Looking for the DIAMOND at FLEA market  “がらくた市のダイヤモンド”

FLEA CORRECTLY, NOT FREE,
INTRODUCE OLD OR USED GOODS.

Wake Up from Lazy Sleep #14 惰眠から覚醒へ!

2020-08-31 09:07:31 | Wake Up
大日本帝国は「無条件降伏」等していない!!
                   【Reconsideration of the History WEB】
**********************************
昭和20(1945)年8月15日。私達は、昭和天皇の『終戦の詔勅』(玉音放送)
により、大日本帝国(日本)は連合国の提示してきた『ポツダム宣言』を受諾
し、「無条件降伏」した、と教えられてきました。
然(しか)し、ちょっと待って欲しい。
果たして本当に、日本は「無条件降伏」をしたのだろうか? 
実は、日本は戦争に敗(やぶ)れはしましたが、
「無条件降伏」等していなかったのです。と言う訳で今回は、日本が受諾した
『ポツダム宣言』を紐解(ひもと)き乍(なが)ら、日本の終戦について論じ
てみたいと思います。

何故(なぜ)、「日本は無条件降伏した」等と言う「伝説」が生まれて
しまったのでしょうか? それは、日本が受諾した『ポツダム宣言』
の第13項を、日本人自身が曲解していた所にあったのです。
以下はその問題の『ポツダム宣言』第13項です。

『ポツダム宣言』
十三 吾等(われら)ハ日本国政府ガ直(ただち)ニ全日本国軍隊ノ無条件
降伏ヲ宣言シ且(かつ)右行動ニ於ケル同政府ニ対(たいする)ノ誠意ニ付
(つき)適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ
日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

この文章をよく読めば分かる事ですが、
日本に対して連合国側が求めていたは、
あくまでも「全日本国軍隊の無条件降伏」=日本軍の武装解除
であって、決して国家の無条件降伏では無い訳です。

実際に、日本は占領軍(米軍)の進駐と、その占領軍を統括したGHQ
(連合国軍総司令部)の管理監督下に置かれはしましたが、当時、国家元首
であった昭和天皇は引き続き在位し、政府も帝国議会も解散される事無く存在
し続け、首相も日本側が選出しました。詰(つ)まり、当時の日本は戦力を
凍結されただけで、国家自体は存続し続けた訳です。
この様に、日本はあくまでも『ポツダム宣言』第13項に遵(したが)って
武装解除には応じましたが、決して「無条件降伏」等していなかった訳です。

とは言え、その後のGHQによる行き過ぎた占領行政(所謂(いわゆる)
『神道指令』や、『ハーグ陸戦法規』に抵触する『日本国憲法』の制定等)
や、国際法に違反した「東京裁判」に見られる被占領国としての多くの苦難
から、「無条件降伏」したと思われている事も確かです。
そこで、今度は第13項以外の『ポツダム宣言』各項を見乍ら、考えて見る事
にしましょう。

『ポツダム宣言』
 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメント
スルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜(ふりょ)ヲ虐待セル者ヲ含ム
一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国
国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙(しょうが
い)ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラル
ベシ

第10項では、日本人の地位(身柄)に対する「保障」と、言論・宗教・思想
及び基本的人権の尊重について謳(うた)っています。

『ポツダム宣言』
十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ
(したがい)平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於(おい)
テハ聯合(れんごう)国ノ占領軍ハ直(ただち)ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

第12項では、一定の条件が満たされた時点で、占領軍が日本から即時撤収
する旨謳っています。その上で、問題の第13項を改めて見てみましょう。

『ポツダム宣言』
十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ
於ケル同政府ニ対ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対
シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

詰まり、「軍隊の無条件降伏」を日本が呑めば連合国側は「適当且充分なる
保障を(日本に)提供する」と条件を提示している訳です。
これは、「無条件降伏」どころか、逆に「有条件降伏」と言った方が良い代物
(しろもの)である事が分かります。

「無条件降伏」と言うのは「問答無用」と言う事であり、敗北した日本に
対して連合国側が、煮ようが焼こうが ── 詰まり、植民地化しようが民族絶滅
させようが、どの様な好き勝手な処分をしても良い、と言うニュアンスが
込められている場合を言う訳で、条件Aを呑めばBを保障する、と言った
ニュアンス(交換条件)が込められている『ポツダム宣言』は、どう読んだ所
で、「有条件降伏」を日本に提示している訳です。
その点では、ヒトラー総統が自決に際し、
自らの後継者(首相兼国防軍総司令官)にカール=デーニッツ海軍司令長官
を指名、新政権を樹立させたものの、連合国側が新政権を承認せず、
「国家が消滅」した状態で降伏したドイツよりも、余程(よほど)、
好条件だったと言えます。

以上の点を踏まえた上で、私が言いたい事は、先の大戦に際して、
日本は決して「無条件降伏」した訳では無い、

名誉ある敗戦

を受け入れたのだ、と言う事を充分認識した上で、「日本の戦争」を回顧
すべきであり、決して一戦に敗北した程度で卑屈になる必要等無い、
自虐史観の呪縛に囚(とら)われる必要等無い、もっと自らの民族・国家に
自信を持て、と言う事なのです。(了)
                                           (Reconsideration of the History 2005.10.10)

言葉と人生 3/3

2020-08-30 09:07:08 | Tempu
さて、私のことばかりいっているが、あなた方も考えてごらん。
あなた方が四六時中使っている言葉・・・・・・
自分の言葉に自分が尊敬を考えるような言葉をいっているか!
                     【中村天風】
**********************************
人間の精神生命の中には、暗示の感受習性というものがある。
だから、たった一言をいうのも、この暗示の感受習性というものが、
必ず、自分が気づかなくても、ものの声に応じたように感じる。

感じると同時に潜在意識に対して、そのとおりの状態が働き出すのである。

潜在意識の状態が実在意識の状態に同化してくるのである。
そして、その結果が気高い言葉、神聖な言葉であり、言い換えれば、
積極的な言葉を表現した場合には、生命の一切が極めて状態の良い事実
になって現れてくる。

けれども、万が一、消極的な、怒り、悲しみ、悶(もだ)え、迷い、
そして悩みが遠慮なく口から出されるという場合には、もう恐ろしい結果
を神経系統の生活機能に与えてしまうのである。

・・・・・・・・・
私が、諸君に心の持ち方を常に積極的にしろというのも、この言葉と相対関係
があるからなのである。
何気なく出てくる言葉というものはあるものではない。
どんな人の言葉ですら、その言葉になる前には、観念が言葉を創るのだから。

真剣に考えよう!実際人間が日々便利に使っている言葉ほど、潜在意識の態度
を決定するうえに、直接に強力な感化力をもつものはない。
感化力というよりむしろ暗示力といおう。

そのことを完全に理解し、かつこれを応用して活きる人は、もはや立派に
人生哲学の第一原則を会得した人だといえる。

何故か!

それは人生とうものは、言葉で哲学化され、科学化されているからである。
すなわち言葉は人生を左右する力があるからである。
                      (この項終わり)

               中村天風『「運命を拓く」天風瞑想録』

人間の脳に電極プラグを差し込み、コンピュータと通信する方法を開発している

2020-08-30 07:30:58 | awareness
イーロン・マスクの電脳化計画
      ◆令和02/08/30(日)「飯山一郎のLittleHP」
***********************************
イーロン・マスクが、人間の脳に電極プラグを差し込み、
コンピュータと通信する方法を開発しているようだ

ついに、映画『マトリックス』や『攻殻機動隊』のような、
人間とコンピュータの融合が始まるということらしい。

現在は、ブタで実験をしている段階のようで、デモではブタに芸をさせようと
して、ブタが言うことを聞かず苦労している。

触れ込みでは、脳の損傷や病気で身体の自由を失っている人が、このデバイス
で車やPCを動かせるようになるらしい

しかし、彼らの真の目的は、人間の完全な監視と遠隔操作であり、
人間のロボット化をもたらすことになろう
                       野崎晃市 (46)

ブログ筆者:「コロナはいかに私権を奪い、国民経済を破壊するか①」
       (既掲載:awareness2020-07-26付)
       上記と同じくマスクの活動の趣旨は1%の支配層の意向を
       うけた人類の管理とロボット化計画。



言葉と人生 2/3

2020-08-30 07:20:29 | Tempu
「普通の人間のことをいっているんじゃない!」
                    【中村天風】
*********************************
「俺のところに来てこういうふうに毎日毎日真理を探究している以上は
 普通の人間じゃないんだ!

 まだ自分は普通の人間だと思っているのか。お前は!

 普通の人間はお前のように毎日毎日真理と取り組んで貴重な時間を過ごし
 ちゃいない。
 毎日毎日くだらない人事、世事にせわしく働き、
 やたらその言葉を汚し、実に、自分のならびに他人をも悪くするような
 言葉のみを終始使っているのだ。

 それは凡人のいうことだ。

 真理を探究している人間がそういう考え方を持つことは、非常に愧(は)
 ずかしいことで、結局、極端に自己を侮辱していることになるじゃないか!

 もう少し俺はお前を賢明だと思ったが、あんまり賢明でないなあ・・・」

 といわれたときに、私は本当に恥ずかしい思いをした。

いろんな理屈をさかんにいって、卑近な学問を研究したため、普通の人より
も人生に関する理屈をぺらぺらいうだけで、いっているそばから、自分の
いっている理屈に自分が苦しめられていた。ということ考えてみると、実際
自分ながら、あんまり利口じゃないなあと思った。

              中村天風『「運命を拓く」天風瞑想録』


言葉と人生 1/3

2020-08-29 16:14:59 | Tempu
私はこの「言葉」というものを、そんなにも重大な影響を持って
いるものとは少しも知らなかった。・・・
                     【中村天風】
**********************************
(修行中のヒマラヤの第三ピークのカンチェンジュンガの麓での、
先生との会話・・・)

「お前は毎朝、朝の挨拶のあと、俺はお前に
”今日はどうだい””How do you do, today?”と聞くと、必ずお前は
“I am not quite well”(まったく調子がよくありません=ブログ筆者)
というなあ。

それをいってそのとき楽しいかい」といわれた。

「いや楽しくはありませんけど、真実こういう病(肺結核)を持ってます
 から、朝目が覚めますけれども快い気持ちでは覚めません。やっぱり何と
 なく、こう、熱があるように感じ、体の全体がけだるく感じまして、頭は
 重いし、つまり快適な気分を感じません」
と答えると、
「そういうことをいってお前は気持ちが良いか」
といわれました。
「気持ちは良くありませんが真実そうでありますから」
と再びいうと、
「そうかねえ、お前は相当アメリカやヨーロッパで学問をしてきた人間だと
 聞いたが、そういう方面に対する知識は全然ゼロだなあ」
という。
「それはどういう意味ですか」
「お前は自分の使っている言葉によって自分の気持ちが駄目にされたり、
 あるいは非常に鼓舞奨励されたりする直接的な事実を少しも考えていない
 なあ」
といわれました。

それは本当に考えていなかったから黙って顔を見ていたが、
造物主によって便利な言葉を我々人間だけに与えられているが、言葉と
 いうものが積極的に表現されたときと、消極的に表現されたときとでは
 直接的にその実在意識に受ける影響は非常に大きな相違がある
 先ほどのように、今日は不愉快ですとか、頭が痛いとか、熱があります
 とか、気分が良くない、とかいっているときには、愉快を感じないだろう。
 今日は嬉しいです、楽しいです、ありがたいです。という言葉をいったとき
 には、なんともいえない快さを、その気持ちの上に感じるだろう。
 その感じるということは何が感じるか、お前はわかるか。
 実在意識が感じているんじゃないか。そして実在意識が感じたものが
 直ちに潜在意識に直接的に影響して、その潜在意識が実在意識と同じような
 気持ちになると同時に神経系統の生活機能も同じように良くも悪くもなる
 のだ
 そうすると結局お前の生きる力がその言葉の良し悪しによってやはり
 良くも悪くもなるじゃないか
「しかし本当に具合が悪いとき、具合が悪いといっちゃいけないんですか」
「具合が悪いとき、具合が悪いといって癒るか」
「いや、癒りはしませんけど、やはり痛いときは痛いといいます」
「いや、痛いとき痛いというのがいけないんじゃないんだ。痛いときは痛い、
 痒いときは痒いという、それは当り前のこと。だからいってもいい。
 だが重要なのはそういったときにそれから後を自分が考えなければよい」
「それはどういう意味ですか」
というと、
「お前は今日はどうも頭が痛いとか、今日はどうも熱がありますとかいって
 いる言葉の後に、愉快だとは思わない。実に不愉快だ、たとえ言葉に出さ
 なくても心の中で思っているだろう。
 何ともいえないいやな気持ちだな・・・・・と。
 そして普段とちがって、よくない状態が体に現れてくれば、それを元に
 して痛いとか痒いとかいいながら、それが元でもっと悪くなりはしない
 だろうか、死にやしないだろうかというふうに、現実よりも過大に神経
 をつかいはしてないか。
 それがいけないのだ。
 寒いとか暑いとか痛いとか痒いとかいうことは構わない。それは現実に
 対する表現だから。それに対してお前はつけ加えなくてもよいことを
 しょっちゅう、つけ加えているじゃないか」
「いやしかし、それは普通の人間は皆そうでしょう」
と答えました。すると、(続く)

               中村天風『「運命を拓く」天風瞑想録』