆立ちした科学だ。
 だが、もっと恐ろしいのは、まっとうだと思いこみ、また人からも
 そう信じられ、その実、逆立ちしている科学ではないのか」と。

誰でも生きている自分自身の中で「何が真実か」を探すのが「人生の意味」で
あり「楽しみ」であると思います。

では、異なるサイトでRebirthするかもしれませんがこれにて。
フェニックスとして復活できた場合の「ブログ・タイトル」は同じにします。

一度の人生「苦労こそ楽し」のこころで。

お付き合いを頂きまして感謝!